希望について

criticism
2006.09.25

ニーチェは、どこかで、ギリシア人が「希望」にほとんど価値を与えていなかったことに注意を促している。そのことは、近代人には不可解なパンドラの神話にも明らかである。この神話のプロット――といっても、諸説あるストーリーを、いくらか史的かつ哲学的なエッセンスを加えつつ、わたしなりに総合したものだが――を話す前に、登場人物に少しだけ注意を喚起しておこう。

この神話における重要な登場人物に、プロメテウスとエピメテウスという兄弟神がいる。古いギリシア語を文字通りに読めば、前者は“前もって知る者”であり、後者は“後から知る者”である。今日の日本でも、プロローグ(プロロゴス)やエピローグ(エピロゴス)という語は人口に膾炙しているし、また、メティスという知の女神(アテナの母にして、エロスの祖母)がいたことを想起しておくのも悪いことではないだろう。ともかく、プロ‐メテウスは、すべてを前もって承知しており、彼はゼウスとティターンの争いの勝者がいずれになるかも知っていれば、のちにゼウスから与えられることになる惨たらしい責め苦――すなわち、コーカサスの岩に縛り付けられ、一羽のはげ鷹に永久に自分の肝臓を給餌しつづけるという――をも、事前に承知していたのである。他方のエピ‐メテウスは、“後から知る者”である。すなわち、忘却の神である(後から知る、という契機がなければ、ひとは忘れていることにさえ気づかないからだ)。彼の名が明快に示している通り、忘却は、単なる無知とは違う。とはいえ、普通、彼はいかにも愚かな神として描かれる場合が多い。

プロ‐メテウスは、土くれと雨水をこね合わせ「人間」を作り、そして彼らに火を与えた。また、神々に供物を捧げる際、肉を人間が食べ、骨をゼウスへ捧げるよう決め(させ)たのも、プロ‐メテウスである。このあたりのゼウスとプロ‐メテウスの痛快なやりとりはまたどこかで触れることもあるだろうが、パンドラの話に進もう。いずれにしてもプロ‐メテウスに反感を感じていたゼウスは、懲らしめのために、プロ‐メテウスお気に入りの人間に災厄をもたらすことを思いついた。すなわち、アフロディテの美とヘルメスの狡知を持つ、あの、「女」を作ったのである。個人的にはこの論理展開もにやりとさせられるのだが、いずれにしても、「女」――パンドラは、プロ‐メテウスの弟、エピ‐メテウスに花嫁として与えられた。

もちろん、プロ‐メテウスはゼウスの悪巧みを承知しているから、エピ‐メテウスに対してパンドラの動向に注意するよう、忠告を与えている。そしてもちろん、エピ‐メテウスはそんな忠告のことはきれいさっぱり忘れているから、パンドラの行動などおかまいなしである。そして悲劇は起こった――兄弟の家に代々伝わっていた甕――あらゆる災厄の詰まった甕の蓋を、あろうことかパンドラは開けてしまったのである。あらゆる災厄が人間世界にあふれ出した。かつて聞いたことのないような嘆きや怒号が耳をかすめ、大地を見晴るかす地中海の太陽をアスファルトのような暗雲が覆い隠した。オリュンポスの輝かしい絶巓さえ見えなくなった。突然あたりが暗くなり、エピ‐メテウスはふと何かを思い出した。つまり、誰かの忠告を忘れていたことに気づいた。いや、忠告だったかどうかも定かではない。胸騒ぎがして彼は奔馬のように帰路についた。そこには、口を開けた甕と、頬を涙で濡らす美しい女。神だろうか、人だろうか。そうだ、思いだした、彼女は人間だ。彼は、蓋の外れた甕をみて、血相を変えて甕にしがみついた。怒り狂う兄の姿が、彼の脳裏に浮かんだだろうか。それとも、兄のこともまだ忘れていたと考えるべきだろうか。いや、血相を変えたことも、家に帰ったことになにか因果性があるかどうかも、保証はできない。なにしろ彼は忘却の神だからだ。いずれにしても彼は、甕の底に何かが残っていることに気づいた――すなわち、《希望》である。

その甕に入っていたのは、今後、人間世界で生じることになる、あらゆる災厄である。痛風やリウマチ、争いや死、嫉妬や怨恨、そして希望である。もちろん、わたしたち近代人は、どんなにつらく苦しい時でも、希望だけはなくならない、という辻褄合わせで、この神話を微温的に解釈するのが通例だが、どう考えても、ギリシア人にとって、《希望》は「女」同様、災厄のひとつである。

つまり、こう解釈すべきなのだ。運命があらゆる人間の死を宣告しているにもかかわらず、この忘却の神が残した《希望》のせいで、人間は、悲劇的な生を歩まねばならなくなったのである。したがって、エピ‐メテウス同様、蒙昧とは言わぬまでも、《希望》は、ほとんど無知に近いネガティヴな言葉である。

