パーン・ホ・メガス・テトウネーケIII―《観念》の舞踏

philosophy
2009.09.04

人類史上最初の観念であるように思われる、《神》。それは、言い換えれば、無を超えて不在を思考することである。観念がなんらかの実在と結びついているかぎり、それはけっして最初の観念とはなりえない。《実在という外部からの刺激》に対して作りあげる内的な像のリストを構成することがあったとしても、それはあらゆる動物が抱いてきた観念であって、人間に固有のものとはいえないし、要するに《観念》というに足りない。その点で、確実に知られる対象をもたない《神》の観念が、二重の意味で(つまり「最初」を意味する)人類史上最初の観念としてリストの一番上を占めているのは当然である。

その一方で、トマス・カーライルは、哲学史において、その教義リストの最初に書かれているのは《観念論》であるといっている。ひとの思考の歴史において、そのリストの一番初めに書かれているのが《神》だとすれば、哲学史の始まりを告げる観念論は、神の批判を意味しているはずである。神が、実体と切り離された観念である、という発想は、すでに《批判》的である。たとえば、ジョージ・バークリーはいう。「事物が存在するとは知覚されることである。知覚する心すなわち思考するものの外に、それが存在することは不可能である」。こうした自己を中心とする観念論的転回には、結果的には、ひとを受動態において捉える神の批判を導く重要な契機が含まれていることを見過ごしてはならない。

神話(物語)は、それが荒唐無稽であればあるほど、神の観念を補強する。そして同時に、哲学史上の観念論も呼び覚ます。そこで召喚された《批判》としての観念論は、たしかに、神話を止揚する。批判としての観念論は語る、神とは神話にすぎない、と。かくして、神と神話、批判としての観念論は、ある三角形を作り出し、ひとびとの思考はこの三角形のうちに閉じ込められる(しかし、そのことは有と無との交換を促し、ひとを「主体」として結晶させるだろう――歴史の線)。

その点から考えるに、文学の行なうことは、いかにも奇妙である。神は表情をもたない。仮面としての怒りや、仮面としての笑いをもっていたとしても、基本的に鉄面皮な種族である。言い換えれば、観念であるところの神、究極的には不在の結晶である神に、作家は、肉を与えるというのだ。そこでは、外部にその起源をもたない神でさえ、外的な刺激によって表情を変えるなにものかであるらしい。それは、たかが観念に過ぎない、虚構に過ぎないという《批判》とは、かなり異なる批判である。神でさえ、腐敗し死すべき肉をもたねばならない、というのだ。

かくして、《観念》が覚束ない踊りを踊り始める。深手を負ったアフロディーテ(美)、ホメロスが詠ったこの奇妙なアレゴリーこそ、文学の始まりである。これはいかにも奇妙である。まるで、内部に外部が折りたたまれてゆくかのようだ。人間でさえ、動物と変わらぬなにかだと言わんとしているかのようだ。神が肉体をもった実在なら、われわれがつくる神の像は、なんらかの外的な刺激の産物ということになろう。冒頭で述べた「最初」の観念という規定は覆ってしまう。マルクスは、人間の解剖は猿の解剖に役立つといった。文学者はそこにそっと付け加える。もちろん、人間の解剖に役立つのは、《神の解剖》である、と。わたしには、こうした奇妙な思考によってしか、先述の三角形を飛び出す方法は見当たらないように思われる。ギリシアが自然(科学)を思考しえたその理由に、天才ホメロスの存在があったことを指摘するのは、的外れではないはずである。また逆に、文学が自然や動物を愛好する理由も、ここにあるように思われる。

ところで、ここで神に肉を与えるとされた文学は、いわゆるキリスト教の概念であるところの「受肉」を行なうのではない。それは、むしろ文学の過程を逆に進むことであり、また文学の息の根を止めるものである。文学にそのヒントを得ながら、本質において異端的である受肉の概念は、自分だけが神であることを主張するだろう。肉を受ける必要を語ることによって、神は、逆説的に肉の世界から離脱する。かくて、神と神話と、そしてその批判とが作りあげる三角形こそが、神の国である。神の国は、つねに《いまここ》を拒絶することによって、世界からの超越を可能にする。

神、物語、批判、そして文学。ここに提示された四つの思考、このうちで、本当の意味で大いなる《謎》の領域を占めているのは文学だけである。人類はいかにして、時間を乗り越えて《文学》を実現してきたのだろうか。わたしは、四つといった。だが、本当は二つしかない。そして生きているあいだに、ひとが《文学》を選択する瞬間を、もう一度みてみたいと思っている。いつかきた道をもう一度選ぶことだけは、避けてほしいと思っているのだが、さて……。

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