歴史と従軍慰安婦の在り

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2005.07.15

何かを語ること、何かを書くことは、それがどのような内容であろうと、それについて肯定することを意味し、またそうであるがゆえに、同時に、語った内容とは別の何かについて沈黙すること、ないしは拒絶することを意味する。つまり、一言でいえば、語る、ということは、別の何かについて沈黙することである。さらに言えば、語るということは、聞き手が持っているかもしれない言葉を聞かない、ということも意味している。

だから、わたしが未来について語るとき、それは逆に、過去について、目や耳を閉ざすことを意味するし、また、逆もそうである。過去について語る者が、同時に未来を語ることはできない。ひとは、ヤヌスではない。もともと語るとはそういうものであり、だからそれについて嘆いても仕方がない。

そこから帰結するさらに重要なことがある。「わたしのいる現在」が過去と未来を分かち、あるいは作り出し、どちらか一方にだけ目を開くのだとしても、だからといって、「わたしのいる現在」は取り立てて重要なわけではない。それは、ただ必要な任意の点にすぎないのであり、だから、「現在」を否定するべきでもなければ、また、取り立てて肯定する必要もない。「わたしが語る」とき、わたしは重要ではなく、むしろ、何を語り、そして同時に何を語らないかが重要である。「わたし」は、そのことによって生じる結果にすぎない。だから、“則天去私”と語るのはあまり適当とはいえず、むしろ、たんに「わたし」と言えばよい。あるいは、言わなくてもよい。ところで、これが、超越論的経験論と言われるものである。

わたしが好きな作家に高見順がいる。作品に表れる、歴史的限界以上の個人的資質に負う不思議な限界からくる、奇妙な迷走に、わたしは共感する。この迷走には、書かれている内容以上の、真実があり、そして、なおかつ、そのこと――自分が語った内容以上のことを自分が語っていること――にこの作者は自覚的である。つまり彼は芯から作家である。彼を好意的に、しかし盲目的に批評した平野謙のおかげで、この作家はかえって割りを食っている。戦中はビルマに従軍し、中国にも赴いた彼は、浩瀚な日記を残したことでも著名であり、言うまでもないが、日本の近代史を学ぶ者にとって、彼の日記は必読書のひとつである。もし未読の読者がいれば、いますぐにでも読んで欲しい。『敗戦日記』などは、まだ手に入りやすいと思われる。そこに、一九四五年十一月十四日の日付のついた、次のような記事がある。

   十一月十四日
 …略…
松坂屋の横にOasis of Ginzaと書いた派手な大看板が出ている。下にR・A・Aとある。Recreation & Amusement Associationの略である。松坂屋の横の地下室に特殊慰安施設協会のキャバレーがあるのだ。
「覗いて見たいが、入れないんだね」というと、伊東〔引用者註―栄之助〕君が、
「地下二階までは行けるんですよ」
地下二階で「浮世絵展覧会」をやっている。その下の三階がキャバレーで、アメリカ兵と一緒に降りて行くと、三階への降り口に、「連合国軍隊に限る」と貼り紙があった。「支那人と犬入るべからず」という上海の公園の文字に憤激した日本人が、今や銀座の真中で、日本人入るべからずの貼紙を見ねばならぬことになった。
しかし占領下の日本であってみれば、致し方ないことである。ただ、この禁札が日本人の手によって出されたものであるということ、日本人入るべからずのキャバレーが日本人自らの手によって作られたものであるということは、特記に値する。さらにその企画経営者が終戦前は、「尊皇攘夷」を唱えていた右翼結社であるということも特記に値する。
世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいち早く婦女子を集めて淫売屋を作るというような例が――。支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされている支那人も、自ら支那の女性を駆り立て、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かゝる恥しい真似は支那国民はしなかった。日本人だけがなし得ることではないか。
日本軍は前線に淫売婦を必らず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いといって、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどはだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと「慰安所」の女になれと脅迫する。おどろいて自殺したものもあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかゝる残虐が行なわれていた。
戦争は終った。しかしやはり「愛国」の名の下に婦女子を駆り立て、進駐兵御用の淫売婦にしたてている。無垢の処女をだまして戦線へ連れ出し、淫売を強いたその残虐が、今日、形を変えて特殊慰安云々となっている。
 『高見順日記』第六巻、勁草書房、一九六五年、161-2頁

彼がここで語っている主題は、一種の批判的ナショナリズムであって、いわゆる「従軍慰安婦」の問題ではない。すなわち、「愛国」を口にしながら、外国人のみならず日本人をも戦地で慰安婦として働かせ、結果的には自国民をも貶めてしまうような人々(出来事)に対する、しかも「だまして連れ出した」かもしれないことに対する憤慨なのであり、すなわち、彼なりのナショナリズム(愛国心)とヒューマニズムが書かれている。だから、慰安婦という現象に対する批判は主ではなく、また、ナショナリズムが根本的に批判されているわけでもない。

