デカルトのコギト――わたしという出来事

philosophy
2007.05.18

デカルトの《コギト》。これについては多くのひとが少しは聞いたことがあるだろう。わたしがこれから語ることは、読者にそれほど理解されないだろうし、きっと誤解されるだろう。そもそも、読者に余計な期待はしていないつもりだが、問題は、わたし自身が、自分の考えをうまく書けるか、自信がないことである。

「われ思う、ゆえにわれあり(Cogito, ergo sum)」。 このテーゼは、デカルトがオランダで孤独を託ちながらたどりついた、知の最高峰のひとつである。――すべての実在は疑わしい。あらゆる実在が、その存在を証明することができない。しかし、とデカルトは言う。それを疑うこの「わたし」だけは、そうした疑いが可能であるために存在していなければならない。かくして、「われあり」が一種の逆説として、証明される。このダイナミックな転回は、しかし、その後多くの哲学者によって批判されることになる。そして、わたしたちの多くも、そうした批判をおおむね共有している。「われ思う、ゆえにわれあり」。この言葉を読むとき、誰もがある欠陥に気づくに違いない。「思う」を実現するための「われ」が、そもそもその存在証明を与えられていない以上、「われ思う」すら可能にならず、けっきょく、「われあり」は可能にならないのではないか?

デカルトのこのテーゼを批判したカントという哲学者がいる。彼の哲学からみれば、デカルトのコギトは、ある意味では、存在の証明ではなくて、消滅の規定というにふさわしい。実在を実現するためには、時空間を必要とする。その時空間がはじめになければ、そもそも「われあり」は可能にならない。デカルトのいう「われ」が可能になるためには、こうした時空間認識がアプリオリに規定されていなければならない。したがって、すべてが疑わしいというデカルトの議論の前提は、当然「われ」にも当てはまるのであって、とどのつまり、「われ」すら存在しなくなってしまうはずなのだ。カントは言う。「この(デカルトの)観念論のたくらみが当然以上に観念論自身に報復される」と(『純粋理性批判』)。つまり、デカルトの「わたし」の存在証明は、かえって「わたし」の不在を証明してしまうのだ。

デカルトの《コギト》は、むしろ消滅の規定なのであり、かくして、「われ」は「思う」という不確かな言葉とともに、虚空に消え去るのである。……

コギトcogito(名詞形はcogitatio)とは、ラテン語で“思惟する”ことである。“思惟する”とは要するに考えることだが、この言葉は、“回顧する”という意味で使われることもあるし、“想像する”、という意味で使われることもある。つまり、この語は時間的な推移を含んだ言葉であり、記憶力と想像力とを同時に試す語である。その点で、とりわけ現在に存在しないもの、不在のものを想起する際に使われる言葉であることが推測される。したがって、たんに《コギト》と言っても、そんなに簡単な動詞ではない。

よく似た言葉にcognitio(名詞)がある。この語は、“認識”であるとか、“知識”であるとかを意味している。cognomenが“姓”を意味し、cognatusが“血族”を意味し、そしてcognitorが“代理人”を意味したりするように、こちらはとくに経験できるもの(つまり不在ではないもの)を学んだり、あるいは研究したり、あるいは認識したり、そういった、いまここにある、存在(プレザンス)に対する知的な再現前化に対して用いられる語である。

cognosco(知る)とcogito(考える)とは、厳密に区別されねばならない。というのも、cogitoは、ある意味で、認識すべき対象を現在において欠いている点、つまり不在(アブサンス)によって特徴づけられるからである。

ところで、カントにおいて、こうした知的な所作はどのように区別されていたか。カントにおいて重要なそれは、知るbekant/わかるerkant、という区別である。カントが重視したのは後者である。ただ“知る”のではなく、積極的に“わかる”ということ、“認識する”ことが重要である。いずれにしても、デカルトのコギトは、この区別には属していない。“考える”とは、“知る”ことでもなく、“わかる”ことでもないからである。

たしかに、カントのデカルト批判はある点では正しい。だが、ここは視点を少しだけずらそう。《われ思う、ゆえにわれあり》のようにロマン主義的で、単純な独我論を、デカルトが行なうとも思われないからだ。カントのデカルト批判は、カントが自身の哲学(これもまたひとつの知の最高峰である)を構築するための、ひとつの道具にすぎない。カントが、ある種の独我論を批判するためにつけた“デカルト”のインデックスは、しかし現実のデカルトとは関係がない。

