聖典にかえて余白を

criticism
2011.02.01

わたしは文献に日々たずさわる文献学者である。その立場からみた最大の痛恨事のひとつは、一部のストア哲学である。その重要なテクストが、いまでは灰になってしまい、復元などとうてい不可能な程度の断片だけが残されることになった。とにかく一番の大物、クリュシッポスのテクストが失われた。

テクストは、こうして簡単に灰になってしまう。その点でいえば、歴史学者は、いかに多くの国家が生まれては消えてきたかも、よく知っている。

ギリシアは滅びない、というのは簡単だ。だが、いまも恐ろしいほどの速度で燃焼し、灰燼に帰そうとしている。つねに隣にいてくれる天皇制のおかげなのか、日本にいると、そのことは見えにくくなる。テクストなき場所で、もはや「解釈」は通用しない。われわれに可能な唯一の方策は、ニーチェのように、《暗誦する》ことだけである。

たとえばここで、多くのひとたちがつぶやいている。これらは、フォークロアにはなるだろう。しかしこの声を、いかにして声のままで(つまり国家を経由せずに)歌として掬いあげるのだろうか。この問題構成においてはじめて、われわれは、世界史と世界文学とを書くスタート地点に、つまりギリシアに立つことができる。

繰り返せば、われわれがアレクサンドロスのすぐ後の時代のストア哲学を失ってしまったのは、悔やんでも悔やみきれぬことである。だがこうもいえる。この哲学が残されていたなら、二〇世紀後半の哲学はほとんど必要がなかった。裏を返せば、テクストが燃え尽きたからこそ、二〇世紀後半の哲学は花開いたのである。

昔、紙の成分はこれこれだ、適切な室温はいくらか、などと保存のための科学的分析に耳を傾けながら、ある古文書の書庫で仕事をしていたとき、水道管が破裂したことがあった。館内の一部は水浸しになってしまった。さいわいにして文書は無事だったが、内心、笑ってしまった。文書保存のためのハイテク施設に大地震が来たら、あるいは大洪水が来たら、いかほどか賢しらな科学主義を文書に塗りこめようと、それで一瞬にして終わりなのである。

文書を残すことにかけては相当に熱心だったローマの古文書も、火災や戦災で多くが失われた。どれだけテクノロジーを重ねても、筆写に優る保存法はない。つまり原典にこだわるよりも複製を残すほうがはるかに有意なのである。そして考えてみれば、文字、すなわちテクノロジーを使ってはいても、やっていることは口伝と変わらない。われわれが目にすることのできる古事記も源氏物語もすべて写本である。不思議なことに、「残る」という言葉を使うとしても、古い書物は、現実には、こうして生滅を繰り返しているのである。

写本だけがこの世界に《残っている》。この事実は、多くのことを考えさせてくれる。国家とは、ある意味でこのような生滅の概念の拒絶であろう、ということだ。氏族社会において、すべての子孫には、父祖の刻印があるように、近代社会には、あらゆる記憶を詰め込んだ壮麗な書庫がある。だが天災は、一瞬にしてそれらを壊滅させる。忘却を受け入れることのできぬ国家は、これを忘却と呼ばず、悪意をこめて無(政府)という。

永遠の実在を拒絶し、生滅のなかにこそ歴史があると知っているひとは、書庫にかえて、歌い継ぐ、というやり方を選ぶ。たとえばニーチェが、己の書物を解釈するのではなく、そらんじてくれることを願ったように。聖書や論語のように唯一の聖典をひたすら解釈するのではなくて、ただ歌い継ぐことによってのみ、本当の世界を五感のうちに受け入れることになるのだ。

太古のフォークロアは、ついにホメロスの名を冠する世界文学となった。この文学は、国家を生み出すよりも先に、民衆だけからなる共同体を生み出した。こうした共同体を理想とし、またそれを変化させつつ受け継いだ近代人は、たとえホメロスを読んだことがなかったとしても、ホメロスの歌を聞いているのである。

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