文学――出来事の学について

fragment
2008.07.13

こんなナイーヴで、しかも仰々しい言葉で始めることが、よいことだとは、あまり思えない。だが、思い切って、告白する気持ちになって、笑われるのを承知で口にしてみよう。――わたしは、人類の歴史を肯定したい、と思う。人類を、肯定したい、と思う。よい人もいれば、悪い人もいる。もし、あなたが誠実な歴史家で、他人の生、誰もがより善き生を願って疲労した足取りの残した古い轍を丹念にたどるならば、生活のために悪事に手を染めたのは、彼ではなく、わたしだったかもしれぬという思いにかられることが、けっして一度ならずあったはずだ。そして、もっと絶望的な気分になる――というのも、かりに、この轍の持ち主が目の前にいたとしても、その歩みを押し留めることはできなかっただろうからだ。わたしにできることといえば、おそらく、麗しき無意識の恩恵にあずかって、彼の背中を押しつつ同じ道を歩むか、それとも、気まぐれに彼とは別の道を歩むことで、彼を見捨てるか、のいずれかでしかなかったはずだ。

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ひょっとしたら、誤解されているかもしれないので付け加えておく。わたしには、人類を救おうなぞという、だいそれた考えは、いっさいない。そんな考えは、たぶん拒絶する。わたしの考えはいたって単純――よい人もいれば、悪い人もいる、よい歴史もあれば、悪い歴史もある。他人のことは過度には気にしないし、したって仕方がない、というものだ。――だが、不思議に、こんな考えに駆られることがある――いや、考えというほどのものではない、こんな声が聞こえるといったほうが、正確かもしれない。すなわち――人類そのものが丸ごと肯定されるときにしか、あるいは歴史が丸ごと肯定されるときにしか、わたしの生は、より善きものに向かって進んだりはしないのではないか――?

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歴史は、戦争の歴史である。もちろん、いかに戦争を定義するかによって、この命題の意味はいくらでも変化するし、また、すこし不思議なことだが、そうした定義そのものが、時代を変えてしまうということも、往々にして起こっている(いまにして思えば、911テロは、やはり、《戦争》だったのである)。その意味では、ただたんに、「歴史とは戦争の歴史だ」と語ることは、どう考えても不用意である。だが、戦争がどのようなものであるにせよ、そしてまた戦争をどのように定義するにせよ、それが、ひとの歴史を前と後ろとに振り分ける、エポックであることは、厳然たる事実なのである。平和は語られず、堆く盛り上がった文字の群れは、いつも世界のどこかで、ひとしれず戦争が起こっていたことを、耐え難い耳鳴りのように、わたしに突きつけてくる。ひとは、二十世紀を振り返って、戦争の世紀だといってはばからなかった。だが、本人はきれいさっぱり忘れてしまっているが、かつて人類が二十世紀を迎えたとき、彼らは、十九世紀が戦争の世紀だったと、実感を込めて語っていたのだ。おそらく、また同じことが繰り返されるだろう――次の世紀のひとびとは、二十一世紀が、戦争の世紀だったと、嘆息しながら語るのだ。結局のところ、ひとは、《おもしろいこと》だけを語る。腹を抱えて笑いながら、あるいは現代の喧騒に負けぬ怒号を張り上げながら、けれんみたっぷりに、人類の歴史とは、戦争の歴史だったと語るのだ。世の歴史家――歴史学者ではない――が愕然とするのは、おそらく、こういうときだろう。

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人類を肯定したいと願っているのは、なにもあなただけではない、と彼らはいう。われわれこそ、そうした願いを強く抱いてきたのだし、またいまも抱いているのだ、と彼らはいう。だが、その人類の、ほとんど生業といっていい戦争を肯定することができるだろうか。――もちろん、否定すればいい。ノーと言うだけなら簡単なことだ。歴史上に確固として立ち現れた戦争や文明を否定することができるなら、人類を肯定するのは簡単なことだ。だが、戦争の否定を実践するとき、はたして、人類そのものをその否定から取り除けておくことができるのだろうか? ひとを困惑させる、そんな疑念から、なかなか逃れられなくなる。これは、生半可なレトリックではない、もっと深刻なものだ――われわれの文明をここまで進歩させてくれた最大の要因が、戦争であるように見えるのは、一体どういうことなのだろうか?