だが、そのゆえにこそ、従軍慰安婦の問題について、この文章は一級の史料的価値をもつ。語らなかったとはいえないまでも、彼の主張のために通りがかりに触れた「前線に淫売婦を必らず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いといって、朝鮮の淫売婦が多かった」という記述には、彼の主観的意図が少ないと考えて差し支えないからである。彼の論点は「「愛国」の名の下に婦女子を駆り立て」、結果的に愛国的でない振る舞いをしてしまうという矛盾にこそ、向けられている。逆に言えば、彼にとっては、自分の主張に対する異論の余地は、ここにしかないのである。あくまで、「前線に淫売婦を必らず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いといって、朝鮮の淫売婦が多かった」という記述は、当時の人々の共通理解であり、異論の余地の少ない議論の前提として受け容れられているものなのである。つまり、この史料からだけでも、当時、従軍慰安婦の存在に異論を挟む者などほとんどいなかったということだけは、少なくとも確実に見てとれるわけである。

ところで、今日、国家責任を問われている従軍慰安婦の問題は、高見順が触れているような、「だまし」たことにあるのではない。それは、この問題とはあまり関係がない。慰安所で働いたことが、当時慰安所の設置と並ぶ、陸軍将校の作戦給養業務のひとつであった酒保施設の事務員だといってだまされた上でのことなのか、それとも、みずからの意志なのか、ということは、この場合、証明不能である(酒保の女給と慰安所の淫売との区別は戦地でなくても付きがたい以上、だましたともだましていないとも言いがたかろう)。誤解を恐れずに言えば、そもそも、歴史は、そうした個々人の意図を超えた何ものかにこそある。すすんでなのか、嫌々なのか、という個人的な意図は、あまり重要ではない。歴史的に言って、“自らすすんで行なうようにさせられる”、ということはいくらでも考えられるからである。たとえば、こういうことだ。あなたは、自ら、朝七時に起床し、そして会社なり学校に行く。もちろん、それはあなたの意志でだ。だが、歴史は、個人というよりは社会に重きを置いている。もっと正確にいえば、個人、あるいは集団の中の、ある社会的な部分に重きを置いている。だから、一人ではなく、なるべく多くの人間の集まった状態を考えねばならない。そこで、数人、数千人、数十万人規模を考えてみる。ある種の社会では、数千万人規模で、誰もが、自らすすんでほぼ同じ時刻に起床し、会社なり学校へ行く。それは、はたして本当に自分の意志なのだろうか。もしかしたら、“自らすすんで行なうようにさせられている”とは言えないだろうか…。仮に、誰もが同じ時刻に登校し、通勤する社会だけしか世界に存在しないという想定をしたとしても、本人の意志か、それとも強制なのか、という問題は、究極的に“わからない”というところに落ち着くはずである。そして、そうでない別の社会も存在しうると仮定すれば、そうした別の社会の人々から見れば、誰もが同じ時刻に起床し、通学・通勤しているのは、ほとんど強制に近いか、何か宗教でも機能しているのかと考えるだろう。したがって、それが個人の内面にかかわるかぎりにおいて、歴史においては、“自らすすんで行なうようにさせられている”か、もしくは、“わからない”か、このいずれかの立場しか取りようがない。すくなくとも、それが自発的な意志に基づくものだから、ということで、問題を解決することはできない。特攻が〈形式的には〉個々の兵士の自発的なものであったにせよ、だからといってそれと国家とのかかわりを切り離しては考えられないのと同じである。特攻もまた、国家の犯した罪である。

さて、従軍慰安婦の問題に戻ろう。強制的な徴用は、民間のブローカーが行なったことで、国家は無関係であるという論法も、とることができない。従軍慰安婦は戦争にまつわる問題であり、また、戦争は国家が行なうものだからである。仮に従軍慰安婦という現象と戦争とが無関係である、というような荒唐無稽な立場をとることができたとしても、そもそも、この時期、国家と無関係な民間業者なるものは存在しない。高見順もほのめかしているように、この時期、民間のブローカーのように見える団体は、ほぼ確実に、右翼団体である。当時、すべてが国家の統制下に置かれ、したがってより明確に国家が責任を負う立場にあったにもかかわらず、国家とは無関係な集団が戦争に関与していたということがありえたとしたら、どのみちそれは国家の失策であって、国家が責任を問われないわけにはいかないはずである。

