言語論的転回について

history
2006.02.18

言語論的転回linguistic turnについて、あまり理解されていない向きがあるようなので、この際、簡単に説明しておく。今日、歴史学にとっての言語論的転回の価値が、再び増してきているように感じられるから。

言語論的転回の典型的な誤解は次のようなものである。言語論的転回論者は、資料textが示す当時の《事実fact》の実証が不可能であることを主張した。歴史学者に可能なのは、実証とは切り離されたところ――ただ資料(言語/言葉)の中で、それを受け取る主観が、いかにアレンジするか、ということだけである。……

正確を期していうと、上の悲観的な理解は必ずしも誤解とはいえない。たとえばジャック・デリダは「テクストの外部はない」といったが、こうした誤解を受ける余地がなかったとはいえないし、そうした危険性と裏腹でもある。だが、この理解は生産性を欠いている。実証主義に対する有効な批判として、言語論的転回は、もっと生産的に解釈されるのが望ましい。そうでないと、「いや、実証は可能だ」、という楽観論を復古させる水掛け論か、あるいは「実証は可能でも不可能でもない」という、相対主義に陥ってしまいかねない。

ドゥルーズが指摘しているように、言語論的転回がカントの哲学(認識論的転回)にきわめて近いことを念頭においておこう。つまり、ここで重要なのは、物自体objectと、それを認識する主体subjectが作り出す一種の二重構造である。

さて、歴史家が扱い、少なくとも扱おうとするのは、《事実fact》であり、ファンタジーではない。したがって、歴史家は、資料textから《事実》の世界を実証しようとするように定められている。言語論的転回を主張する構造主義者が批判したのは、実証主義者が思い描いている、資料―《事実》という単純かつ硬直的なつながりである。

資料textには当然、書き手がいる。したがって、完全に客観的であるような資料は存在しない。また、他方で、資料textには当然、読み手(歴史学者)がいる。したがって、完全に客観的であるような読解も存在できない。

つまり厳密には、資料textと、それが示す《事実》というつながり以前に、そもそも、資料とそれを構成する書き手・読み手、という動的な構造が介在していると考えなければならない。したがって、資料から《事実》を実証しようとする以前に、まず、《読み手―資料―書き手》という構造の客観性が保証されねばならない。

だが当然、完全な客観性を保証された読み手や書き手は存在しない。少なくとも、ここでは、問題は、《読み手―資料―書き手》なのだから、資料と結びついていると考えられているところの《事実》を、唯一の客観的解答として、参照することも想定することもできない。むしろ、資料を介して読み手と書き手の形成する、動的な関係(構造)をひとまず抽出する必要がある。

(ここでは、当然、ひとびとの思い描く思想が重要になる、なぜなら、何らかの《事実》を具現するひとびとには、カントだとかマルクスだとかいった哲学史的な教養の有無とは無関係に、それをなす思想が必ず存在するからである。思想のない人間は、存在しない。あるいは、マルクスがいうように、動物と違い、人間は思想をもっている。)

ここで問題は、ではいったい《事実》とはなにか、ということである。

そこで、将来的にはおそらく歴史になると予想される《現在》について考えてみる。現在、《事実》なるものを語っている人間は存在しているだろうか? 政治家や政治学者、社会学者やマスコミの語る内容は、はたして《事実》だろうか? 否、それはそれぞれの思想から出た意見opinionではあるかもしれないが、けっして《事実fact》と正確に重なり合っているわけではない。わたしは、たしかに911テロが起こったと考えるが、しかし、わたしの言葉が示す内容は、けっして確実に《事実fact》であるというわけではない。究極的には意見opinionを超えることはできない。つまり、言葉textは、どうこねくり回しても、《事実》と、直接的かつ確実なやり方で結びつくことは、できない。《資料―事実》のつながりを夢想する実証主義者の期待とは裏腹に、資料と《事実》は、じつは、つながっていない。

では、《事実fact》は存在するのか、しないのか。するとすれば、いったいなにを《事実》とすべきなのか。

ここで、少なくとも言えることがある。わたしの言葉が発せられた、ということ(これをフーコーの用語で“言表enonce”と呼ぶ)は、かりに、わたしの言葉の読み手がいるとすれば、そのかぎりで、たしかに、《事実fact》である、と。少なくとも、西暦2006年2月半ばの地球上に、911テロが起こったと考えている人間が、確実に存在した、ということは《事実》である。

つまり、《読み手―資料―書き手》という構造は、《資料―現実》というつながりを致命的に切断すると同時に、ポジティヴな期待をも抱かせうる。なぜなら、資料に何らかの書き手が存在することだけは、どう考えても確実な《事実fact》だからである。しかも、資料と書き手の関係をあぶりだすのは、読み手(歴史家)である。読み手(歴史家)がいなければ、当然だが、資料と書き手の存在も不可能になるだろう。なぜなら、911テロが起こったと考える人間の存在証明を与えるのは、この文章の読者にほかならないからだ。すなわち、言語論的転回は、読み手(歴史学者)の存在保証すら与えてくれている(したがって、厳密にいうと、書き手が前もって存在するわけではない、という点には注意が必要である――資料とその読み手とが、書き手を書き手として存在させるのである。《読み手―資料―書き手》の関係は、共時的でなければならない(1)。資料に対して前もって書き手がいる、という発想も、資料―事実というつながり同様に批判される――要は項と項の織りなす共時的な構造のほうを重くみる、ということである)。

