歴史学の末路と新生

diary
2014.06.05

右と左のどちらが現実が見えているか、という問いはけっこうな難問だが、わたしはそもそも、政治が「超」がいくつもつくほど嫌いである。わたしは、右でも左でもなく、イデオロギーなるものとは一切関係しない。ただ、言葉を発するのであり、政治を《追い越す》ためになにができるかを考えていたい。

教育の場では散々に迷う。政治に興味をもて、ともいい、もつな、ともいう。いつでもそうだが、誰に語るかで、言葉の意味が変わってしまうから、それは仕方がない。すでに《道》をみつけている早熟な学生なら、政治はもう必要がない。真理に、美に、あるいは善に、一目散につきすすめばいい。

《道》がみえているなら、政治でさえ、真理や美や善の素材として利用できるだろうし、また、政治の介入に対しては断固として拒絶できるだろう。政治が意識的にも無意識にも、若者の《道》を閉ざすようなことがあってはならない。そうなることを、教師が恐れるように、政治家も恐れて欲しいが、それは呑気な要求だろう。

歴史学自体が人間のような曖昧なものを避けて、より実証しやすい法や制度のような対象を選ぶ傾向がずっとつづいているが、そのことは、歴史を容易なものにする反面、歴史そのものの価値を減退させる。気づけば歴史は歴史学の手の届かないところに逃げている、ということもしばしばである。

歴史学の自己批判の稀少さ、批判的な理論の黙殺傾向にはうんざりすることが多いが、こうした学問的保守性が、学問の幅を結局は萎縮させ、当初の目的達成にまったく繋がらない事態は、学問はともかく政治的には革新を気取る界隈ではよくわかるはずのことだろう。

歴史学者も人間だから、その彼がおこなう学問には当然それなりの弱点がある。つまり、固有性を発揮するよりもはるかに全体主義的行動のほうに馴染みが深いということである。人間は国家を作る生き物である。だから歴史学の世界にも、いたるところに国家がある。そしてたいていは腐っている。

個々の歴史学者をみるなら、努力しているというほかない。だが、あきらかに構造的問題を抱えている。歴史学の問題か、それとも人間の問題か、はたまた政治や制度の問題なのか。それで一番批判しやすい対象、すなわち最後の政治や制度の文句だけは一人前にする。前の二つは自己批判だからやりたがらない。

歴史学に自浄作用があるようにはほとんど思われない。程度の低いイデオロギー闘争に明け暮れて消耗し、衰滅するくらいが一番ましな結末で、ふつうに考えればたんに大学から歴史学の需要がなくなっていくのがもっともありそうなことである。ひとがどうしても必要としているのは日々のパンである。

あるいは歴史の必要は声高に叫ばれるだろう。いまだに歴史は全体主義者の興味をひく存在だからだ。こうして歴史学者は、かならず二度敗北する。一度は純粋に真理を目指そうとする学問的動機において。そして二度目は政治的に。しかしまだ学者として息がある、というのもわれながら不思議なことである。

二重の意味ーー過去のかけがえのない出来事およびそれをひもとく現代学問の精神ーーで歴史を再生させるために、なにができるのか。それが歴史家としてやらねばならぬ仕事である。若い学者や作家が恐る恐る進む足取りの不確かさに、千年単位の勇気を与えることーーそれが自分の生涯の仕事である。

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