戦前と戦後 II(ラフ)

criticism
2009.02.27

われわれは、戦前と戦後を見渡すことのできる世代である。戦前の60年と戦後の60年を比較して、そのどちらにも、ある種の共感を覚える。またそこに、思考の絶対的条件とでもいうべき不可避的な病があることも承知している。

たとえば戦後。ロラン・バルトが「テクストの快楽」について語ったとき、ジャック・デリダはすぐに、「テクストの外部はない」と言い直した。ミシェル・フーコーが「エノンセ」について語ったとき、あるいはジル・ドゥルーズが「差異」について語ったとき、柄谷行人はすぐに「固有名」と言い「物自体」と言い直した。これらの言葉の変更は、一見すればわずかなものだし、ほとんど同じものに聞こえる。すくなくとも同じ文脈のなかで出てきた概念であるようにみえる。変更といっても、より倫理的で、正当な進歩にさえ聞こえた。今から思えば驚くべきことだが、彼らは、だからおおむねひとくくりにあつかわれた。

ゲーデルやデリダの脱構築、いわば内部からの破壊を、柄谷は外側からのそれに変える。すなわち他者としての「物自体」、ここを批判の起点にするのである。それはヴィトゲンシュタイン的な転回だといわれる。だが、ヴィトゲンシュタインの「ゲーデルの脇を通る」「たとえば外国人」というやや《文学》的な表現、それがたとえ「物自体」とほとんど同じ意味を表すのだとしても、意味が同じであるなら、同じものといってよいのだろうか。認識しえぬものを表す、潜在的に否定形の表現を内包する「物自体」と、「たとえば外国人」という否定でも肯定でもないさりげない言い方が、本当に同じものなのだろうか。この微妙な差異は、その微妙さにもかかわらず、おそらくとてつもなく大きな差異である。いまはそのことを深く論じない。ただいえること、これは、戦後60年の思考の条件であり、病だろう、ということである。真っ直ぐに伸びるはずだった木の幹が、右や左に折れ曲がる。そのように、思考にはつねに屈曲がある。

しかし、わが身を振り返って考えれば、そのことは、われわれにも病が用意されているということを示している。それはおそらく、戦前と戦後の120年、世界大戦へと突き進む60年と、世界大戦後の60年とを、天秤にかけてしまうという、当のそのことが、一つ目の病である。われわれが、この病を拒絶できるとは思われない。だとするなら、むしろ望んでこの病を天秤ごと受け容れよう。そしてそのとき、「わたしはじつは健康なのだ」と言うだろう。

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