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持って回った言い方をしたが、わたしが、強く訴えたいと思っているのは、こういうことだ。すなわち――人類は、いかにして、戦争を、もっと近くに招き寄せるべきなのか――? 今日、人類には、このような不穏な課題が突きつけられているように思われるのだ。

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わたしは、なにも、ひとびとの生活の平穏さを破るつもりでこんなことを言っているのではない。何度もいうが、自分でも、ずいぶん大そうな物言いをしていると思うし、内容に見合った、もっとさりげない言い方はできないものかと、自己嫌悪に陥るときも多々ある。結局、《戦争》であるとか、《歴史》であるとか、《人類》であるとか、そんな概念は、わたしには、まだ荷が重いのだろう。この物騒な概念を使いこなすどころか、高波にさらわれるように、この概念によって、むしろ弄ばれているのだろう。だから、こんな意に沿わない書き方しかできなくなってしまう。《歴史》にせよ、《人類》にせよ、そして《戦争》にせよ、本当に書きたいと思うこと、言葉にしたいと思うことの片隅で、いつも払い損ねてしまう塵芥のように、ときおり後ろ髪を引くといった程度のものでしかないはずなのだ。しかし、だからといって、ただ《戦争》を遠ざけること――たとえば、兵器のプロフィールや国家間外交にすべてを還元してしまうような、そんなやり口もまた、遠ざけることと同じなのだ――が、平和に至る道だとは、けっして思えない。おそらく、この塵を払ってしまわねば、平和を実現することなどかなわないし、それに、本当の意味で書くということも、きっとできないのだろう。

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まだ覚えているひともいるかもしれない。だが、大多数の読者にとっては、きっと古い話になるだろう。その点では恐縮なのだが――第二次世界大戦という最悪の世界戦争がもたらしたものは、平和であった。それも、二重の意味での平和であった。ひとつは、積極的な意味のそれだ。それは、反戦運動や、なにより高貴な犠牲によって戦争の悲惨さを示すことで、勇敢に勝ち獲られた平和である。もうひとつは、消極的な意味のそれである。よくいわれるように、世界の破滅をもたらしかねない核兵器によって、われわれはものの見事に去勢され、結果として、熱い平和ならぬ冷たい戦争を経験することになった。こうした経験は、平和のための戦争、大量破壊兵器を根絶するための戦争として、今日に引きつがれている。これは、たんに戦争するよりもなお悪い、最悪の平和である。なぜなら、われわれは、こうした陰気な、隠蔽された戦争に、なかなか反対することができないからであるし、なにより、こういった戦争には、本来あるべき高貴な勇敢さは、欠片も存在できないからである。戦争は恐ろしい、死と同じように、われわれの手からできうるかぎり遠ざけておくべきものだ――そのためなら、つまり無関心でいられるなら、われわれは戦争さえ辞さない。誰の手も届かない場所から、天罰を下す神に成り代わって、姑息に爆弾を落とすことが、今日の戦争の意味の主要な尖端なのである。世論は、《情報》という性質の悪い概念を賛美する者たちによって誘導され、その誘導の背後にあるはずの真理はひとびとの手から遠ざかっていく。ひとびとは、遠く異国の地で起こっている殺戮や戦争をインターネットによって知り、そして隣人の死もまた、インターネットによって知る。こうした奇妙な事態を招いているのは、《情報》である。《情報》は、ひとびとを、真理とは反対の方向に誘導する。あげくのはてに、ひとびとは、こうした誘導を次のように信じはじめる。われわれは、真理にたどりつくことはできない、なぜなら、真理とは、不可知の物自体だからだ。言葉はそこでは、テクストやリプレゼンテーションにすぎず、したがって、真理とは切り離された、比喩以上のものになることはできない。どのみち真理にたどりつくことなどかなわないのだから、誘導されようがされまいが、結果は同じなのだ。ならば、声の大きな者の誘導に任せるのがいい、操作する者の手に委ねるのがいい、なぜなら、それは、信じるふりをすることだからだ……。

