高橋悠治ピアノ・リサイタル:音と夢の時

music
2002.04.21

ふりしきる雨と強風を避けるようにして、高橋悠治のピアノリサイタルを聴くため大阪(石原ホール)へとむかう。客席はほとんどすべて埋まっていたものの、運指やペダリングなどその演奏振りをしっかり見ることができる、前から三列目の向かって左側の座席を得るという僥倖を得て、十二分にそのすばらしいリサイタルを堪能することができた。

プログラムの前半に組まれていたのはJ.S.バッハのトッカータ(ホ短調)、モーツァルトのロンド(イ短調)、そしてサティの(あの)ジムノペディ第一番、第三番、およびグノシエンヌ第二番、第三番、第五番(遺作)である。演奏者の純粋に技巧的な愉悦のため、あるいは聴衆へのその技巧の誇示のためにつくられるトッカータやロンドは、高橋悠治の指先に触れるやひとつひとつのフレーズ(音の差異)がそれぞれに固有の時間を主張し、それらの連鎖が渾然となってひとつの作品として聴衆の前に無造作に投げ出される。二十年ぶりに演奏されたというサティもまた、サティそのひとのような手癖と即興性でもって聴衆に投げ出される(そもそも、日本にサティを紹介したのは、彼であり、その妹である高橋アキである――つまり、われわれの知っているサティは、ほとんど彼のそれなのである)。彼はまるで初めて楽譜をみるかのように食い入るようにして楽譜に視線を注ぎ、ほとんど鍵盤を見ようとはしないし、またその必要がない。網膜に映る音符の連なりは瞬時に指の運動となってピアノの鍵盤に伝達される。したがって、彼の演奏は、現実の、といっても想像上の通時的な時間軸はもちろんのこと、作品において把握される共時的な時間――しかし、その時間はまだ、擬勢にとどまっている――とさえもまったく無関係に、フレーズ自体が主張する共時的な時間にのみ従うことになり、彼の身体は楽譜に記された音符とピアノの鍵盤を接続するための完全に純粋な音楽機械と化す、というわけだ。もはやわれわれは、音の連なりを聴くばかりであり、音楽は、事後的に確認できるに過ぎなくなる。

プログラムの後半は、同時代の作曲家である、スラマット・アブドゥル・シュークル(インドネシア)、石田秀実、ヒョーシン・ナ(韓国)、そして演奏者本人の作品が演奏される。初めて聴くことができた最初の三人の手になる作品に関しては、どれも力作ではあるが、アカデミックな現代音楽の王道といった趣も消し去りがたく、楽曲として評価してよいかは判断しかねるところがあったものの(とはえい、石田秀実の作品はなかなかよいものであったと思う)、どちらも演奏者本人の作品になるプログラム最後の二曲、「まわれまわれ糸車」(1978)および、各オクターヴに固有の音の組み合わせ(デュシャン・トレインという)で作られたいくつかのフレーズをランダムに組み合わせた「ピアノ2」(2001)は、非常に興味深いものであった。演奏者本人の意図はまったく別のところにあるのだろうし、いたってイノセントであろうが、若干、散漫な感じを与えるそれまでの作品が、まるで自身の作品の密度と明晰さを際立たせるべく配されていたという印象さえ受けたといえば、少し下世話に過ぎるだろうか。

アンコールに応えて、高橋悠治は、もはや感性としか言いようのないスマートさでもって、かつて水牛楽団にいた戸島美喜夫のアレンジによるカタルーニャ民謡「鳥の歌」(思えば、この曲は、チェロの巨匠パブロ・カザルスが平和を祈願して国連で演奏した曲であるが、彼が弾くと実にさりげなく、スマートである)から、カタルーニャつながりでフェデリコ・モンポウの作品のいくつかをさらりと演奏してくれた。ここでもまた、われわれは、高橋悠治の指先が奏でる音の連鎖がある種の笑いを孕みながら無造作に投げ出されるのを身をもって受け止めるほかない。これこそが、音なのだ。そして、演奏が終わってしばらくしてからやっと、これこそが真に音楽であったのだと、このうえない満足感でもって確認することになるだろう。楽譜から不必要に想起される作曲者の想像的な主体を極力排し、楽譜の記述に忠実に演奏しようとする倫理的な演奏家は少なからずいるとしても、ここまで音の存在論的なあり方において厳密なピアニストはそうはいないのではないか。一見して、それこそエピクロス的雑多さでもって投げ出される音の連なりの彼方に、わたしはそのようなストイックな厳密さを感じてならないのである。日本の音楽批評家の怠慢であるのかもしれないし、あるいはまた本人の行動からくる必然的な帰結であるのかもしれないが、彼のような稀有の才能をもった天才的な存在が、まるで隠者のようにメジャーな音楽シーンから遠ざかり、マイナーな存在でいることを、非常に残念に思っているのは、けっしてわたしだけではあるまい。

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