人類史上最初の観念であるように思われる、《神》。それは、言い換えれば、無を超えて不在を思考することである。観念がなんらかの実在と結びついているかぎり、それはけっして最初の観念とはなりえない。《実在という外部からの刺激》に […]
パウロの弟子ディオニュシオス・アレオパギタ、あるいはネオ・プラトニズムを信奉する人たちによって、神は肯定の世界から取り除かれ、否定の祭壇へと祭り上げられた。《神はいない》。存在の影としての神。この影が世界を覆い尽くしたと […]
ひとが作り出したもっとも古い観念のひとつに《神》がある。《神》は実在するのか、しないのか。それとも、《実在》という語がそぐわない、ある種の超越それ自体を指すのか。実在や経験、あるいは精神や観念、そしてそれらすべての超越者 […]
イスラエル軍は空爆の映像を世界に配信している。とにかくひどいという印象をわたしに抱かせる。この映像のフレームそのものが醜悪であり、撮影する者が代表している人間の醜悪さ、まるで人類の善を気取り、代表するような傲然とした態度 […]
カントによれば、純粋理性は次のような道のりをたどる。(1) 独断的理性、(2) 懐疑的理性、(3) 批判的理性、である。これらについて、わたしなりに解説を加えてみよう。 (1) 独断的理性 たとえば神や、あるいは自己の […]
柄谷行人は次のように言っている。 カントによれば、統整的理念は仮象(幻想)である。しかし、それは、このような仮象がなければひとが生きていけないという意味で、「超越論的な仮象」です。カントが『純粋理性批判』で述べたのは、そ […]
ふと、オヴィディウスの『変身物語』のことが浮かぶ。神の表象について考えてみよう。 ふつう、考えられる神の表象パターンは、三つある。ひとつは、怪物として描かれる神である。すなわち、三本以上の腕、三つ以上の眼球、二つ以上の顔 […]