言葉という出来事(ラフ)

criticism
2007.11.07

「わたしは理論的に小説を書こうと思っているし、君もそうすべきだよ」といったのは夏目漱石で、彼はわたしの胸の上に乗って、両腕を押さえつけた。わたしはもがきながら、「それでは自由がないじゃないか!」と言ったかと思うと、それで目が覚めた。

つい先日のことだが、われながら、じつにくだらない夢をみたと思う。いま時間に追われて書いている文章が、頭から離れないから、こんな夢をみるのだろう。よく寝付けない。パソコンに向かって、毎日キーボードを叩いている。文章を書くたびに、孤独が増していくような、そんな感覚を抱くこともある。どうして、こういう表現しかできないのか。もっとよい表現があるはずだ……。

何度もいうが、こんな夢は、どうだっていいことである。たかだか自意識がこの夢を見せているにすぎないし、こういう夢をみること自体が、非常に自意識的なことだと思う。とにかく、そういう葛藤を振り捨てて、書かなければならない。

わたしがはじめて歴史に触れたとき――小学校の三年くらいのことだと思うが――、奇妙な昂奮を感じたことを覚えている。歴史は、桃太郎や鶴の恩返しのような、いわゆる「昔話」ではない。本当の話なのだ。子供は、ほとんど生まれてすぐに、言葉を括弧に入れることを教えられる。つまり、親から、物語を聞かされる。もちろん子供のわたしは昂奮するが、それは本当の出来事ではなく、すぐに、それが架空の物語であることを学ぶだろう。サンタクロースはいない。仮面ライダーもいない。ガンダムもいない。しかし、歴史にかんしては、大人はこういったのだ――それは、本当の出来事だよ、と。祖父の祖父の祖父の…そのまた祖父の時代に本当に起こった出来事。カエサルは本当にいたし、ナポレオンも、豊臣秀吉も、本当にいた。あのホメロスの『イリアス』でさえ、じつは、《本当の出来事》だったのだ。わたしははじめて、括弧に入れないで言葉を使用することがありうるのだということを、知った。歴史という剥き出しの言葉――わたしにとっては、それ自体が、出来事だった。本棚にしまわれた無数の物語のなかで、歴史の本は、燦然と光り輝いてみえた。

わたしは読書が嫌いで、家でも一番本を読まない人間だった。が、中学のときに、読書を強制されて、それなら、と手にとったのが、数多い小説ではなくて、『旧約聖書』であり、すぐに挫折したが、そのあとで、プラトンの『ソクラテスの弁明』を読んだ。親に聞くと、やはり、それは本当の出来事だと言った。そしてわたしは、再び昂奮した。それからエドガー・アラン・ポーを読むようになり、小説にも、なにがしかの真実が書かれていることを知った。マリー・ロジェの謎に昂奮した。メエル・シュトレエムに飲まれてにも昂奮した。振り子と陥穽や黄金虫にも昂奮した。それから森鷗外を読んだ。家に全集があって、全部読んだが、これには昂奮できず、ただ惰性で読んだ。そこでわたしの読書熱は冷め、わたしはもっぱら音楽を聴くようになった。ニーチェやプラトンは読んだが、それ以外は、ほとんど音楽を聴いて過ごすようになった。受験勉強などほとんどしなかった。

大学に入り、歴史学を専攻した。音大を薦められたこともあったが、歴史学を選んだ。おそらく、子供のころに感じた《本当の出来事》に対する昂奮を、身体のどこかが覚えていたのだろう。それに、言葉に対する未練があったのかもしれない。もちろん、その選択は、歴史学がどういうものなのか、なにも知らない、幼稚臭い選択だったといえる。わたしは本当に幼かった。ただ漠然と、歴史学を選び、そして歴史学の現状に、いっぱしに絶望していたように思う。実証主義は、小説とは距離をとろうとするし、だから、科学的であろうとする。だから実証主義は、「実態」をあつかう。「実態」とはなにか――それは、たとえば、こういうことだ。外務大臣が、他国とある条約を結ぶ。これが「実態」である。ある戦争で、戦車が何台破壊された。これが「実態」である。しかじかの制度は、しかじかの官職は、いついつに、だれかれを支配するためにつくられた。これが「実態」である。

