記憶と忘却は対立する概念なのか?

philosophy
2006.11.26

わたしたちは、簡単に「記憶する」、とか「忘却する」とかいう用語を使う。これらの用語を並べて用いるとき、当然、「善」と「悪」同様、両者は概念としては対立しているように思われる。したがって、ジャック・デリダやハンナ・アーレントは、こうした記憶と忘却の対立を援用しながら、歴史論を構築したのである。だが、これらの用語が、なにかしらの出来事を示していると考えるなら、事態はそう単純ではない。むしろ同じ出来事を、二つの立場から見たために、二つの様態が成立してしまったと考えた方がふさわしいように思われるからだ。つまり、「男」と「女」、あるいは「善」と「悪」とも違い、「記憶」と「忘却」の語は二つの出来事に対応しているわけではないのである。

本来、なにかを忘れている状態があるとして、そのなにかを忘れている当の本人は、忘れていることに気づくことはできない。たんに、知らないのと外面的にはまったく同じである。だが、にもかかわらず、「忘却」は「無知」とは混同されてはならない。「知」は、経験していない出来事にも対応しており、未経験の出来事を「知る」ことは可能である。その一方で、まったく経験していないことを「記憶する」ことはできないし、なおかつ「忘却する」こともできない。とにかく、「思い出す」ことが可能な経験が過去のどこかの地点に実際に存在していなければ、「記憶」も「忘却」も不可能であり、その点で、「無知」と「忘却」とは厳格に区別されねばならない。

また、「記憶」にせよ、「忘却」にせよ、記憶あるいは忘却すべき当の《出来事》がどこかに保存されていなければならず、この出来事は、どちらも「思い出す」という《出来事》によって再び再現される、ということがなければならない。つまり、「記憶」も「忘却」も、成功するか失敗するかは別にして、《思い出す》可能性を有しているという点で特徴づけられるように思われる。

さて、なにかを忘れている彼が、そのなにかを思い出したとしよう。彼はそのとき、「思い出した」と言ってもいいし、「忘れていた」と言ってもいい。いずれにしても、彼はいくらかでも記憶を取り戻したのであり、その時点から振り返って、かつての忘却を規定しているのである。ところで、記憶を取り戻すといっても、すべてがそっくりそのまま再現されるわけではない。最悪の場合には、かつて何らかの出来事を経験した、という形式(器)のみしか再現されない場合もあるだろう。これこそ「忘却」の名にもっともふさわしいものであるが、それにしたところで、かつて経験したこと――内容は霧散し、その「器」だけが残っているのだとしても――を想起(1)することなしには、つまり何らかの記憶を取り戻すことなしには、忘却を規定することは不可能である。したがってじつは、忘却とは、再現度に違いはあれど、記憶を取り戻す行為に付随して生じる事態であることがわかるだろう。記憶を取り戻すことに完全に失敗した場合、じつは忘却そのものすら規定することは不可能であり、これを忘却と呼ぶべきではない。「器」すら「思い出す」可能性が皆無であれば、これは無知と完全に同一のものである。

では逆に、なにかを記憶している状態があるとしよう。本来、「記憶している」というのは、ずっとそのことを考え続けている状態を指すのではない。たんに、必要な時に特定の言葉を取り出せるか否か、ということに「記憶」という語のもつ本来の意味がある。たとえば歴史学のテストで回答するために、かつて学習した内容を適切に引き出したとして、彼はその内容を「記憶している」ということになる。

ここで重要なのは、彼が、回答すべき内容を脳から引き出したときに、「思い出した」であるとか、「忘れていた」などと言ってもまったくかまわないことである(とくに、この例におけるテストの回答など、出来事の「器」にすぎない点にも注目しておこう)。事実、彼は、回答すべき内容を、テスト時間の前には「忘れていた」のであり、回答すべき時機になってはじめて「思い出した」のである。したがって、外面上、行為としては、忘却と区別することはできない。つまり、ここでは、記憶と忘却はまったく対立していない。むしろ、同じ出来事を別の言い方で表現しているに過ぎない。

また、実践的に考えるなら、思い出すのがより困難であれば、忘却と呼ばれ、思い出すのがより容易であれば、記憶と呼ばれるようである。この点から考えても、記憶と忘却とを、対立する概念としてではなく、「思い出す」までにどの程度の時間が必要か、という量的な差異をもった同じ概念として規定する方が適切ということになるだろう。

さらに付け加えておけば、テストに回答が書かれるなど、記憶が外に向かって客観的に提示された段階で、「記憶している=忘却している」という状態は終わる点にも注意が必要である。つまり、「思い出した」瞬間に、「記憶=忘却」の状態は消滅するのである。その瞬間、記憶は、確認に取って代わる。この答案用紙がどこか目に見えないところに隠されれば、再び「記憶=忘却」状態が開始されるが、そのときは、回答内容を学習した段階まで遡ってもよいし、あるいは回答を行ない、自身で回答内容を確認した段階まで遡ってもよい。いずれにしても、ある出来事が終結した段階ではじまるのが「記憶=忘却」という事態であり、それらが再び現実世界に還元され、なんらかの出来事に派生した段階で、「記憶=忘却」の状態は消滅する。

