ものや出来事の起源を、あるいはそこにそれがありまたそれが起きることの必然性を、ひとはたどりたがる。このようなひとびとの思考は、かならずどこかで択一を強いる二つの選択肢にたどりつくだろう。すなわち、起源や必然性を可能にして […]
ジャック・デリダは言う。 比喩というのは、言語の起源ということである。なぜなら、言語はもともと隠喩的なものだからである。…隠喩は《意味するもの》の戯れとして存在する以前の観念あるいは意味(こう言ってよければ《意味されるも […]
今日、哲学、歴史学、そして文学の世界で、幅を利かせているのは一種のピュロン主義者たち、すなわち判断中止(エポケー)学派の群れである。たとえば、柄谷行人は教える、判断中止こそ、彼のいう「他者」へ至る至高の道のりである、と。 […]
数学は、自身の中に虚数imaginary numberを組み込むことにすでに成功している(イマジナリーと呼んだのはデカルトだが、この命名は今日ではあまりよくない)。現実にはありえないとされるにもかかわらず、すべての二次方 […]
ニーチェというひとりの人物が成長し、文献学者から哲学者へと変貌する姿は、ぼくたちを感動させる。そこには、なにひとつ無駄なものはない。そうした成長の物語――ひとりの独身ドイツ人の伝記作品を、ニーチェの生涯に見ることは、もち […]
いくらか専門的な話になるが、眠気と酔いにまかせて今日はつまらない話をしよう。この現象は、日本の特異な言説空間をよく示しているといっていい――日本の実証主義の構造についてである。構造――構造というのは正確ではない。もっと、 […]
言語論的転回linguistic turnについて、あまり理解されていない向きがあるようなので、この際、簡単に説明しておく。今日、歴史学にとっての言語論的転回の価値が、再び増してきているように感じられるから。 言語論的転 […]
19世紀初頭の歴史家、B.G.ニーブールは言っている。「歴史は明晰に周到に把握されるならば少なくとも一つの事柄に有用である。すなわちわれら人類の最大最高の精神といえども彼らの眼が見るための形式を如何に偶然に採用したかを知 […]
現象はそれ自体として物ではないから、現象を表象として規定するためには、現象の根底に物自体が存しなければならない。(カント『純粋理性批判』) わたしはカントのような見方をしない。つまり、視覚などの諸感覚によっては認識不能の […]