《戦争》について

philosophy
2004.12.09

《戦争》について、少し考えておきたい。書きながら考えるので、おそらくまともな文章にならないことを断っておく。

さて、まずこの場合、問わねばならないのは、“《戦争》とは何か”、という問いがそもそも立てられるか否かである。一般的に言って、このようなタイプの問いが立てられるのは、問いに対する解が、トートロジーにならない場合のみである。すなわち、Aとは何(X)か、という問いは、その“何”(X)がAではないかぎりにおいてのみ可能なのである。したがって、AとはAである、というトートロジーの可能性が皆無でなければならず、まずそのことが調べられなければならない。

そこでプラトンの規定を考えてみよう。プラトンは、『国家』において《戦争》を次のように規定した。すなわち、“内戦”(スタシス:ギリシア人同士の争い)と、“外戦”(ポレモス:ペルシア人など、ギリシア人以外の人々=バルバロイとの争い)である。この二つの《戦争》のタイプ分けは、抽象化して言えば、ある争いにおいて、ルールが、共有されているか否か、によって可能になっていると思われる。つまり、あるルールに則って行なわれる《戦争》は、“内戦”であり、お互いが主張するルールなどおかまいなしに、あるいはルールそのものをめぐって行なわれる《戦争》が、“外戦”だ、というわけである。だが、こうした分類は、やはり皮相的なものにしか見えない。むしろ、《戦争》とは、おそらく、概念と現実の、理論と実践の、言葉と物の、完璧な出会いである。逆にいえば、ある概念が、当の現実を正確に指し示しているとき、また、現実が、そっくりそのまま、概念に収まってしまうとき、そのことを、ひとは《戦争》と呼ぶのである。そこでは、そもそもルールが共有されているか否かは問題にならない。なぜなら、《戦争》においては、現実が、即、ルールだからであり、ルールとは、即、現実だからである。

したがって、われわれは、そもそも、《戦争》とは何か、という問いを立てることができない。概念と現実とが差異をもつ、ということが、まったくありえないからである。本来、《戦争》は、《戦争》以外のなにものでもなく、また、それ以外のものであってはならないのである。《戦争》は、《戦争》である――すなわち、《戦争》とは、きわめつけのトートロジー(反復)なのだ。あるいはこうも言っていい。《戦争》とは、それ自体が差異なのだ、と。《戦争》とは、やはり、概念と現実という二分法そのものすら廃棄してしまうような、両者の正確無比な出会いの謂いにほかならない。

そのうえで、先のプラトンの規定をもう一度考えてみよう。“内戦”、すなわち、ギリシア内部での戦争が、《戦争》と呼ばれうるかぎりにおいて、じつは、その争いの中心にあるのは、ルールを書き換えることなのであり、既存のルールは破壊されるべきものとしてある――つまり、より“外戦”に近いのである。また、ギリシアとその他の地域とのあいだで行なわれる“外戦”は、《戦争》が現実であると同時にルールである以上、まるでその争いは、世界をあるルールの内部に引き入れよう、すなわち“内戦”に引き入れようとするのだ、と考えることも不可能ではないだろう。

その意味では、このプラトンの分類はむしろ興味深いものである。プラトンは、《戦争》を“外戦”において捉えたカール・シュミットに反して、《戦争》は“内戦”的であるべきだ、と言っていたが、わたしも、じつは、それに賛成である。“外戦”も“内戦”も含みこむ高次の“内戦”を考えることは、たしかに可能だからであり、そのことは、おそらく、《戦争》とは、概念であると同時に現実である、ということを、うまく「表現」してくれるだろうからである。“外戦”の概念について語ることは、むしろ、《戦争》にかんする思考の放棄であるように思える。なぜなら、われわれは、《戦争》が“外戦”であるかぎり、他者は彼方に遠ざけられ、自己のいる此方だけが思考の対象となる。つまり、“外戦”では、《戦争》の半分についてしか語ることができないのだ。あらゆる《戦争》を(外戦を含む高次の)“内戦”として捉えることによってのみ、内なる他者を思考し、《戦争》に対する責任を問うことが可能になるだろう。《世界》というテーマは、その表現とは裏腹に、“内戦”によってのみ、見出されるのである。《戦争》を“外戦”として捉えるかぎり、思考の平面は、《国家》以外のものを形成しない。《世界》という平面は現れないのである――対岸の火事だから、放っておけ、というわけだ。

たしかに、プラトンが“内戦”を顕揚したことは、皮相的に見れば、ルールに則って争いをするべきだ、ということであるように見える。だが、それは同時に、ギリシア人ソクラテスがギリシア人に対して行なったような共同体批判の顕揚をも含むということを忘れるべきではない。ソクラテスの自殺は、アテネの法に則ったものと見ることもできれば、アテネ人たちとの論争=戦争に敗れたものが負うべき必然として受け入れたと見ることもできるだろう。言論の人、ソクラテスが、ある意味で、自身の言論に命を賭けていた、と考えてもよいわけである。また、別の側面から見れば、ギリシア語の“外戦”=ポレモスを語源として持つ、ポレミカル(論争的な)というヨーロッパ語が、ソクラテスほど似合う人間も、そうはいないわけで、事態はそれほど単純ではない。“死に至る対話”を、普通の意味での(ルールに則った)“対話”と考えることは不可能である。“対話”とは、一般に、《戦争》に反するもの――平和の手段として考えられているはずだからである。ソクラテスの“対話”とは、きわめて《戦争》的なものと、考えられなくてはならない。

プラトンの読解はこのあたりにとどめておくとして、ともかく皮相的な意味での“内戦”と“外戦”、あるいは概念と現実という古い二分法を、弁証法のはたらき抜きに破壊的に合一化するものとして、《戦争》を考えるべきであろう(弁証法のはたらき抜きに考えるのだから、そもそも「合一《化》」という時間的でダイナミックな表現は避けるべきだろうが、ほかによい表現が見当たらない。本当は、ドゥルーズに倣って、「スタティック」な表現を探すべきだろう――もちろん、「スタティック」は、ギリシア語の“内戦”=スタシスを語源として持つ)。

しかし、この時点で、不思議なことが起こる。というのも、以上の視座からすると、《戦争》は、概念と現実の出会いを夢見ていることになるし、また、《戦争》は、そもそも概念と現実の出会いの謂いだったはずである。だが、少し考えてみればわかるはずなのだが、実は、仮に、概念と現実とが正確に出会うならば、《戦争》は、戦争を引き起こさない。そうした議論の余地のない両者の一致は、そもそも争いの芽を摘み取ってしまうからである。そこでわれわれは気づく。《戦争》は、戦争しない、ということに。現実に戦争が起こるのは、概念が現実と混同されるときであり(これをわたしは《怪物》的な事態と呼ぶ)、また、現実が、概念と混同されるとき(これをわたしは《人間》的な事態と呼ぶ)なのである。すなわち、真の危険は、概念と現実とが出会ったと誤って考えられたときなのである。そしてわけても最大の危険は、《怪物》的な事態と《人間》的な事態とが同時に起こったときなのである。かつて、一度たりとも現実と一致したことのない「国民=国家」という概念が、にもかかわらず、現実を装い、現実的に響くという点で、きわめて危険なものであることも、それでわかるだろう。

われわれが行なうべきことは、《戦争》を、《怪物》や《人間》たちの手から取り戻すことなのである。《戦争》は、戦争しないのだ。

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