子供なら、《本物のような絵》には、誰でも昂奮する。もしかしたら、これは本物かもしれない、と思うからだ。これって、本物じゃない? 何度も見返す。本物かな? 美術館にあるけれど、なんだかこれだけ本物みたいだ。もちろん、すぐに、それは絵であり、そうした感情を括弧に入れることを学ぶ。だが、しかし、その絵を描いた画家は、見る人に、そんな昂奮を喚起させたいから、そういう風に描くのだ。もしわたしがその画家なら、「これは絵ですよ」と教える親を憎むだろう。そんなことは、子供は、とっくの昔に知っている。これはもちろん、絵だ。だが、にもかかわらず、子供はそれを本物だと思うのだ。もっと複雑な動揺を覚えているのだ。しかし、大人は、「これは絵ですよ」という回答で、子供を無理やり安心させてしまう。

それに、サイコロを、本物のように描くのは簡単である。だが、木や森や、そして動物や人は、そうはいかないだろう。目を鍛え、腕を鍛えなければならない。歴史も、これと同じである。簡単だからといって、サイコロだけを描けばいいというわけにはいかない。だが、歴史学者は、サイコロだけを描いているのだった。なぜか――それが「実態」だからだ。

歴史もまた、物語である、という言葉に、青臭いわたしは、自分の絶望を肯定された気がして、素直に聞いた。歴史には、「人間」が書かれていない。そのとおりである。人間はもっと内面的で、意識的で、苦悩していて、すべてを面には表さない。言葉は自意識の産物で、現実ではないし、だから歴史もまた《本当の出来事》ではない。言葉は、やはり、全面的に括弧に入れるべきなのだ。できるとすれば、せいぜい、思想史だけだ。実証主義の標榜する客観性よりも、構成主義の主張する統制された主観性を。……

それで、思想史を研究するようになった。当時はそれで納得していた気になっていたが、やはり、それは欺瞞だったように思う。《出来事》は、いったい、どこにあるのか。実証主義があつかう「実態」でもないし、思想史があつかう「思想」でもない。おそらく、《出来事》は、そのあいだにある。剥き出しの言葉、言葉がそのまま、出来事であるような、そんな言葉が、絶対にどこかにある。

子供は、今日あったことを、ひとに伝えたいと思う。今日、こんなことがあったよ、あんなことがあったよ。それでね……。それは、《出来事》である。「実態」でもないし、「思想」でもない。徹頭徹尾、それは《出来事》でなければならない。

柄谷行人はこういっている。

漱石は『文学論』の中で、こういう例を挙げています。シェークスピアの『オセロ』という劇で、有名な悪役のイアーゴーという人物が出てきますが、怒った観客が俳優を射殺した事件があったそうです。その観客は、それが演劇であることをわきまえていなかった。しかし、それが芝居であることをわきまえるには、なかなかの文化的訓練がいるのです。その証拠に、今でも、テレビの俳優などを、彼らが演じた役の通りの人物だと思いこむ人たちが大勢います。犯罪者をヒーローにするのは怪しからんという人は今でもいますし、また、事実、映画や小説の真似をしたりする人もいるわけです。漱石は、さらに、裸体画を例にあげています。裸体画を、性的な関心を括弧に入れて見ることは、当初は難しかった。漱石自身もかなりショックを受けたのではないか、と思います。
くりかえすと、カントは、美的判断を、関心を括弧に入れることにおきました。ある物が芸術であるか否かは、それについての諸関心を括弧に入れることによってのみ決められる。その物が自然物であろうと、機械的複製品であろうと、日常的使用物であろうと、関係がありません。それに対する通常の諸関心を括弧に入れて見るということ、そのような「態度変更」が或る物を芸術たらしめるのです。『倫理21』平凡社、2000年、66‐7ページ。

一体、彼は何を言っているのだろうか。わたしには、言っていることがまったくわからない。いや、かつては、わかった、というか、わかった気になっていた。かつて――というのは、思想史に可能性をみていた頃のことだ。物自体‐認識、という対のなかで、ひとが意識的に行なうことは、すべて認識の範疇に収まってしまう。物自体とは区別された、認識の内部で、対象に応じて、態度を変更することが重要である。