歴史において、すべては、あらかじめ定められた運命に従う。歴史において偶然は存在しない、というのは本当である。ひとが過去を振り返るとき、すべてが必然であったことを知るだろう。中国大陸でひそやかに行なわれた小さな蝶の皇かなはばたきが、アメリカ大陸で巨大で寧猛なハリケーンになることも、結果としては起こりうる。雨の天気予報が外れたとしても、それは天気予報が外れたのであって、偶々だということはできない。後から考えれば、実際には晴れると予報すべきだったということになる。歴史において、偶然は存在しないのだ。ただし、人間がそのことを知るのは、やはり後から、すなわち反省においてである。現在は、すべてを偶然の相に見せるが、それは、すべての因果関係を忘却しているがゆえにであり、そうした忘却から発するのが、《希望》なのである。

この《希望》のゆえに、人間は反省を忘れて、後悔する。今わの際で、「後の祭り」を嫌というほど味わわされる。あのときこうしていれば、わたしは自由だったのに。どうしてわたしは《希望》してしまったのか。カントが言うように、人間はいつも、自由の存在を後から知る。過去を振り返り、反省する。すなわち、自己嫌悪=歴史に塗れる。そして死ぬとわかっているのに、《希望》し、生きてしまう。まるで、《希望》はむしろ、歴史と死とを繋ぐ一種の蝶番か何かのようだ。

わたしが気に入っている歴史的エピソードがある。それは紀元前五世紀のアテネで起こったことだが、近代の歴史家に、長く信じられてこなかったエピソードである。すなわち、第二次ペルシア戦争時にとった、アテネの将軍、テミストクレスの作戦である。いや、作戦と言うべきではないかもしれない。というのも、この「作戦」は常軌を逸しているからだ。

俗にサラミスの海戦と呼ばれるこの戦闘において、テミストクレスの採った「作戦」はこうだ。女、子供、老人はすべて同盟市に退去させる。そして戦える男たちは、みな海上へ出る。要するに、自分たちの住んでいた土地を、完全に放棄したのである。ペルシア帝国の大軍がギリシア最強のスパルタ軍を破るなどの戦勝を重ねて、大挙アテネに進軍する。だが、勝ち誇るクセルクセスが見たのは、無人の都市である。彼は勝ったと思っただろう。目標としていた都市を占領したのだから。スーサからアテネまで、長い長い行軍の日々は終わる。目標は達成されたのだ。ペルシア軍は高笑いにアテネの広場を軍靴の底で踏みつけにした。だが、そんな高笑いも、すぐに空しい響きに変わる。貧しいアテネを占領したところで、一体、何になるというのだ? やっと掴んだ拳が握り締めていたのは、おのれの汗と、吐く息だけ。結局、彼らは敵を求めて、すなわち充実した勝利を求めて、狭いサラミス湾に出ることになる。……

わたしはこのエピソードが痛快でならない。本当に腹を抱えて笑いたいくらいだ。彼我の差は絶望的である。世界の富を集め、巨象のように地上を闊歩する文明国ペルシアと、片田舎に住み、そのほとんどの時間を海上で過ごしている小さな蛙のごときアテネ。おそらく、アメリカとイラクの差の比ですらないだろう。ほとんどの都市が、ペルシア側についた。唯一ヘラス側に残った頼みのスパルタも、もはやない。この絶望的な差が、アテネ人をしてこのような「作戦」に踏み切らせたのだ。もちろん、海戦で勝てる保証があるわけではない。勝てるだって? もう勝敗は決している。ゲーム盤の上では、ペルシア人の勝利なのだ。あとは、ギリシア人が逃げる番である。逃げることに何の躊躇があろう? 敗北したら、逃げると、相場が決まっているではないか。とはいえ、一目散に逃げる必要もない。妻子は遠く同盟市にあり、男たちは、進むも退くも、自由だからだ。逃げる前に一泡吹かせたってよいのである。彼らは海の民だ。気が向いたときに、群島のあいだを縫って逃げればいいだけだ。逃げるときくらい、こちらの逃げたいときに逃げさせてもらう。

近代人は、この事蹟を伝える碑文が発見されるまで、これが「作戦」であると、信用しようとはしなかった。そもそも、アテネを占領された時点で、負けではないか。ペルシア人同様、大地に縛られた文明人である近代人は、これが「作戦」であることを理解できない。だから、彼らは、この「作戦」を、「作戦」ではなく、逃走であると理解した。つまり、なにかひどい混乱の内に逃走状態になり、軍をまとめて引き返したテミストクレスによって、追跡してきたペルシア軍が奇跡的に打ち破られたのだ、と。だが、碑文が発見されるや、近代人は今度は手のひらを返したように、アテネを守った策略として、この作戦を称賛し始めるだろう。

わたしは、どちらも間違っていると考える。前者にはあれは「作戦」だと言うが、後者には、あんなもの「作戦」であるはずがないと言うだろう。要するに、彼らは土地を捨てて逃げたのであり、それもひどい混乱の内にではなく、テミストクレスに率いられて、粛々と逃げたのである。アテネを守る気などさらさらなかった。彼らはあまりにも鮮やかに負けた。その鮮やかさは、ひとりも死者を出さなかったほどなのであり、そればかりか、当の勝利者であるクセルクセスに、その勝利を気づかせなかったほどなのだ。彼らは、《希望》なんて、これっぽっちも考えなかった。完全に《絶望》していたからである。アテネはもう終わりであり、死んだのである。要するに、運命は死と決まっていたのであり、彼らは最初から逃げるつもりで戦ったのである。そもそも、ペルシア軍が都合よく海に出てくる可能性なんて、ほとんどなさそうなことではないか。

