商品の教育力

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2021.06.28

さて、『存在の歴史学』の初校ゲラがそろそろ届くようで、緊張している。分量が分量だから、校正にはそれなりの苦労があるだろうが、楽しみな部分もある。楽しみにしている読者もきっといる(世界中からかき集めれば、10人くらいは)。

自分は売れない書き手だが、日頃、売り上げは死活問題だと思っている。日本人の人文学の水準をあげつつ、どうすれば売れるのか。その両方を追求している。みてのとおり、散々である。ぜんぜんうまくいっていない。

1970、80年代ミュージシャンが、日本人に16ビートをどうすれば教えられるのか、また売れるのかを追求した、そんな気分。純文学や哲学、歴史学が一番ファンキー(死語か?)だ、みたいな。そんな気分が、心のどこかにある。

なぜ売れないのか。自分にはなにが足りないのか。とにかく、売れる必要がある。前著『精神の歴史』の1万倍くらい売りたい(前著は11、2冊しか売れていない)。それくらい売れれば、あるいは学界に小さな風穴でも開くのではないか、と。

商品の教育力はすさまじく、教師はその足元にもおよばない。かつて若者は、なにより、タバコを吸うこと、酒を飲むこと、車を乗り回すことで大人になった。いまはそうした商品がない。余暇の慰みが、子供と大人とで、まったく同じなのである。

わざわざ自分の小遣いから金を払うのだから、大人の遊びに最大限の効果を得ようとする。同じ肺病やみがもてはやされるなら、タバコにかえて文学を。酒にかえて、水にも酔うことを教える哲学を。車にかえて、時間を旅する歴史学を。人文学、すなわち、大人の遊戯。

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