言葉の肉体についての序論

fragment
2010.07.31

おそらく、言葉の死があったのだ。《言葉は死んだ!》――言葉だって腐るのだ。ニーチェのいわゆる「神の死」は、神が言葉であることの言明である。だが、わたしのいう《言葉の死》は、生が輪廻転生のうちにあることの言明である。言葉の死があるなら、言葉の生もあろう。そこにわれわれの生もあるにちがいない。

ニーチェの講義ノートをみて感銘を受けたことがある。他人の非難ばかりしているようにみえるあの攻撃的なニーチェが、ギリシアの古い歴史を教えるに際して、なにも否定していない。彼の哲学からすれば批判に値するかもしれないような宗教的問題についても、淡々と、肯定的に講義していた。

運命という観点からみるなら、歴史を「否定」するのは愚かである。だがそればかりでなく、彼の哲学的な「敵」でさえ、否定していなかった。それは謎だった。だが、第二次世界大戦について論じたとき、わたしもなぜか同じ意見になった。いわゆる右翼ではないにもかかわらず、あの戦争を「肯定しよう」という気になっていた。

自分は間違っているかもしれないが、歴史は肯定せねばならないと思った。凄惨極まるあの戦争でさえも、である。そこからすれば、カントやヘーゲル、フロイトやデリダなど、肯定するのは容易い。彼らは、歴史的にいって、必ず肯定されねばならない。ニーチェにならい、講義では、彼らを一切批判していない。彼らの言葉がもっとも輝くであろう配置を考えながら話をすることは、骨が折れるが、あまり味わえない楽しさもある。

さらに間違っているかもしれないが、戦中の労働者たちの言葉に触れていると、それが戦争協力であろうと、どこかしら美しい響きがあるのを感じないわけにはいかない。それを主導した知識人の言葉でさえも、やはり美しい響きがある。なぜなら、彼らは、子供のように言葉を信用しているからだ。言葉を信用するということ、それは未来の子供たちの耳を信用するということでもある。声は届いたよと、そう言ってあげたくなった。だが、われわれの声が過去に届くことはない。それが悲劇ということである。

その観点でいくと、「否定する人たち」の言葉が、やや空しく響くようになった。この手の言語使用は、もとをただせば言葉の不信から来ている。しかし、死んだ人間にとっての肉体とは、言葉である。死んで肉体まで朽ちてしまった人間は、消え去るための物質を失う。消え去るという要素をかろうじてつなぐのは、言葉だけである。われわれが触れることのできる唯一の肉体が、言葉である。彼らがいかに言葉を否定しても、歴史は消え去るものとしての言葉を残す。

言語を内在的に使用しようとする誤った問題を立てると、かならず言語は否定によって埋め尽くされる。肯定的命題は不可能になる。「内在的使用」は、論理的一貫性の意味、あるいは数学的証明の問題にとどめ置くべきであって、この語を拡張すると、決定不能に陥るのは当然である。だが、歴史は、内在的使用が不可能だった言葉の集合である。また別の見方をすれば、歴史そのものが、潜在的な力の顕在化過程である。この観点からすると、歴史における「否定」的表現とは、否定による宙づりではなく、自らを肯定するための、一種のイロニーであり、迂回であり、屈折である。

ニーチェが否定するとき、彼はそれがイロニーであることを自覚している。したがって、彼は「神はいない」ではなく、「神は死んだ」という言い方をする。彼は神の存在(実在)を肯定しているのである。デカルトやパスカルのようなフランス人に対する彼の賛意は、神の存在を証明したという点にある。

戦後の日本人を覆っていたのは、言語の否定的使用である。すなわち、決定(決断)を回避し、宙づりにしておくために、否定する。この手の用法は、ヘーゲルの否定とは異なるが、スピノザのそれとも異なる。カントであり、じつはもっといえば去勢されたヘーゲルである。言語そのものの否定、すなわち、肯定に至らぬ否定の否定である。これはいまに至るまで一貫している。右も左も、あの戦争を非難するふりをして、なにより言葉を否定している。言葉は信用ならないと言っている。言語論的転回は、デカルト的に理解されるべきだったが、カントに引き寄せられていた。

言語を否定するひとたちを肯定するのは骨が折れる。いったい、彼らは否定したことを肯定してほしいのか。それとも否定してほしいのか。民衆同様、言葉しか持たない、もっとも弱い人間である死者が、どうして自身の最強の武器である言葉を否定してしまうのか。結局、論文などでは、もっと大きな肯定のための下地になってもらうほかなくなってしまう。

ニーチェは、そうした否定するひとたちを否定しようとはしなかった。ただ、幾ばくかの友愛を込めて、「敵」と呼んだ。ヘーゲルによるなら、否定の否定は肯定だが、否定する者たちを否定しても、べつに肯定になりはしない。歴史の上ではなにも起こらない。結局、「敵」と呼ぶのがもっともふさわしい。彼らには、言葉の力を妄信する冒険者の打ち倒す「竜」になってもらうのがよい。

残念ながら、歴史学者の多くは、言葉を否定的に扱う。つまり、歴史を否定する。わたしもそうだったが、この資料は信用ならない、という観点から研究を開始する。しかし、そういう仕事は空しい。資料の粗を探すやり方は、資料を細らせ、仕舞いには駆逐してしまう。歴史学者の机には、何も残らない。そうならないのは、彼らが半端だからである。どこかで、そういう原理を曖昧にやり過ごしているにすぎない。本当は、つきつめていけば、歴史学者は、無言で頷きあう以外のことができないはずなのだ。

美しいものをみてストレートに、「美しい」という。美しいものをみて、美しいと思いつつ「まあ、いいんじゃない」という。後者が自意識で溢れているのは明らかだろう。自分の好みを知られるのが恥ずかしかったのかもしれない。こういう恥ずかしさは誰にでもあって、前者のような使用は訓練がいる。しかし、じつは、歴史に残っているのは、原則的に前者の使用法だけである。というか、後者の使用法をしても、歴史はそれを前者とみなす。しかし、歴史学者は、後者の使用法から、そのうちに隠された自意識をやたら取り上げたがる性質をもっている。

いずれにしても、否定、すなわち迂回は、その迂回が大きければ大きいほど、より大きな精神を構成する。エスプリには精神と同時に機知の意味があるが、言葉の迂回的な使用法は、実際に、言葉を精神的なものにする。言葉の肉体は失われていく。否定する言葉は、なにより言葉に向けられた刃である。

だが、言葉をもっと信頼していい。そうすると、言葉はもっとシンプルなものになる。シンプルであっても、充分すぎるほどに言葉は複雑である。そしてふと歴史をみて、こう思うだろう――歴史はすばらしい。ひとの知はすばらしい。なにより肯定に値する、と。

システムを非難するのは重要なことである。すばらしさを覆い隠すものがシステムだからである。「ちょっとどいてくれませんか」というわけだ。だが、それと一緒に中身まで一蓮托生させてしまう必要はない。不思議なことだが、ゲーデルに反して、ひとは、肯定することしかできない。

おそらく、言葉の死があったのだ。《言葉は死んだ!》――言葉だって腐るのだ。ニーチェのいわゆる「神の死」は、神が言葉であることの言明である。だが、わたしのいう《言葉の死》は、生が輪廻転生のうちにあることの言明である。言葉の死があるなら、言葉の生もあろう。そこにわれわれの生もあるにちがいない。

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