コロナはつづく。またもリモートでの講義となった。教養の講義「歴史学」第3回の動画をアップロードしたので、興味があれば、どなたでも。 社会は閉塞して、ウイルスがもたらす以上の息苦しさを人類自身に与えている。 存在は場所を必 […]
ものや出来事の起源を、あるいはそこにそれがありまたそれが起きることの必然性を、ひとはたどりたがる。このようなひとびとの思考は、かならずどこかで択一を強いる二つの選択肢にたどりつくだろう。すなわち、起源や必然性を可能にして […]
わたしは文献に日々たずさわる文献学者である。その立場からみた最大の痛恨事のひとつは、一部のストア哲学である。その重要なテクストが、いまでは灰になってしまい、復元などとうてい不可能な程度の断片だけが残されることになった。と […]
人類史上最初の観念であるように思われる、《神》。それは、言い換えれば、無を超えて不在を思考することである。観念がなんらかの実在と結びついているかぎり、それはけっして最初の観念とはなりえない。《実在という外部からの刺激》に […]
久しぶりに、ホメロスの『イリアス』(松平千秋訳、岩波文庫)を読んだ。ぼくがホメロスをはじめて読んだのは、中学か高校の頃だった。実家には、ギリシア悲劇の全集はあったが、ホメロスはなく、それで図書館で借りて読んだのだ。誰に薦 […]
いつしか、わたしは不思議な感覚に囚われるようになった。それは、歴史よりも、文学のほうが、大きな概念なのではないか、ということだ。なぜ、ホメロスは、歴史家ではなく、文学者と呼ばれるのだろうか。『イリアス』は、なぜ、歴史書で […]
「わたしは理論的に小説を書こうと思っているし、君もそうすべきだよ」といったのは夏目漱石で、彼はわたしの胸の上に乗って、両腕を押さえつけた。わたしはもがきながら、「それでは自由がないじゃないか!」と言ったかと思うと、それで […]