正しさと美しさ

philosophy
2007.05.28

かつて、プラトンを批判すれば、なにがしかのものを言ったことになった時代があった。プラトンのようなイデア論を批判すれば、それだけで、形而上学を哂う悦ばしき唯物論になりえたのだ。たとえば、柄谷行人の『隠喩としての建築』という美しい書物がある。この書物に難癖をつける余地があるとすれば、プラトン批判という点で、《時代的》である点だ。つまり、彼自身が自覚しているように、その点で、けっして《反‐時代的》というわけではなかった、ということだ。

しかし、今日、わたしたちは、プラトンのイデア論に、むしろ好ましい響きを聞くようになった。伝統や習慣の上で居直る経験論を逃れると同時に、テクストがつくる形而上学をも逃れる唯物論として、である。イデアとは、おそらく、徹底した、《外》への意志――ときにはそれを《内》にさえ求めるような、そうした強い意志なのだ。

プラトンの時代――それは、正しさと美しさとが、極端に乖離していた時代である。たとえば『ゴルギアス』に現われたソクラテスとポロスとの対話をみてみよう。

ソクラテス それでは君は、正しいことは、それが正しいことであるかぎり、そのすべてが必ずしも美しいことではない、というふうに言うことができるかね。それで、よく考えた上で、答えることにしてくれ。

ポロス いや、考えるまでもなく、それはすべて美しいことだと思います、ソクラテス。

〔略〕

ソクラテス では、君がその悪い状態と呼ぶものは、不正とか、無学とか、臆病とか、その他そういったもののことではないのか。

ポロス まったくです。

ソクラテス それなら、財産と、身体と、魂との――それらは三つなのだから――三つの悪い状態、つまり、貧乏と、病気と、不正とを、君はあげたことになるのではないか。

ポロス そうです。

ソクラテス では、それら三つの悪い状態のなかでは、どれが一番醜いのだろうか。不正や、そして要するに魂の劣悪さが、そうではないのか。

ポロス それは大いに、そうです。

ソクラテス それでは、一番醜いのなら、また一番悪いのだね。
(プラトン『ゴルギアス』、加来彰俊訳、岩波文庫)

ここにあるのは、正しさと美しさとを、その論理の出発点および終結において、一致させようとする、ソクラテスのたえざる努力である。このような彼の努力は、むしろ当時の言説空間において、いかに正しさと美しさとが乖離していたかを雄弁に物語っている。わたしたちは、『ゴルギアス』にかぎらず、すべてのプラトンの対話編を読むたびに、この対話のみちびく論理以上に、正しさと美しさとは、必ず一致するのだ、というソクラテスの強い確信の声を聴き取るだろう。おそらく、ポロスは、若者を惑わせるソクラテスの論理的な誘導に従って、ほとんど強引に肯かされているだけだ。ポロスは、ソクラテスの確信を理解しているわけではないのだ。そして、詳細に読めばわかるが、ソクラテスのここでの論証には、明白な限界がある。正しさと美しさとは一致しないと言い張るポロスの方に、むしろ分があるのだ。わたしたちが歴史を振り返るとき、それはただちに明らかとなる。わたしたちの歴史は、いつだって、正しさと美しさが一致しないという、そうした事態を論証するための長い長い道のりだったように思えるからだ(もちろん、例外はいくらでも見つかるだろうが、それはこのテーゼが必要とする根拠を与えない。あくまで例外なのだ)。

結局、このソクラテスの確信は、彼がダイモンから聴き取った寡黙な声であり、ひとつの狂気なのである。正しさと美しさとは、必ず一致する……。

柄谷行人は、次のように言っている。

さらに注目すべきことは、一八世紀後半のヨーロッパに、アンダーソンがいうような「想像された共同体」が形成されただけではなく、まさに「想像力」そのものが特殊な意義をおびて出現したということです。ネーションが成立するのと、哲学史において想像力が、感性と悟性(知性)を媒介するような地位におかれるのとは同じ時期です。それまでの哲学史において、感性はいつも知性の下位におかれていましたが、想像力も、知覚の擬似的な再現能力、あるいは恣意的な空想能力として低く見られていました。ところが、この時期はじめて、カントが想像力を、感性と知性を媒介するもの、あるいは知性を先取りする創造的能力として見いだしたのです。(柄谷行人『世界共和国へ』岩波新書、P.167)

