歴史学を志す若者たちへ

diary
2013.04.15

歴史は美しい方がいい。しかし醜いものから目をそらすことがあってもいけない。歴史は事実からなる。しかし嘘を無視していいわけでもない。それさえ理解していれば、歴史は若者たちの自由になる。すばらしい歴史家の生まれる世界は、同時にすばらしい世界をも生むはずだ。

まっさらな若い学生が歴史について問いをたて、答えを出そうとする姿をみれば、たいていの教師は感動するだろう。歴史はたんに過去との対話というだけではなかった。未来との対話でもあった。歴史は因果律よりもはるかに自由なつながりのなかにある。

過去と未来とから伸びる無数の線が交錯し、そこかしこに現在が生まれる。《今》という時間は、主観的にしか生まれない。さらにいえば、今とこことが一致するということも、主観のなかでだけ生じる。こうした主観の機能についての知の探究こそが、歴史学の真価である。

たとえば百年以上前に書かれたある史料が自分の眼の前にある、そのことを因果律のなかで説明してもなにも生まれない。まずはその史料と自分のいる《今》、すなわち主観との出会いの偶然性を肯定するところからしか、歴史は生まれえない。自分の私的な関心や欲望を肯定しなければ、歴史は生まれない。

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