したがって、資料にとっての《事実fact》とは、そこから想像されるスペクタクルではない。《資料―事実》というつながりには、読み手と書き手の存在喪失という飛躍が含まれている。《読み手―資料―書き手》を重視する構造主義者にとっては、資料textが存在しているということそのものが《事実fact》なのである。言い換えれば、ジャーナリストや当事者の日記などを通じて構成される言葉の総体こそが、《事実》なのであり、当然、歴史学者がヘロドトス以来蓄積してきた歴史の記述もまた、同じもの、すなわち言葉の総体である。言語論的転回を受け入れた歴史学は、その行為がつねに‐すでに歴史に含まれるような、言葉の総体をめぐる二重性を帯びた実践となる。この、《事実fact》の位置そのものの決定的な移動を称して、言語論的転回と呼ぶ。そして、ここが重要なことだが、実証主義者にとっての《事実fact》は、構造主義者にとっては、カントの言う《物自体Ding an sich》となる。すなわち、存在するが、不明な《もの》、いわばネガである。この意味では、資料text(聖書)の上にスペクタクル(神)の存在を想定し、《物自体》(神)を物象化しようとする実証主義者の方が、より形而上学的で、さらにいえば、神学的迷信に依存しているのである。

将来的には、“911テロなど存在しなかった”、という奇天烈な歴史学者が現われることが今から推測される。それに対して、“911テロは存在した”と反論する歴史学者もいるだろう(もしかしたら、そんな歴史学者はいなくなっているかもしれない。そこで、未来の子供たちが奇妙に思うといけないので注釈しておくと、今日では、その手の学者がたくさんいるのだ)。

だが、いずれにしても、そんなことは、歴史学者のやることではない。少なくとも、わたしは、そんな水掛け論はごめんである。わたしが死ねば、世界は終わる、と考えている子供の意見、およびそれに対する大真面目な反論と、そうたいして違いがないからである。歴史学者がポジティヴにいうことができるのは、「911テロが存在した」と考えている人間が確実に存在した、ということであり、また、逆に、「911テロなど存在しない」と考えている同時代の人間は、今日、ほとんどいない、という事実だけである。保守派も、革新派も、イデオロギーの対立など無関係に、それぞれがそれぞれの理由で、「911テロの存在」を、《語っている》、ということだけは、《事実fact》なのである。歴史学者は、そこから、911テロの存在を、カントが《物自体》について語ったように、ネガティヴに語ることはできる(だからこそ、ベンヤミンの歴史の天使は、未来に対して背中を向けて飛ぶのだ)。だが、それは、当然、実証主義positivismの範囲外のことである。存在したかどうかを《決断》するのは、どちらかといえば、政治の役目であり、もっと限定していえば、たとえば歴史教科書を検閲する国家の役目である。世界中のすべての検閲者が、911テロの存在を教科書から抹消すれば、その時点で、911テロの存在はひとびとから消える。だが、歴史家は、それで、911テロの考察が不可能になるわけではない――911テロの資料textが確実に存在しているかぎり、そうした政治的判断とは別のところで、考察(抵抗)はつねに可能だからである――歴史家の名を失い、文学研究者とか神話研究者とか呼ばれることになるとしても。

さて、そこでさらに言えることがある。実証と、言語論的転回は、そこまで対立しているのか、ということである。むしろ、言語論的転回とは、確実な実証を目ざして行なわれた、一種の科学的な努力なのである。《読み手―資料―書き手》の構造が明らかになった時点で、実証主義者は自分の思うところにしたがって、そこから先に進めばよいだけのことなのである。だから、わたしは、むしろ不思議に思う。なぜ、実証主義者は、言語論的転回にそこまでヒステリーを起すのか? どうして、《認識》なるものを、そこまで抑圧しなければならないのか? わたしは、相対的に、構造主義者よりも、実証主義者が正しいと言う。わたしたちは、《モノ》に向かって飛ばねばならない。ただし――それは、ベンヤミンの言う意味で、後ろ向きに、でなければならない。言語論的転回linguistic turnは、実証主義者にとって、必要な後ろへの転回turnであるはずである。

【註】

  • (1) 《読み手―資料―書き手》という三位一体の共時性は閉域を連想させる。構造主義的観点からいえば、それは間違いではないが、実際には、《読み手―資料―書き手》の構造は、読み手/歴史家がさらに何ものかを書き、それが資料になることによって、破られ、連鎖する。すなわち、《読み手―資料―書き手/読み手―資料―書き手/読み手―資料……》といった具合にである。ポスト構造主義は、こうした構造が構造を呼び寄せる《シリーズ》を重視し、共時的空間の開口、すなわち構造の破綻を指摘した、と考えてもよい。

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