わたしは笑ってしまう。柄谷行人を批判することは、かつてのわたしを批判することだ。わたしはいう、否、だ。それはちがう。射殺された俳優は、人間としては不本意だろうが、芸術家であるかぎり、むしろ本望であるはずだ。芸術は、ずっと、入れたりはずしたりできるような、そんな忌々しい括弧を放擲したいと考えているのだ。ひとびとの認識を越え出ることを欲望している。美は認識の側にあるのではない。美は、それ自体が、存在なのだ。カンヴァスを出なければならない。舞台から出なければならない。今日起こったことをひとに伝えようとしている子供は、それが、本当に起こった出来事だと思って欲しいから、喋っているのだ。今日ね、学校でね……。芸術作品が可能になるのは、そうした括弧を放擲するからこそ、可能なのである。裸体画に、性的欲望を掻き立てられる、それで正しいのだ。エロティックなものをいかに括弧に入れたところで、それではいつまでたっても芸術作品は可能にならない。プラトンは、なぜ、エロスを完全に肯定したのか。エロスは、どのような場所であろうと、完全に肯定されねばならない。そこにしか、知はないし、美もないのだ。

彼はまた漱石の言葉を引きつつ、こうも言っている。「しかし、「有りの儘に隠しもせず漏らしもせず描く」ことは、実は不可能です。漱石がその可能性を「小説」すなわち虚構に見出しているのは、そのためなのです」(同書80ページ)。

ちがう。「有りの儘に隠しもせず漏らしもせず描く」ということは、そもそも必要がないし、どうでもいいことである。わたしが歴史学をやっているのは、そうした括弧をすべて放り投げしまう可能性を追求したいからである。これは《本当の出来事》だ、というただそれだけを言うために、わたしは歴史をやっている。所詮言葉なのだから、本当の出来事とは違うでしょ、という愚かで自意識的な大人がかぶせる括弧を、言葉から取り外したいのである。それは、小説であろうと、同じことである。小説は虚構だから可能性があるのではない。小説は、そして芸術は、真実を描こうとするからこそ、可能性があるのだ。

自意識の球体を破砕せよ、といった小林秀雄は正しい。花の美しさなどない、美しい花があるだけだといった小林は正しい。美は、そして言葉は、認識の側にではなく、自然の側に属している。けっして、日本の文学は、内面的でもないし、国民国家など作ってもいない。そういう勢力があったことはたしかだとしても。戦前の文学は、たしかにすばらしかった。

フーコーは、そうした言葉の可能性を追求した、数少ない歴史家である(わたしを正しい道に引き戻してくれたのは、ニーチェとフーコーとドゥルーズである)。そうした言葉を、彼は、「言説」といい、もっと厳密化して、「言表」といった。彼は、ディスクールの概念を用いて、ベラスケスを絶賛した。彼の絵画は、カンヴァスをはみ出し、真実の方へと、足を踏み出しているのだ。彼は、カントが――というよりはカント主義者がのちに作り上げることになる馬鹿げた境界線を、露骨にも踏み越えたのだ。だが、どういうわけか、それをひとは、ベラスケス批判だと受け取ったようである。言葉が透明になるというフーコーの表現を、いちいち誤解して、言葉を物に付せられた一種のヴェールだと受け取ってしまったようである。美術批評を否定的判断と心得る日本の知的文脈が、フーコーの絶賛に否定的な響きを加えてしまったのかもしれない。透明な言葉、とは、言葉がそのまま出来事であるような、そうした言葉のことである。そこでは、言葉と出来事とのあいだに、境界線はなくなってしまう。言葉は、それ自体が、意識を飛び出して、《もの》の側に属するようになるのだ。「言説」という語の《意味》を、本当に理解している人は、おそらくほとんどいない。かなりのひとが、どうやら誤解していると思う。ディスクールは、批判の道具ではない。むしろ、徹底的に、ポジティヴである。ディスクールなしには、歴史は不可能である。フーコーは、古典主義時代を、そして自分が所属している以外のあらゆる時代を絶賛したのだ。

カンヴァスを出なければならない。舞台から出なければならない。言葉を意識の檻から脱獄させねばならない。言葉は比ゆではない。言葉は虚構ではない。言葉は、本質的に、自然の側に属している。なぜなら、それは、世界そのものが、カンヴァスであり、劇場だからである。カントのように、カンヴァスとその外とのあいだに境界を設けることでもなく、ヘーゲルのように、その境界の内と外を統合してすべてを精神の世界にしてしまうことでもなく、デリダのように、内と外との境界を受け容れたうえで脱構築することでもない。《すべては、外なのである》。カンヴァスや舞台でさえ、そして言葉や精神でさえ、《外》なのであり、だから逆にいえば、すべてはカンヴァスであり劇場なのである。(精神でさえ、自然なのだ。内という外があり、また外という外がある。過去とは、過去についての現在であり、現在とは、現在についての現在であり、未来とは、未来についての現在である。)だから、生そのものが、美学的でなければならない。そこにしか、出来事はないのである。

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