言葉の無力

philosophy
2008.01.27

: 言葉は無力である、とあなたは言った。
: そうだ。言葉は無力だ。言葉は、本質的に、比喩なのだ。レトリックといってもいいし、現実のまとうリプレゼンテーションといってもいい。ただし、リプレゼンテーションは、じつは、現実と結びついてはいない。本質的に虚構であり、媒介的なもの、ヘーゲル的なものだ。
: ヘーゲル……。あなたはずいぶんヘーゲルがお好きなようだが、ならば、あなたはいったい、なにによって戦うのか。
: いやいや、ちょっと待ってくれ。ヘーゲルは好きではないよ。むしろ、ヘーゲルに反対しているのだ。言葉がヘーゲル的なものだからこそ、最終的に、言葉そのものが、否定されねばならないと言っているのだ。だから、その質問に答えるなら、こう――現実だ。言葉と現実は違う、現実において戦うのだ。
: いや、あなたはぼくの問いに答えていない。あなたは言葉は無力だと言った。現実において、どのように戦うのか。
: ふふ……それは悪かった。たしかに君の質問には答えていないようだね。君の質問は本質をついていて、それだけ大変難しいのだけれど、……あえて、いってみれば、こういうこと――言葉が無力であるということを、言葉で示すことによって、戦うのだ。
: それは、もっともらしい言い方だが、あなたの言葉に説得力があるとは思えない。そういう言葉に満足するのは、むしろ、言葉を用いることを常としている学者や政治家ではないのか。言葉を語る権利を持つ者だけが、言葉の無力を主張できるのではないか?
: ん? ……どういうことだ?
: ぼくはあなたのようには考えない。ぼくは、言葉は暴力であると思う。けっして無力ではない。言葉はときに、ひとを本当に殺す。あなたがいかに言葉の無力を主張したところで、剣や爆弾よりも、言葉こそが……。
: ちょっと待った、君の話を途中でさえぎって申し訳ないが、それは誤解だ。言葉は無力だ。なにも行いはしない。君は、どうやら言葉と現実を混同している。だってそうだろう、たとえば椅子を持ち上げるように、言葉を持ち上げることなどできないのだから。言葉とモノは違うのだ。たしかに、多くのひとが、美と自然を混同している。美は、自然を享受する認識の側にある。美と自然とが分かたれねばならないように、言葉と現実は区別されなければならない。
: カント……。
: そうだ。君がそれを知っているならば、話ははやい。《物自体》は、他者であり、わたしたちの認識からは区別されねばならない。
: この二人の対話も、本質的に遮断されている、と。断絶があって、コミュニケーションは成立していない、ということか。
: そういうことだ。もちろん、君のように考えてしまうのは無理もないとも思うけどね。君は、言葉がひとを殺すといったが、そうではなくて、言葉と現実を混同する、この誤解のほうが、ひとを殺すのだよ。嘆かわしいことだが、多くのひとびとが、君同様に、言葉と現実を混同している。だからわたしはなんとかしてその誤解を取り除こうと、日々無駄な努力をしているのさ。情けないことだが、そうして、身近なところからコツコツやっていくしかないのさ。君のように血気盛んな若者があせる気持ちもわかるがね。ところで、いまわたしの用いている言葉も、比喩にすぎない。けっして現実ではない、ということは、重々承知しておいてくれたまえ。
: …………。
: 不満そうな顔をしているな。なら、もうすこし希望に満ちた話をしよう。たしかに、わたしたち二人の会話は、結局なにも通じ合っていない。だが、そこにこそ、可能性があるのだ。
: (笑)。
: なにがおかしい?
: 脱構築……?
: そうだ、知っているのか?
: 知っている――というか、よくわからないな、それは。弁証法とどう違うのか。
: おいおい、やめてくれたまえ、なんだ、君はたしかによくわかっていないようだ。弁証法と脱構築はまったく反対の概念だよ。君の言うその弁証法を批判するのだよ、脱構築は。言葉は無力である、現実とは結びついていない、そのことが、可能性/不可能性なのだ。
: 可能性なのか、不可能性なのか、どっちだ?
: おいおい、困ったな……。たしかに、脱構築は、微妙な概念だからね。可能性であると同時に不可能性なのだ。人生はそんな簡単なものではない。こうした二者択一をこね合わせてひとつにするべきではないのだよ。デリダは、そう言って、弁証法の概念にとどめを刺したのだ。
: …………。
B: つまり、言葉は、無力なのだ。だから、言葉の無力を言葉によって示すことによって、われわれは戦うことなく戦うのだよ。
: 勘弁してくれ………
: ん? なにか言ったか?
: 勘弁してくれと言ったのだ。いや、もうあなたと付き合っている暇はない。ぼくは別のところに行くことにする。どうやら、あなたとは理解しあえないようだ。
: どこかにいってくれてもかまわないし、べつに困りはしないが……。おせっかいを承知で一言忠告しておけば、そうやって君がいうように「理解しあう」ことなど、できないのだよ。君も、もうすこし大人になってくれるといいのだが……。はっきりいうが、理解しあえる閉じた場所でだけコミュニケーションしようとするのはいい加減止めたまえ。君は要するに、ロマン主義者なのだよ。若いうちはそれでもいいが……。
: ははは。なるほどね。ぼくは、デリダは好きではない、とだけ言っておくよ。ヘーゲルの方が、「まし」だと思う、とも言っておこうか。とにかく、あなたとのおしゃべりはもうたくさんだ。たしかに、あなたのいうように、無力な言葉というものも、あるらしい。あなたはあなたのやりかたで、「戦うことなく」戦ったらいい。ぼくはぼくの道を、つまり戦うことのできる道をいくことにするよ。
: そうしたまえ。……君は見込みがあると思ったが……。
: 思い違いだろう。とにかく、さようなら。
: さようなら。(やれやれ、コミュニケーションは、やはり、成立しないことが、また実証されたというわけだ。君にそれがわかるといいが……。)
: そうだ。
: なんだ?
: ぼくもおせっかいついでに一言いっておこう。あなたが持ち上げたのは、本当に椅子だったろうか――この質問を餞別に残しておくよ。
: なにを言っている?
: いや、たんなるおしゃべりだ。今度こそ、さようなら。
: ……さようなら。

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