脱構築と相互作用

criticism
2010.08.01

脱構築に希望を見いだしたひとは、おそらく、ドゥルーズやフーコーの思考を紛れ込ませていただろうし、デリダを純粋に読んだなら、かえって社会の変革不可能性を見いだしたはずである。しかしそれはもっと馬鹿げている。

ところで、内容の表現、という思考法をつきつめてみよう。どのようなひとも、環境に応じて独自の内容をもっていて、それをいかに表現するか、ということにすべてがかかっている。社会のことは、ひとまず措いておこう。まずは自己に徹底してこだわること。一から多への運動、それだけが重要だ。

一般相対論の話を聞いていて思うのは、この思考法では、これ以上は前に進めないだろうな、ということ。場と粒子の相互作用という発想は、数学的に飛躍的に難解になるし、とくに面白くもない、という気がする。

その点、芸術のよいところは、徹底して、内容の表現、という発想にこだわるところにある。場と粒子の関係で言えば、場は徹頭徹尾、粒子の結果にすぎない。

たとえば中上健次の小説も、「路地」という概念はそれほど面白くない。彼の苦悩の徴であるかもしれないが、自意識である。彼の葛藤が、そのまま路地という奇怪なものに変質している。岬に出る、海に出る、そこにこそ、彼の小説の小説たるゆえんがある。路地を面白がる眼差しには、やや帝国主義の匂いがある。

ともあれ、場と粒子の相互作用、形式と実質の相互作用という考えは、捨て去るべきものだと、わたしは考える。われわれが歴史を学ぶのは、無意識のうちに作用しているそれを振り捨てるために、である。われわれの実践を歴史に照らし合わせるためではない。

たとえば湯川秀樹の中間子論の面白さは、陽子と中性子とのあいだの相互作用を、別の粒子の交換だと考えた点にある。相互作用(力)を粒子に置き換えてしまった。この結果、粒子と粒子の葛藤それ自体が粒子に置き換えられ、結果、素粒子論は半分破綻した。以後、無数の素粒子が見つかってしまったのである。

ヘーゲルの弁証法、すなわちテーゼとアンチテーゼの総合であるジンテーゼは、あくまで精神的なもの、歴史的なものである。しかし、湯川の中間子は、物質的なものである。この点でおおいに異なるとはいえ、ヘーゲル的な読解も可能な点、京都学派的な考えかたを見ないでいるのはむずかしい。

いずれにしても、無限を回避するためひとまず場の問題を考えなかったこと、粒子の核力をそれらに内在的なエネルギーとしてではなく、それらの表現として別の粒子があると考えたこと、それが湯川の中間子論の芸術的な部分である。

時空間と、そこを埋める実体の相互作用から、時空間そのものをずらしていく、という発想は、相当困難である。数学的に難解になりすぎるし、たえず時空間を参照しながら実体が動かざるをえず、自由はほぼない。この発想で、なにか新しいものが生まれでるとは、わたしには思えない。

わたしにとっては、時空間は、飛び立つための助走路にすぎない。いいかえれば、時空間を捨て去るということだ。路地を捨て岬となり海に突き出る、それが《内容の表現》、ということであり、芸術の神髄であると、わたしは考えている。

現にあるものを組み替えていかに新しいものを創るか、という発想で目的を実現するのはそうとうに困難にみえる。むしろ、われわれがなにかを加えるたびに、なにかが消え去る、と考えた方がいいのではないか。別のいい方でいうと、昇りきったはしごは捨ててしまえ、ということである。

歴史をみることは、蓄積過程をみることではない。むしろ、消滅過程をみることである。歴史は、われわれの生よりも相当ゆっくりしているが、消えつつあることは確実である。近代の資料と古代の資料の残量を比較すれば、それは明らかである。

歴史を学ぶ人間は、なによりその物量に驚く。もはや、オリジナリティなど不可能ではないかと、そう思うのだ。だが、そこに忘却という実践の可能性がある。無意識をも踏破しようとする冒険者にとって、忘却はむしろ、勇気の証である。それは葛藤を捨て去ることであり、アンチ・オイディプス的実践である。

この忘れられた領土を、プラトンはコーラーと呼んだ。プルーストは、ここに芸術の領土を認めている。歴史を学ぶことは、いかに人間が忘れっぽいかを学ぶことであり、けっして、記憶を増やすことではない。

言い方を変えると、歴史とともにある時空間を、形式を、一度は忘れ去ってみよう、ということである。あなたが本当に忘れることができていれば、つまり無意識にさえその痕跡を残していないならば、そのときこそ、新たな領土、すなわちコーラーが見つけられる、ということである。

湯川は場の問題をひとまず措くことで、新らしい理論を作り上げた。その後、素粒子は、複数形で語られざるをえなくなった。万物の根は、無数の根、すなわちリゾーマタでできていた。根源(オリジン)を求める執念は、むしろオリジナリティ(創造性)に帰結したわけである。

しかし、思えば、芸術はつねにそれを実践していた。形式と実質の相互作用、あるいは形式の脱構築ではなく、内容の表現にこだわることによってである。それはむずかしいことではない。ずっとシンプルである。耳を塞がれたベートーヴェンは、もはや形式との相互作用の可能性をずっと失っていた。

ベートーヴェンは、内容の表現、という思考をずっと強いられていたのである。一と多の相互作用ではなく、一から多へ、という思考法しか、彼にはできなかった。しかしそのことが、彼をオリジナルな存在にした。

脱構築は、原則、実質(粒子)と形式(場)を前提に、それらをずらそうとする考え方だが、わたしにはきわめて難解なものにみえる。さまざまな点、たとえただひとつの点であっても、たえずそれが所属する社会や時空間について考えなければならないからである。

脱構築は、あえて社会に取り込まれることで、その社会を内側から変化させようとするものだ。しかし、取り込まれた自分によって、すでに社会が変化していることを考慮に入れなければならない。また、自分の行為によっても、社会は変化する。その変化も考慮に入れなければならない。

いわゆる「相互作用」だが、この作用は瞬間的に無限に到達する(発散する)。予定調和的な「相互作用」はいくらでもあったが、逆に予定調和がなければ、この思考法はついに完成しない。

わたしなら、路地を捨て去ること、脱構築という発想を捨て去ることを、お勧めする。そうした実践こそ芸術と呼ばれるべきだからだ。

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