戦前と戦後(ラフ)

criticism
2009.02.24

たとえば晩年のジャック・デリダがハバーマスと共闘したように、晩年の柄谷行人は丸山真男に共感する。ここに共通したなにかはないか。それも、戦後の病そのものであるような。といっても、それは不可避的な病であり、戦前のひとびとが、《戦争》を病として抱えていたことと、同じである。要するに、戦後の知識人は、《平和》という病から、抜け出せなかった。

丸山にかぎらず、戦後の人々は、「断念」や「ためらい」といったネガティヴな態度を逆説的に評価したがる屈折を持っている。「決断」や「主体性」といった言葉を、極力回避しようとする。米国と開戦するに至る決断、大東亜共栄圏を主体的に作りあげようとする夢、外部に肯定性の夢を追い求めるのはロマン主義のもたらす罠にすぎない。外部は、否定性においてしか現れない。……

われわれが青と信じる(つまり意識内部において青である)それは、青ではないかもしれない(他人にとっては青ではないかもしれない)。理想は、そこにたどり着けないというそのことにおいてのみ、理想でありうる。翻訳が不可能であるからこそ、言葉のうちでも固有名だけは外部たりうる。

外部は、否定的な形でだけ現れる。そうした否定性の極致が、カント=柄谷のいう《物自体》である。どこまでいっても否定の運動であるような、この批判の概念は、ついには、自己を超越論的に眺めることを可能にする。超越論的な自己とは、自己ではないなにかとしての自己、である。そのことを積極的(ポジティヴ)に提示することはできない。否定形で現れる他者の重要性は、ついに自己をも否定形で表現する。肯定はどこにもない。否、否、否、このたえざる否定の運動こそが、真の哲学ならざる哲学である。虚構の重要性……。

否とさえ、というか《否と積極的に向き合おうとする》ハバーマスや丸山真男の議論は、たしかに、デリダや柄谷にとっては許容しうるものだ。しかし、そうした超自我が、世界共和国である可能性はどこまで確かなのか。自我の否定を真っ先に行なうのは、むしろ国家ではないのか。知識人の戦争協力は、日本の外部を想像させる超自我の回路を通ってなされたのではないのか。敗戦後、戦前の国家主義者は、たしかに超自我の回路を通って国連を見いだしたかもしれない。だが、戦前の共産主義者(あるいは個人主義者)は、その同じ超自我の回路を通って国家を見いだしたのではないのか。

ぼくは、ここで疑問に思う。平和とは、戦争の否定の謂いなのか、と。外国語との通訳不能性が、本当に平和の使節なのか、と。しかし、理論的にも現実的にも、平和が戦争のない状態としてしか定義されないうちは、われわれは、平和を求めることはできないだろう。平和を求めるなど欺瞞である。なぜなら、平和には、たどり着けないからだ。ならば、われわれは、平和を戦争をしないということに求めざるを得ない。

かくして、ひとは、兵士であることをやめる。それはかまわない。だが同時に、戦士であることもやめてしまう。否定形の議論は、ひとから、力と同時に行為をも奪ってしまう。戦争の終結は、たしかに一時の混沌をもたらした。だが、そうした混沌は、否定形の議論のなかに収斂されていった。知識人の戦争協力を即座に否定的に反映させる実態的な論理をたえず内包した戦後の戦前批判は、兵士のなかの兵士性と戦士性の混同という誤りを犯す。兵士であることも戦士であることもやめてしまったひとたちの、屈折した勝利。「これは敗北ではない!」 だが、それは、敗北という究極の屈折に対する卑屈な肯定にかぎりなく似ている。

ぼくらの世代は、戦前の世代と、戦後の世代を同時に見渡すことのできる世代である。それだけに、《戦争》になだれ込んでしまった世代特有の苦悩と、《戦争》を諦めることに美学を見いだした世代特有の苦悩とが、同時にぼくらを切なくさせる。戦後のひとたちは、だからこぞって漱石を褒めた。漱石はすばらしい、なぜなら、彼ははじめから諦めていたからだ。鴎外も褒めた。鴎外はすばらしい、仕事と友情を選ぶことが、恋愛を諦めることだと知っていたからだ。はじめから諦めていたひとたち、その苦悩を知っていた彼らこそ、真の文学者だ。……

たしかに、彼らのような例外的な《諦めていた人たち》と比較すれば、戦前のひとびとはあまりにも兵士でありすぎたかもしれない。だが、同時に、戦士でもあった。彼ら戦士のもつ独特の緊張、ぼくはそこになにか特別な尊敬の念が沸くのを抑えることができない。戦士とは、ためらわずあきらめず、最後まで戦い抜く男たちのことだ。屈折した勝利でも、卑屈な肯定でもない、純粋な肯定の論理を追究する男たちのことだ。排中律や否定神学の周縁を迂回しながらさまようデリダたちの理論からは、そうした戦士の蜂の一刺しが失われている。

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