しかし、わたしたちは、むしろ次のように考えるべきだ。ネーションを形成するのは、想像力だけではなくて、記憶力もそうなのだ、と。ネーションにおいて、歴史がとりわけ大きな要素を占めていることからも理解できるように、想像力だけでネーションが構成されることはありえない(もはやfancyとimaginationを区別することにはあまり意味はない)。また、感性と悟性とを総合するのは、想像力だけなのではなくて、記憶力もまたそうなのである(1)。ただし、次のように考えることはできる。想像力と記憶力とはもともと区別できないし、ネーションの形成は必ずこの両者を原因としてもっている、しかしにもかかわらず、ここで想像力だけが取り上げられ、記憶力だけが取り残されたことによって語られてきたのが、近代特有の「ネーション」である、と。つまり、両者を分割して思考するために、どちらか一方を批判すれば、他方が現われるという悪循環に陥ってしまう、こうした思考の産物こそが、「ネーション」だというのなら、それは間違いではない。「ネーション」が想像力の産物であるがゆえに、わたしたちは、もっと巨大な害悪をのさばらせる結果に陥ってしまったのである。

たとえば、柄谷は次のように言う。「ネーションの感情が形成されるのと、想像力の地位が高まるのとは、歴史的に平行した事態です」(同前167ページ)。だが、わたしならこういいなおす。《ネーションの感情が形成され、それにあわせて想像力の地位が高まると同時に、その裏で、歴史的な思考の地位もまた高まったのである》と。柄谷のように言ってしまうかぎり、歴史が批判の対象から取り残されてしまうからだ。こうした思考によっては、実際に柄谷自身が言っているように、ヘーゲルの哲学を乗り越えるのは容易ではなくなってしまうだろう。彼の言う「ボロメオの環」という偽の構造物が形成されてしまうからだ。結局のところ、柄谷にしても、「ネーションが想像物でしかないということが〔ヘーゲルにおいて〕忘れられている。だからまた、こうした環が揚棄される可能性があるということがまったく見えなくなっている」(P.178)という不毛な批判に終始しているようにみえる。そもそも、こうした批判こそが、ボロメオの環を作っていることを忘れてしまったのだろうか? わたしは柄谷に聞きたい。ネーションは想像力によって構築された、だが、ネーションは想像力の産物でしかない、という議論は、ヘーゲルの弁証法、ボロメオの環そのものではないのか。……

さて、本来は不可能であるはずの、想像力と記憶力の分割によって誕生するのが、近代特有の《美学》である。こうした美学は、次のような不可能な概念を可能にしてしまう。《不正であり、なおかつ美しいもの(すなわち、悟性は拒絶するにもかかわらず、感性的には受け容れているような、純然たる想像力の産物)》、そして《正しく、なおかつ醜いもの(すなわち、悟性によって肯定的に見られはするが、感性はこれを拒絶する、という純然たる記憶力の産物)》、である。このような事態は、ギリシアのそれとはまったく異なる。ギリシア時代のそれらが、乖離しているといっても論理の上では同一化可能な前提として、ソクラテスのみならずポロスにも共有されていたことを思えば、それは明らかだろう。むしろ、近代のそれらは、分割されているという暗黙の了解によって成立している。

兵器は美しいだろうか。戦闘員だけでなく、無辜の市民までも殺戮する近代兵器は、美しいだろうか(かつてのあの美しい剣は、その美しさと引き換えに、殺傷能力を失ったものだった)。ホロコーストに手を貸すという醜悪きわまる行いに身を任せながら、なおかつ、正しいということはあるのだろうか。特攻隊員となり、敵の軍艦もろとも華と散ることは、本当に美しいのだろうか。クラスター爆弾で市民を巻き添えにしながら、国家が命脈を保つことは、美しいのだろうか。無辜の市民の死によって守られるような、そうした国は、本当に美しい国なのだろうか。近代人は、この問いに答える術を知らない。というよりは、美しいというよりほかないのである。こうして守られてきたのが、ネーションであり、こうして破壊されてきたのが、地球環境である。