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しかし、下手な喜劇のように、このような形で世界の二重性を受け容れるかぎり、平和のための戦争という二重化された最悪の事態は、避けることができないばかりか、そこに手を貸してしまう羽目になるのではないだろうか。ただ戦争を遠ざけることによって成し遂げられた平和は、地球のどこかで、たえず起こっている戦争を黙殺することとどのようにちがうのだろうか。結局のところ、そうした身ぶりは、黄昏時に飛び立つふくろうよろしく、唯々諾々と重荷を背負うロバよろしく、自身が誘導されることでひとびとを誘導していることを、苦し紛れに肯定しているだけなのではないだろうか。ひとが誘導されるのは、決まってこういうときなのだ――これは、真実ではありません、真実は遠く彼方にあるのです、なんといっても、真実は、《ここ》にはないのですから、ただ頭の中で想像されたものだけがあるのです。どうぞ、真理を、あなた方の手から残らず差し出してください。さあ、あなた方は、ただ、ボタンを押すだけ、それだけです。それが、コンピューターのキーのどれでもいいひとつなのか、それとも、どこに飛んでいくのかわからないミサイルのスイッチなのか、そんなことは関係ない。指を動かすだけでよいのなら、ひとは喜んで誘導される――《ほんとうに誘導されるわけではない》からだ。なぜといって、真実=戦争は、堆く積もった雲のはるか下、手はおろか、目や耳さえ届かぬ遠い彼方にあるのだから……。

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われわれが行なう実践は、じつは、すべて、《表現可能なもの》である。実践、すなわち出来事は、言葉とまったく同じではないとしても、《表現可能なもの》として、われわれの前にあらわれてくる。しかし、ひとは、こんな風に考えてしまう。表現されることなく消え去ってしまった出来事もまた、あるのではないか? だが、そうではない。そんなことは不可能である。すべては、おそらく、何らかの形で、表現されたのである。表現されることによってしか命を吹き込まれることのない言葉は、われわれが思っている以上に、出来事に似ているようにみえる。言葉は、そうして表現された諸々の出来事のうちで、確かな場所を占めるのではないだろうか。右のような誤解が生じるのは、ひとびとが、あまりにもテクストに重きを置きすぎているからである――消え去ってしまった声のことを忘れているのだ。消え去ってしまったからといって、表現されなかったというのはいいすぎであろう。いまや、近代は、なにもかもが残されてしまうテクストの時代だが――ほんとうは、白昼のさなかにあって、「近代」という限定は必要ない、じつはいつも、昼の歴史はテクストとともにあったのだが――、そうした思考は、出来事が消え去ってしまう性質をもっていることを、《不在》とみなす悪弊をもっている。昼のさなかに、太陽の光を受けて自分が輝いていると思い込んでいる文字の歴史の背後で、夜の闇に紛れて消え去りながらも自ら輝いている星座たちの存在に、テクスト主義者は気づかないのである。そしてじつは、消え去ることによって、表現する、そんな声に似たやりかたこそが、もっぱら出来事の好んで行なう表現方法なのである。石版や木簡、紙や磁気テープといった、諸々の媒体に言葉を定着させることで実現されるテクストは、そのことによって、言葉に物質性を、つまり肉体を与えるのだと信じられている。だが、そうではない。波である音楽が、すでにして物質であるように、言葉は、じつは、すでにして物質なのである。それゆえ、むしろ媒体は、言葉の物質性を隠蔽しながら、その資格を簒奪しているのである。だが、常住不変の物質が存在しないように、ほんとうは、遅いか早いかのちがいだけで、紙に定着した文字でさえ、声と同じように、過去の闇に消え去ってしまうだろう。そのときはじめて、文字は、言葉同様の出来事性と物質性とを付与される。その点では、これらの速度のちがいを二つの極に峻別すること――つまり、《消え去るもの》と《残るもの》に分割することによってテクストが可能になるのだし、そうしてできあがったテクストは、むしろ、反出来事というにふさわしい。したがって、もし、紙や石版に可能性を認めるとすれば、その消え去る《遅さ》に注目される限りにおいてであり、けっして、《残されること》にあるのではない。このゆっくりしたリズムは、出来事の舞踏にこれから参与しようとする初心者の不安な心を、すこしは軽くしてくれるにちがいない。