だが、テミストクレスは確信していたに違いない。そもそも、彼は《希望》などとは無縁なのだ。だから、ペルシア軍が「都合よく海に出てくる可能性」なんて、まったく考えなかった。つまり、彼は、「必ず海に出てくる」と確信していたのである。希望などという非‐知性的なものには一切頼らなかった。彼は、ついに、アテネの滅亡という《絶望》に至るまで、考え抜いたのである。

この抱腹絶倒のエピソードは、じつは、《絶望》が、きわめて知的なものであることを教えてくれている。すべてを前もって知る者、プロ‐メテウス。彼がそのような属性を持っている限り、結局のところ、パンドラの神話は、プロ‐メテウスの《絶望》によって、最初から仕組まれていたと考えざるをえない。つまり、エピ‐メテウスの忘却は、はじめから織り込みずみだったはずであり、わざと、エピ‐メテウスの属性を、《忘れて》忠告したとしか考えられないのである。忘却は、知的な選択なのだ。

この言い方はきわめて逆説的なものになるので、いささか難解になるのを承知で言うが、すべては、プロ‐メテウスの《絶望》の支配下にある。だとするなら、痛風や怨恨といった災厄はおろか、《希望》もまた、《絶望》の産物なのだ。わたしたちは、つい、安易に《希望》を口にする。だから、盲目的に運命に付き従うことになる。そして、後悔を避けることができない。「あのときアテネを出ていれば、わたしは自由だったのに!」 そのような《希望》は、たしかに災厄であると言うべきだろう。わたしたちは、むしろ、《絶望》せねばならないのだ。《絶望》に至るまで考え抜くことによってのみ、わたしたちは、真の《希望》に至ることができる。テミストクレスが、アテネを捨てるまでに《絶望》したとき、はじめて、《希望》の光が差したように。

この地点までくれば、じつは、プロ‐メテウスがあえて《忘却》を選び取ったということ――エピ‐メテウスの兄に対する超越をみてとることすら可能だろう。《絶望》が善きものであり、そして《希望》が《絶望》の産物であるならば、《希望》もまた、“病”や“怨恨”、そして“生”や“女”同様に、つまりあらゆる災厄もまた、善きものであるはずなのだ。コーカサスの岩に縛り付けられている兄は、喜んで、弟に未来を託した。この兄弟のあいだに流れる深い絆や愛情を、わたしは感ぜずにはおれない。《希望》が善きものでありうるのは、それが《絶望》の産物である場合だけなのである。

だから、わたしたちは、《希望》はできるだけ遠ざけるようにしよう。《希望》は、甕の底に閉まったまま忘れておくくらいで、ちょうどよいのである。まずもって、わたしたちは、本当に《絶望》できるようにこころがけねばならない。

ギリシア神話によれば、パンドラのエピソードの後、大地を狂乱が覆いつくし、ゼウスはついに大洪水を起して人類を死滅させようとする。だが、そこに一組の人間のカップルが残った。プロ‐メテウスの子、デウカリオンと、エピ‐メテウスの娘、ピュラである。荒廃した大地だけを残して仲間を失い、涙に濡れ、悲しみに打ちひしがれる彼らに、ひとつの神託が降りた。「神殿を出でよ。頭をおおって、帯で結んだ衣を解くように。そして大いなる母の骨を背後に投げよ」(オウィディウス『変身物語』)。エピ‐メテウス――忘却の神の娘であり、美しく誠実な女、ピュラはいう、母親の魂を傷つけるなどできない、と。デウカリオンは、「大いなる母」を「大地」と、そして「骨」を「石」と解釈することで、ピュラに決断を促そうとする。だが、彼女は、いずれにせよ、それらが母親の魂を傷つけることになるということを、知っていたようである。結局、彼らは、絶望のうちに神託を実践する。というよりも、その行為自体が絶望そのものを表わしているのである。捨てられた母の骨は次第に肉や血管をまとい始め、ついには人間の姿となり、かくして、彼らはそれ以後生まれた人間の父母になった。彼らは、あえて母の記憶――歴史――を捨て去ることで、人間に別の未来を与えたのだ。わたしたちは、だから、記憶と忘却の子なのである。

ベンヤミンの語る歴史の天使が過去の廃墟を見つめ、後ろ向きに未来に飛ばされるのと同様、彼らは後ろ向きに過去を投げ捨てることで、未来の人間を生み出す。彼らは、絶望的な荒廃だけを目の当たりにした。したがって、未来など見えるはずもなかったし、未来を見ることなどできない以上、当然《希望》もなかったのである。彼らにできるのは、《絶望》に至るまで過去を見つめることだけだったのである。本当に《絶望》したとき、ひとは、忘却を選択する。この忘却こそが、真の意味での、つまりより善き、《希望》である。記憶と忘却の結婚、絶望と希望の結婚、これが、人間である。

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