歴史は、死の記録である。とりわけ、戦争による殺戮についての、美しい記録である。歴史は、こうして次のような概念を可能にする。醜く、そしてなおかつ正しいもの、である。歴史とは、本当は、醜い者たちの勝利の歴史だからである。彼ら醜い者たちはしかし、こう語ってしまう自分の口を押さえることができないでいる――わたしたちの国は、なんと美しいことか! ましてや、この美しい国のために死ねるなんて、なんて正しいことなんだ……!

これを「巨大な害悪」といわずしてなんといおう? これらは本来、すべて、醜く、そして不正である。だが、にもかかわらず、美しいということ、また正しいということが生じえてしまう。ソクラテスがもっとも嫌ったのが、醜いものを正しきものに仕立て上げてしまう、こうした不毛な雄弁なのだ。

今日、プラトンの価値は、このうえなく高まっているようにみえる。すでにミシェル・フーコーが、そしてジル・ドゥルーズが、(微妙な差異はあれ)そのことを語っていた。そしてなにより、あのニーチェが、ソクラテスと向き合うことで、そのことについて語っていたことを、わたしたちは知っている。結局、近代において、そのことに気づいていたのは、この三人だけなのだとさえ思う。彼らは、世界を変えるために、わたしたちにもできることがある、と、そう言っていた。それは、とても簡単で、しかしむずかしいことだ。少しだけ利点があるとすれば、それは、誰にでも、そして今すぐにでも可能だということかもしれない。すなわち、記憶力と想像力とを、同時に用いるようにすること、ただそれだけである。そうすることで、わたしたちは、少しずつ、美しさと正しさとが合致する日を、わたしたちの近くに招き寄せることができるのだ。

【註】

  • (1) わたしはここでカントを批判していない。そこで、「想像力」という訳語に問題があるという観点は、カントのためにも、もっともな問題提起である。「想像力imagination」を、記憶力も含める形で、たんに表象喚起力とすればどうか。この場合、《感性と悟性とを総合するのは表象喚起力である》、という言い方は不可能ではない。しかし今度は逆に、柄谷のような言い方ができなくなる。「カントの考えでは、感性と悟性は、想像力によって総合されます。しかし、いいかえると、それは、感性と悟性は想像的にしか総合されないということです」(P.173)。この文章はほとんど意味をなしていないし、もっと悪いことには誤解を与えるものである。表象喚起力を取り払えば総合が不可能になるかのように解釈できるからである。こうした見方はあまりにロマン派に寄りすぎている。人間の認識が感性と悟性とに分割されるのは、そもそもこの《表象喚起力》による(感性の側からみれば、それは狭義の想像力に、悟性の側からみれば、それは狭義の記憶力となる)。《表象喚起力》は、ある意味では最初から、総合を可能にすると同時に不可能にする楔なのである。したがって、「ボロメオの環」はつねに‐すでに半分破綻しているのである。肝心なことは、感性と悟性という二つの認識は、表象喚起力の存在を前提にしているのであって、逆ではないことである。感性や悟性は《表象喚起力》のもたらす効果にすぎない(柄谷の書き方は、その他大勢のカント主義者同様、そこを誤解しているようにしか感じられない)。だからこそ、カントは、『純粋理性批判』において、「人間的認識の二つの幹、感性と悟性」は「おそらく共通の、しかし、われわれには知られていない一つの根から生じているのであろう」と言わねばならなかったのである。この「われわれには知られていない一つの根」についての刺激的な考察がなされたのが、かの『判断力批判』である。ところで、この「根」については、すでにプラトンが「イデア」と呼んで考察しているし、後のストア哲学者クリュシッポスがこれを《出来事》と呼んで先鋭化させている。二〇世紀には、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが「根」を《リゾーム》に置き換え拡張している。

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