これまで論じてきたことに、他者の視点を含めると、事態はもう少し複雑になるように思われる。つまり、こういうケースが可能になる。ある同じ経験を、《わたしは覚えているが、彼は覚えていない》、あるいは《彼は覚えているが、わたしは覚えていない》。この場合、たしかに、記憶と忘却とは対立する概念として規定することが可能になるようにみえる。

ジャック・デリダやハンナ・アーレントが「忘却」を糾弾するのは、この地点である。わたしたちは覚えているのに、あろうことか、あなたがたは忘れているのですか、というわけである。しかし、こうした視点にも疑問が残る。というのも、ここでいう「わたしたち」が、本当にある出来事を正確に記憶しているかどうか、わからないからである。別のグループからみれば、「わたしたち」もまた、なにかを忘れている可能性が皆無とは言い切れないからである。むしろ、ある出来事に対する記憶の濃淡は不可避的に生じるのであり、この濃度のばらつきの差異を、ときに忘却と呼んだり記憶と呼んだりしているだけなのである。

したがって、ここでアーレントたちが言っているのは、正確には、《わたしの記憶の仕方は正当》であり、《あなたの記憶の仕方は間違っている》ということなのであって、しかも、後者に一方的に「忘却」の符牒を貼り付けているのである。だから実際には、こうであってもよかったのである、《わたしの忘却は正当》だが、《あなたの忘却は間違っている》、よって後者に「記憶」の符牒を貼り付ける。――すなわち、じつはここでも記憶と忘却とは対立しているわけではない。しいていえば、これらは程度の差異が付与されているのであって、この程度の差異に、彼らは質を付与しているのである。すなわち、一方はよい記憶であり、他方は悪い記憶である、というわけだ。

要するに、ここで対立しているのは、記憶と忘却とは別のものであり、とくにそれに付随している自他の対立が、記憶と忘却の対立にすり替わっているだけである。つまり、“わたし”と“あなた”が対立すればするほど、まるで記憶と忘却とが対立しているように見える、ということなのだ。したがって、同じ経験を共有する“わたし”と“あなた”が対立的な要素を失うにしたがって、記憶と忘却の対立は解消し、最終的には消滅に至る。これが、エルネスト・ルナンの言うようなネーション=ステートを構成していると考えられる(2)

この観点から考えるに、別に、歴史は記憶にしたがってのみ書かれるわけではない。むしろ歴史とは、記憶と忘却の濃淡が作り出す境界に沿って形作られるのであり、記憶の側に一方的に依存しているわけではない。歴史は、記憶と忘却が重なりあってできた境界線上で書かれているのだ。だから、これを記憶の歴史と呼んでも、忘却の歴史と呼んでもかまわないのである。記憶と忘却は、内在的に区別することは不可能なのである。

わたしたちが普段何の気なしに用いている「記憶」や「忘却」の語の曖昧な使用法は、間違っているわけではない。とはいえ、哲学的に議論される場合には、たいてい、過剰に忘却に悪い意味合いが付与される。こうした忘却の概念を転倒させた人物が二人いる。先述のナショナリスト、ルナンと、アンチ・ナショナリスト、ニーチェである。

ナショナリズムに批判的な哲学者の多くは、ルナンのいう「忘却」を問題視し、ニーチェのいう「忘却」を等閑視する。彼らは、立場を異にする二人の哲学者をうまく処理することができていないのだ。だが、歴史が、記憶によって書かれるのではなく、記憶と忘却の境界線で書かれることを想起するなら、ナショナリストであり歴史主義者であるルナンが忘却を重要視した点を奇異に感じたり、非難したりする必要はまったくないし、にもかかわらず、ニーチェが忘却に偉大な価値を与えたことに、もっとわたしたちは驚くべきなのだ。

【註】

  • (1) プラトンは、「想起アナムネーシス」すなわち「思い出す」ことに対して、イデアと人間とを結びつける鍵概念として、きわめて高い地位を授けている。イデアと結びつかない、たんなる「思い為し」と、この「想起」とは、厳しく区別されねばならない。
  • (2) たとえば、日本の敗戦経験について考えてみよう。広くみつもって、この経験は多くの日本人に共有され、なおかつ記憶されたが、かといって、彼らがそうした経験を完全に記憶していたかといえば、けっしてそういうわけではなかった。その点で、これを「忘却」と呼んでもよかったのである。ところが、本来ならば千差万別であるはずの経験の多様な解釈を禁じるような何らかの外在的な影響によって、日本人に共通理解が生じ、そのことがこの経験に関する解釈の日本人同士の対立を回避すると同時に、記憶と忘却のテーマ系を消滅させていたのである。とはいえ、このとき、すでに忘却は始まっていたのであり、この忘却なくして、一定の解釈にもとづく敗戦経験の共有という事態もありえなかったのである。
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