小林秀雄は、かつて「どんなに正確な論理的表現も、厳密に言へば畢竟文体の問題に過ぎない」(『Xへの手紙』)と語り、文学の本質を文体に求めていた。当然、芸術の本質は「フォーム(姿)」(「美を求める心」)にあると考えられた。文 […]
ハイゼンベルク(1)の不確定性原理Uncertainty principleは奇妙なものである。この原理を生活レベルに(つまりあえてマクロレベルに)翻訳すればこうなる。われわれがグラスなどの対象をみるとき、目から発せられ […]
芸術は、いったい、なにを行なっているのだろうか。プラトンの言うような、自然の模倣? それとも、アリストテレスの言うような自然に《対して》虚構を作りあげること? どちらも、それほど正しくない。それに、この問いにかかわってい […]
「鏡像」という言葉を聞くと、磁力のことを思い出すのだが、今日ではもっと別様な意味で、ラカン風に使われる。「鏡像段階」である。厳密な自己とは異なる鏡に映った像、すなわち虚構としてのイメージ、それを自分自身であると認識するこ […]
先日、大阪市立美術館で開催中の円山応挙展を訪れる機会を得た。 わたしには、とくに日本画の知識はない。しかし、画聖といえば、普通は応挙を指したはずだし、また、同時代――つまり化政文化時代の代表的作家である歌麿や写楽、北斎ら […]
書評は必要である。また、真に生産的なものとは、まずもって良質の書評から始まる。 たしかに以前、批評、あるいは思想が、文学を殺すと書いたことがある。だが、それは、むしろ歴史的に不可避なのであって、たんに否定すべきものではな […]
オスカー・ワイルドは言っている。「けっして起こらなかったことを正確に記述するのが、歴史家の仕事である」と。JLGの作品にも引用されていたこの言葉は、いかように解釈されるべきなのだろうか。 歴史家は、その探求の対象に、前期 […]