真実について

criticism
2016.11.25

英国民が、投票結果は賛否拮抗とはいえ、EU離脱を決めたとき、自分は膝を打った。「理念」に対する別の観点を示していたからである。たしかに戦後の理念、たとえば民族融和や自由主義崩壊の一局面にはちがいないが、そもそも理念とは何なのか。理念、それは欧州においてはローマ的ないしキリスト教的なものである。カントやヘーゲルが哲学的に磨きあげたそれは、目を覆う現実に対する楽園であり、種々の怪物の跋扈する近代社会における貴重な憩いの場としてそれなりの意味を有したが、それが政治と結びつく際にはかならず帝国としてあらわれた。世界宗教と帝国とは、はじめから裏で手を結んでいたのである。革命前夜、ルソーの『ヌーヴェル・エロイーズ』やサン=ジュストの『オルガン』は、湿り気を帯びた人間の欲望の野放図な肯定であり、悲願達成に充分な破壊的野性があった。しかし祭りのあと、それが人類普遍の理念とやらを名乗り始めるや、帝国と化して大陸を覆い尽くしたのである。

帝国に抵抗することが、近代をもたらしたことを、すぐに忘れてしまう。洋の東西を問わず、帝国が誇示する崇高な理念は、境界に身を置く者たちには、外からやってくるという理由だけで、理念への拝跪、支配の受け容れを意味した。さもなければ蛮族のレッテルを貼られて討伐の対象である。しかし、理念に対する必死の抵抗は、ときに祭典の古俗とさえ蔑まれる慣習や契約に活路を見いだし、たとえそれらが理念に対してはあまりに貧相なものにみえたとしても、これらの概念のおかげで近代主権国家は紛れもなく誕生したのである。ヒュームやルソー、そして宣長の狂った思考には、理念の尻ばかり追いかける癖のある知識人には見えない真の近代性がある。

むろん、これら主権国家は、おのれの出自を忘れて普遍を簒奪し、ただちに帝国化した。EUや米国にせよ、ロシアや中国にせよ、今日帝国と呼ぶに足るこれら広域国家はみなそれぞれ世界史的理念をもっていたはずだが、理念の崩壊は彼らを力ずくの存在に変質させる。彼らはベルリンのドイツ人のように世界を理念としてみつめる空想主義者だが、玉座は人間の手の届かぬ天空に浮かんでいて、たとえばメルケルの姿は地上からはほとんどみえない。耳障りのいい理念を口にはするが、建前しかいわず反論も受け付けぬ知識人の仮面に鼻持ちならないものを感じたひとたちは、暴言をまき散らす者たちに本音主義の清々しさを感じもするのだが、マイノリティに対する忖度も、エスタブリッシュメントに対する強弁も、けっきょくは真実とはほど遠いものである。建前でも本音でもない、心の底から吐かれた真実の嘆息を、自分は聞きたいのである。

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