だまされたとかだましていないとか、従軍慰安婦と国家とは関係あるとかないとか、そういう類のことで従軍慰安婦の存在の可能性を疑うといういささか的外れの議論があるとすれば、そんなものは別に史料を紐解く必要も本当はありはしない。ある種の論理的な思考能力さえあればわかることであり、あるいは歴史を学として行なっている者にとっては、問題にすらならないおそろしく非生産的な問いである。こういう議論に親切にも付き合っている歴史学者が何人もいるのを知っているが、いったい、彼らは何をやっているのかという気にさせられる。このことは、歴史が存在していることを露とも疑ったことのない多くの歴史学者――だってそうだろう、歴史が存在しなければ彼らは商売のタネを失うのだから――が、じつは存在に対する形而上学的な問いにおそろしく不向きだということに起因している。結局、歴史学者は始終、形而上学的な問いにひっかかってしまう、そして悪いことにはそのことに気づかない厄介な種族なのだ。従軍慰安婦がなかったと言っているような歴史学者がいるとすれば、それはべつに歴史学とは無関係にただ幼稚な形而上学的駄々をこねているにすぎないのだから、それに対して分野の違う歴史学的な回答を与えたところで議論がかみ合うわけがないのである。だがひとまずそれは措くとして、この問題において重要なことは、個々人の意図とは無関係に、被占領地の女性が生地を遠く離れて前線で兵士の性欲処理をしていたという事実であり、彼女たちの生地を占領していた国家が、暗黙か公かにかかわらず、それを事実上認めていたということである。もし仮に、だましたとかだましていないとか、そういう水準の二者択一を手がかりに、従軍慰安婦があったかなかったかを問うような議論が横行しているとしても、それは、歴史学者が答えるべき問いではない。歴史学者である前にひとりの人間として、一知識人として、問われているのであり、だからたんに「わたし」は言う、従軍慰安婦は在った、と。

歴史は、それが学であるかぎり、たったひとつだけしかない真実を語らねばならないにもかかわらず、そんなひとつの真実を語ることができない。歴史学が単数の真実を語っているようにみえるとき、それは、ほぼすべて、イデオロギーと見做して差し支えない。歴史学は、いつも、ひとつの真実を語ろうとして、複数の真実の存在を洩らしてしまう、したがって、いままさに語っていた真実とは別の真実の存在を無言のうちに語ってしまう、たがの外れた装置である。そして、このたがの外れた音響装置が望むと望まざるとにかかわらず生み出してしまう、複数の真実、ということに満足するわけにもいかない。なぜなら、真実は権力を不可避的に作り出すのであり、したがって、複数の真実が作り出すのは、結局のところ、複数の国家でしかないからである。それでは、歴史学の欠陥の上であぐらをかいているだけなのである。だが、だからといって、そうした装置を捨ててしまうことはできない。ただひとつの真実を知るための方法がその装置にしか残されていないときに、それが不良品だといって捨ててしまうのはおろかである。

この装置の欠陥を最初に指摘したのは一九世紀のニーチェである。そして、この壊れた装置をなんとか利用できる形にしたのが、二〇世紀のミシェル・フーコーである。だから、われわれは、フーコーの仕事以来、上のような、一八世紀以降、とりわけ二〇世紀初頭には社会科学的裏づけを得てすでに出来上がっていた、調子の外れた歴史学という音響装置の、まさにその欠陥を利用する形で、なんとか、希少な真実を取り出し、音色を響かせようと努力してきた。すなわち、高見順がそれと意識して語らなかった、通りがかりに触れた、取るに足らないような言葉、つまり、彼が語ろうとして語ったのではない言葉の中にこそ、真実を見出すのである……。

歴史学が語ろうとする真実とは逆の真実がありうることを、それが自身の欠陥としてであれ歴史学自体が認めているのであれば、“従軍慰安婦は存在しない”と言ってしまうこともまたできるのではないか。この質問の答えは、然りであり、また、否、である。もちろん、それは可能である。ただし、それを、わたしの信じる歴史学の言葉として語りたいのならば、次の条件をクリアしたかぎりでのことである。つまり、今日、すでに無数に確認されている、それも複数の陣営において確認されているすべての従軍慰安婦の存在についての言説がデタラメである場合である。というのも、残念ながら、“従軍慰安婦が存在しない”という命題を裏付ける積極的な一次史料はただのひとつも存在しないからである。だから、もし、“従軍慰安婦は存在しない”と語る歴史学者がいるとすれば、それは、地球上に存在するすべての史料をしらみ潰しに当たったのでないとすれば(そんなことは不可能である)、たんに、すべての言葉は現実と対応していないというテーゼを不当に拡大解釈しているだけに過ぎないし、さらに言えば、その行為は、たったひとつしかない、歴史という装置の欠陥をただ非難するだけで、仕舞いにはそれを捨て去ってしまった非―歴史学である。すなわち、じつは本人が気づいていないうちに、愛すべき彼らはこう言っているのである。従軍慰安婦は存在しない、南京大虐殺は存在しない、太平洋戦争は存在しない、昭和天皇は、東条英機は、大日本帝国は存在しない、歴史は存在しない、そして、わたしは存在していない、と。

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