日本の実証主義の特異な構造について

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2007.06.17

いくらか専門的な話になるが、眠気と酔いにまかせて今日はつまらない話をしよう。この現象は、日本の特異な言説空間をよく示しているといっていい――日本の実証主義の構造についてである。構造――構造というのは正確ではない。もっと、模糊とした混淆物といったほうがいいのかもしれない。わたしはいくらか怒りを覚えているのでこれを書いているが、他方でどこか醒めている自分がいて、もはや彼らを説得する気はなくなっているし、議論する気もない。わたしはわたしの信じた道を行くのみである。

さて、デリダや、あるいはヘイドン・ホワイトのような言語論的転回(linguistic turn)論者の議論はご存知だろうか。もうずいぶん昔に流行ったもので、いいかげん次のステージに進んだ方がいいと思うが、暴力的に簡略化してしまえば、テクストの向こう側になにか実態があるというような、そうした議論についての根本的な疑義のことである。つまり、歴史学者(や社会学者)を批判していると考えればいい。歴史学は、資料の向こう側に過去のなんらかの事実があったという前提(ア・プリオリ)によって成立している。だが、それがいかに客観的事実と称して提示されようと、ついに歴史学者の解釈を超えることはなく、主観の産物を超え得ない、という批判である。要するに、過去はカントの言う“物自体”であって、“物自体”が不可知であるように、テクストという表象から過去を再現することはついに不可能だ、という議論である。つまり、歴史学とは、科学的な課題というよりは、認識論的な課題なのだ。

わたしは原則的にこの議論を受け容れる。正しいからである。とはいえ、この批判をそのまま日本の実証主義に敷衍できるとは思われないし、たんにこの批判は上滑りするだけだろう。なぜなら、日本の実証主義者は、そもそも自身の議論が恒久の真理だとは考えていないからである。《実証》という言葉が統整的理念にすぎないことを彼らは最初から知っているのである(こういう彼らの目ざとさは、おそらく、日本の地理的な条件から来ているのだろう)。

昨今の日本の実証主義者の多くが、《言語論的転回》論者の批判に次のように答えるだろう。「自ら提示する記述を永久不滅の真なるものと考える実証史家は存在しない」。つまり、実証主義者にせよ、それが客観的真理などという大仰なご宣託を述べられるわけではないことを知っている、というわけだ。また、彼らは次のようにいう。実証主義とは、理想論なのであって、たとえ目的にたどりつけないとしても、そこに向かって努力せねばならない統整的理念を受け容れることである、と。つまり、《言語論的転回》論者はなんとひどい虚無主義者であることか、というわけである。

こうして彼らの多くがハーバーマスの議論を導入する。つまり、市民相互のコミュニケーションを通じて、独断的ではない合意にもとづく真理あるいは客観性を構築しよう、というわけである。

この時点で、おかしいと感じたひとは、わたしは正しいと思う。つまり、彼らの言っていることは、結局《言語論的転回》以後のいわゆる構築主義者と同じことになっているからである。自分で何を言っているかわかっているのだろうか?

「わたしの論文は真理とはいえないのです」というわけだ。最初から自分の議論が討論にかけられるという前提で結論を出すような実証主義はありえない。それは実証主義とは呼ばない。しかし、もしそういう言葉で実証主義を擁護しているつもりなのだとしたら、おせっかいもいいところである。自分で仲間の息の根を止めているだけだからである。実証主義(=ポジティヴィズム)が理想主義的言明なのだとしたら、理想という“ポジ”に対して、個々の議論はつねに理想に対する“ネガ”にしかならないわけで、ネガをポジと言い張っているのであり、はっきりいって詐欺みたいなものである。

少なくとも、実証主義であるかぎり、自分の結論が客観的かつ恒久の真理であるということを、少なくとも結論を提示した本人くらいは主張しなければなんの意味もない。そうでなければ、期待すべき討論すら始らないだろう。教科書という形で国家の歴史が客観的真理として与えられなければならないというのは事実だし、そのことに個々の歴史学者はもっと敏感であるべきだが、そればかりでなく、自身の議論の責任を公共性に委ねるような責任転嫁は、仮にも構築主義者を反批判している実証主義者の言葉とはとうてい思われない。ハーバーマスの議論が受け容れられなくもない部分があるのは、あくまで、真理が《結果として》、よかれ悪しかれ公共性に委ねられざるを得ない、という場合である。たとえば、ニュートンにせよ、アインシュタインにせよ、彼らはそれを恒久の真理として主張した。だが、《結果的には》それらは合意にもとづく客観性を構築するにとどまった、という風には考えられる。とはいえ、彼らは最初から自分の言っていることが真理とはいえない、などとはけっして言わない。そんなものは詐欺なのであって、まともな学者ならそんな意識で学問的なモチベーションを保つのは困難である。そもそも、あるかどうかも定かではない“公共性”に判断を委ねることにしても、言語論的転回風にいえば、十分に形而上学的なのだ(晩年にハーバーマスと結託したデリダは一体なにがやりたかったのだろうか?――まあ、気持ちはよくわかるのだが)。

日本の実証主義者の問題は、要するに、彼らの多くが、一度も本気で実証しようなどとは考えていなかったことなのである。自分が実証主義だと思うのなら、せめて一度くらいは自分の議論が《客観的な真実である》、と言うべきなのだ。統整的理念という言葉に逃げ込んでいるかぎり、実証《主義》にすらなりはしないのだ。だが、もはや空しい期待はすまい。西欧の合理主義が《言語論的転回》に感じた衝撃を、日本の実証主義はほとんど感じていないのだろう。なぜなら、日本の実証主義者は、暗黙の構築主義者だからである。

とはいえ、わたしは、《言語論的転回》でとどまっているような、そういう議論を好んでいない。《言語論的転回》は、実証主義の努力が招く最初の挫折であるにすぎない。わたしは実証主義者を愛している。セザンヌが、すべてを「遠近法」に入れようとしたように、歴史学者は、かまわずすべてを「実証」のふるいにかけてみるべきである。遠近法を疑うことは、実証主義を疑うのと同じくらいに簡単なことだが、遠近法や実証主義が摩滅して、しまいには壊れるまで使い尽くしてみるのも悪いことではない。そうして本気で実証すれば、必ず、想像もしなかったような奇妙な出来事を書かされる破目になるはずだ。そうでないなら、おそらく、あなたは、どこかでデリダ主義的なごまかしをやったのである(しかし、こうしてみると、いつかは、《わたしはデリダ主義者である》などと言わねばならない日が来るのだろうか)。歴史は、もっと奇妙なものなのだ。

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