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どうか、考え方を変えて欲しいと思う。出来事を否定の言葉で二重化し、思考を出来事ならぬテクストのなかに縛り付けて、真理を戦争もろとも遠ざけてしまうよりも、けっしてなくなりはしない悲劇をどのようにして近くに招き寄せ、そしてどのようなやりかたで出来事を実現するかを考えるほうが、よっぽど重要なのではないだろうか。ひとは、いつも、出来事を表現している――つまり、出来事とは、《表現可能ななにか》であり、表現されるのを待ち、そして表現されることで不思議に消え去る《きざし》なのだ。ただし、この、出来事という奇妙な遊戯には、単純だがきわめて奥の深い、たったひとつのルールがある。それはこう――《われ》という主語を消し去る形でしか、出来事は実現されない、ということだ。したがって、つねに、出来事は、《われ》の意図とはちがった形で実現される(つまり、言葉は、《意味》を実現するのではない)。この差異を肯定できない者は、どうしても、言葉を、現実や真理とは切り離されたリプレゼンテーションだと考えがちである――そらみたことか、言葉と現実とはちがうではないか――というわけだ。だが、そんな「否定しようとするひとたち」でさえ、結局は、出来事を表現してしまうだろう。そして、そうした《われ》なき出来事の、蓄積されざる蓄積が、通例のテクスト主義者が抱いているのとはまったく異なる、真の歴史なのである。そして、この差異を肯定するひとたち――言い換えれば、主体の意図とはかけ離れた事態を自らの責任において肯定するひとたち――を、ひとびとは、いまではほとんど消失してしまったすばらしい伝統によって、《文学者》と呼んできた。《文学者》とは、遊戯者である。彼らは、自らの主体を消し去ると同時になにかを表現することによって、出来事を実現するだろう。すなわち、剣なしに戦争を実現する――というより、言葉を剣に変える。《文学者》は、表象するのではなく、表現することによって、戦争することなく戦争を実現するのだ。たしかに、批判とは、すべて自己批判である。つまり、主体を消し去ろうとする強い運動こそが、批判の名に値する真の実践である。だが、そんなことは、権利的にいっても、事実からいっても、批評家が実践するよりずっと以前から、《文学者》は実践してきたのだ。批評家の立場にとどまっているかぎり、差異は、ついに否定を超えることができない。批評家は、自らがとどめを刺したはずの主体の骸が、揮発してしまう寸前で、それを宙吊りにしてしまう――たとえば、「超越論的統覚」のような用語によって。だが、表現可能なものを、ほんとうに表現しようとする《文学者》は、もっと徹底している。彼らは、むしろ、自ら主体化を遂げる。われわれは、彼らにならって、差異を肯定する術を身に付け、死を賭した、文字通り真剣な遊戯に参加せねばならない。すなわち――われわれは、《文学者》にならねばならない。出来事を実現すること、言い換えれば、出来事を真に意志することができるのは、彼らだけなのである。

§

わたしは、かつてのように、神話と歴史とが、さもなければ、文学と出来事とが、同じ歩みを戯れながら歩んでいた時代を、それも、比喩ではなく、ほんとうに手を取り合っていた時代を、強く希求している。別の形でいえば、それは、真理と戦争とが絡みあってできる、うんざりするような循環運動の外に言葉を放逐してきた歴史のなかに、再び言葉を参与させることである。言葉に、真理との美しい舞踏を可能にする肉体を与えることである。そうした時代を取り戻すこと、それは、けっして、古臭い時代精神に塗れることではない。本質的に粘着質な時代の喧騒に振り回されることも、回収されることもなく、むしろ時代精神の届かぬ薄暗い夜の森の底で、輝いては消え、消え去っては輝く、新しい、はりつめた星座を実現することである。誰の目にも触れることのない密やかさで、しかし消え去る声の確かさによって、われわれは、ここに、《文学》の復活を宣言する――。

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