晩年のカントは、歴史主義の時代、エクリチュールの時代の到来を予言している。すでにフランス革命に、こうした歴史主義の予兆があった。その意味で、カントの用語が設けている区別を、デカルトは知らない。だが、デカルトが暗黙のうちに設けているひとつの断絶――エピステーメーのシフトを、カントは無視している。デカルトは、エクリチュールの時代の人間ではなく、カントの時間概念とも無縁の人間なのだ。

実際、デカルトの議論が、観念論に、そして独我論にシフトするのは、彼の《コギト》が読まれるときだ。テクストとしての《コギト》は、どう読んでも、カントが言うように、やはり観念論であり、恐ろしい独我論である。だが、このような馬鹿げた、容易に批判可能な議論が、本当にデカルトの口から発せられたと考えるのは、いささか勇み足にすぎる。重要なことは、むしろ、デカルトのテーゼから、そういう一般的な批判には当てはまらない響きを聴き取ることである。

さて、繰り返すが、カントの批判はまったく正しい。そこでむしろ、カントのデカルト読解に寄り添ってみよう。デカルトのコギトは、たしかに、消滅の規定であるというにふさわしい。むしろデカルトは、実際に、そう言っているのだ。《わたしは存在しない》と。彼はもちろん、「わたし」の存在がすでに疑わしいことなどとっくの昔に承知している。デカルトが、実在を可能にするアプリオリな時空間概念を前提していない以上、カントの言うとおり、この「わたし」は、すでに不在なのだ。「われ思う」とは、「われの不在を思う」なのであり、また「不在について思考する」ということだ。そのあと、「ゆえにergo」とつづく。デカルトのテクストを読むとき、わたしたちは、たとえデカルトのテクストを離れてでも、ここで飛躍せねばならない。実際、彼が“命がけの跳躍”をみせるのは、この“ergo”においてなのだ。“ergo”は、まま“ゆえに”と訳されるとしても、一段一段登りつめる論理的階梯というよりは、ひとつの偉大な跳躍そのものである。デカルトは、自分の不在を確信したあと、半ば自嘲気味に、こうつぶやく。「といっても、わたしは存在しているよ」と。

『トランスクリティーク』において、柄谷行人は、疑うデカルトと、思惟するデカルトを区別し、前者に然りを、そして後者に否を突きつけ、“疑う”ことと“思惟する”こととを混同したデカルトを批判している。だが、それは間違っている。というか、あまりにカント主義的な把握である。柄谷のように、“疑う”ことと“思惟する”こととを区別するなら、むしろ答えは逆である。彼が命がけの飛躍を行なうのは、“疑う”ことをやめた瞬間なのである。実在を疑っているとき、デカルトは疑うわたしを前提している。世界中の実在はすべてあやふやなものだと語るデカルトは、自分の実在だけは、つゆとも疑っていないのだ。そもそも、疑う自分の実在なしに、疑うことなどできないのだから。彼は周囲のあらゆるものを疑うことによって、自分を守っているのであり、彼が独我論に陥っているのはこのときなのである。しかし、彼が疑うことをやめ、自身の疑念を確信したその瞬間、すべてが不在であることを“思惟する”ことになる。デカルトの攻撃的な疑念が、《不在の思惟》へとシフトすることで、ついにその矛先が自分にも向けられるのだ。単独者としての《このわたし》が立ち上がるのは、この一瞬なのである。

ためしに、こう口にしてみるといい。《わたしは、存在している》。実際、こうした独白は、声が虚空に消え去るように、ただちに消滅する。だが、こうつぶやいても、同じことが起こるだろう。《わたしは、存在していない》。再び、この独白は消え去っていく。たとえ、こうした独白が音声中心主義的な現前の共同体を作り出すとしても、そうであればあるだけ、デカルトのこの孤独な疑念は、ただちに自身の不在を痛感させる結果になるだろう。消え去るこの「わたし」が、不在のXが、デカルトという他者に出会うのはこの瞬間である。けっして消え去ることのない、どうにもならない残余としての、もうひとりの「わたし」。もちろん、この「わたし」は、次の瞬間には、あてにならない、不在の「わたし」である。この「わたし」がそうした独白もろとも虚空に消え去るこの瞬間、出来事としての「わたし」が、消え去りながら立ち上がり、立ち上がりながら消え去ってゆく。デカルトの言った「われあり」とは、そんな、出来事としての「わたし」にほかならない。

彼の《コギト》は、出来事としてのデカルトのドキュメントである。《われ思う、ゆえにわれあり》は、次のように正確に読まれねばならないだろう。《われはわれの不在を思惟する、ゆえにわれはある》、と。不在こそが、存在を可能にする。cogitoもろとも消え去ることによって、デカルトは、新しい存在論、《わたしという出来事》を、手に入れたのである。

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