疫病の温床としての人間

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2020.07.21

疫病は一進一退、簡単に収束、というわけにはいかない。この間、命あるかぎり、人間社会をあつかう学者は貴重な経験をしていることになる。

それが疫病の収束に直接役に立つか、というと、そういうわけでもない。わかるのは、人間のある条件の不可欠さ、すなわち人間存在の持っている、個体を超える幅である。しかしそのことをあらためて確認する人文学の意味は、きわめて大きい。そう迷信している。

われわれは、ひとと会うために移動し、言葉を交わし、肩を組み、食卓を共にし、ほんのひとときではあれ、人生を重ねる。それが、われわれの生活だ。だから、一進一退は正しい。人間の本質、《自然》を否定することはできない。疫病との戦いとは、他者にもウイルスにも親しい、疫病の温床としての人間のもつ本質的《自然》との独り相撲である。むろん、疫病を是が非でも食い止めようとするさかしらな人間精神とも戦わねばならないかもしれない。ただし、このさかしらが、疫病の温床としての人間の本性を否定しないものならば、それはまちがっていない。一方で可能な限り人間同士の語らいの機会をうかがいながら、他方でワクチンの誕生を待つ。それでいい。

まちがった戦い、つまり不可能なことは、新しい生活様式と称して、人間と人間のつながりを切断し、それによって疫病もろとも人間も死ぬべきだというような、そうした狂った思想を実現することだ。

われわれが生きるとは、ひとと語らうこと、旅をすること、茶でも酒でも杯をともにすることである。そうした生の本性もろとも疫病を避ける短絡は、人間の敗北でしかない。疫病のリスクと社交とを天秤にかける判断を、各自おこなうことが、人間が生きるということであり、疫病に勝利するということである、と、そんなふうに考えている。

人類史第2回をアップしている。興味があれば、ぜひ。

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