台風が去って、盆の空気が肌にまとわりついてくる。盆の空気が好きだ。祭りのあとの夕暮れ、夏の空気がもう帰ろうとしているのはわかっている。だが、もうすこしだけ、たとえばあと一杯コーヒーを啜る時間くらいはいっしょに過ごしてもい […]
われわれは、戦前と戦後を見渡すことのできる世代である。戦前の60年と戦後の60年を比較して、そのどちらにも、ある種の共感を覚える。またそこに、思考の絶対的条件とでもいうべき不可避的な病があることも承知している。 ◆ たと […]
たとえば晩年のジャック・デリダがハバーマスと共闘したように、晩年の柄谷行人は丸山真男に共感する。ここに共通したなにかはないか。それも、戦後の病そのものであるような。といっても、それは不可避的な病であり、戦前のひとびとが、 […]
イスラエル軍は空爆の映像を世界に配信している。とにかくひどいという印象をわたしに抱かせる。この映像のフレームそのものが醜悪であり、撮影する者が代表している人間の醜悪さ、まるで人類の善を気取り、代表するような傲然とした態度 […]
蚊を叩き潰す。幼い頃、ぼくは昆虫その他小動物を愛していたので(いや、生き物全般をあれほどに愛していた時代はなかっただろう)、蚊が自分の腕を枕に食事をしているのをみても、窓の外に追い出すことしかしなかった。だが、そんな余裕 […]
こんなナイーヴで、しかも仰々しい言葉で始めることが、よいことだとは、あまり思えない。だが、思い切って、告白する気持ちになって、笑われるのを承知で口にしてみよう。――わたしは、人類の歴史を肯定したい、と思う。人類を、肯定し […]
憲法というテクストがある。これはわたしたちの外部にあり、国民投票という改変を経なければ、どうにもならない《もの》である。カント風にいうと、かの憲法は、一種の《物自体》である。もちろん、改変できる以上、「どうにもならない」 […]
川端康成は、東京裁判を傍聴し、次のような手記を残している。 戦争の起因は日本の歴史にも日本の地理にもあつて、今日の日本人のせゐばかりではない。勿論東京裁判のわづか二十五人のなし得たことではない。これらの人達は政治と戦争と […]
《戦争》について、少し考えておきたい。書きながら考えるので、おそらくまともな文章にならないことを断っておく。 さて、まずこの場合、問わねばならないのは、“《戦争》とは何か”、という問いがそもそも立てられるか否かである。一 […]