時の結晶―パーン・ホ・メガス・テトウネーケIV

philosophy
2009.09.06

アレゴリーから小説へ。文学の歩みにおけるその日付を明示したのは鬼才ホルヘ・ルイス・ボルヘスである。彼は言う。

アレゴリーから小説へ、種から個へ、実在論から唯名論へ――この推移は数世紀を要した。しかも、わたしはあえてその理想の日付を示唆してみたい。その日とはジェフリ・チョーサーがボッカチオの一行を英語に翻訳した一三八二年のあの日のことだ。…ボッカチオの’E congli occulti ferri i Tradimenti.'(「そして《裏切り》は鉄器を隠しもち」)を次のように翻訳した――’The smyler with ther knyf under the cloke.'(「男は外套の下に短刀を隠してほくそ笑み」)。

 「アレゴリーから小説へ」(1949年)、中村健二訳

アレゴリーから小説へ。言い換えれば、観念がひとを躍らせるのか、それとも、ひとが観念を躍らせるのか。こうした変化を、ボルヘスがやったように、歴史上のひとびとの歩みのうちに見いだすことができる。小説を礼賛しようとするボルヘスの意図をいったん離れ、これを《主体化》作用として読み解いてみよう。

《主体化》の作用には、彼のいうとおり数世紀の時が必要であった。鉱物、たとえば鉄や水晶について考えてみる。ある種の核と媒質が交換を繰り返し、地中奥深くで結晶化作用を遂げ、ついには鉄や水晶となるように、ヨーロッパの最果てで起こったこの結晶化作用は、まさにひとを主体へと変容させた。この結晶化作用に必要な数世紀とは、歴史家がときに《中世》と呼ぶものでもある。はじめはゲルマン人に、次にイスラム教徒によって、ユーラシア大陸の西端に追い込められた雑多な――さまざまな速度と異なる歴史とをもつひとびとは、濃縮され過飽和を実現し共振を繰り返した。彼らは、まるで鉱脈が地上に姿を現すように、場合によっては東へと滲み出し(十字軍)、あるいは西にあふれ(大航海時代)、そしてその本体は、ある種の結晶であるところの《主体》へと変貌した。主権国家、あるいはネーションの誕生である。

ところで、中世とは、神と神話、そしてその批判とがつくる三角形を意味する。肉体を失い、無と有との交換を促すそれらの三極こそが、この結晶化を可能にする内在的な主要因である。これと同じことを、日本においては鎖国と儒学、そして国学とが実現したとは考えられる。つまり、日本の近世は、ヨーロッパの中世に比すべきである。ある時点で近代化を遂げたのが、ヨーロッパと日本だけだったという歴史上の謎を、ある種の過飽和を実現し、結晶化が可能であったという観点から説明することは、ひとつの方法ではあるだろう。また、こうした結晶化の過程の差異(ある種の人為的な方法が取られたヨーロッパと、ある点まで勝手に結晶化していた日本との違い)は、そのままヨーロッパと日本の差異でもあるはずだ。

ボルヘスを信じるとして、そしてそれを主体化の作用として読み解くことが可能だとして、その最初のあらわれが、一三八二年である。だが、ここで重要視したいのは、その日付でもないし、中世から近代への流れが実現した主体の可能性でもない。むしろ、この結晶化作用そのものであり、とりわけ、この作用には、《中世》という過程がどうしても必要だったということである。ある点でいえば、デカルトやカントたちは、中世から近代へ至るこの結晶化作用の中心にいるのであり、またついに自らを《主体》と名指す最初のひとたちでもある。

とはいえ、こうした結晶化作用において、大きさはあまり重要ではない。たとえば、人間(あるいはその寿命)という尺度をつねに内包している《歴史》という概念は、中世から近代へという流れを途方もないもの、ひとりの人間が太刀打ちできないものとして映す。だが、ニーチェの生涯をみるなら、この途方もない流れが、もっとも極小であるはずのひとつの人生のなかで生じた様子が見て取れる。彼は、『ツァラトゥストラ』について、こう言っていた。

わたしは、偶然一八八六年の秋にふたたびこの海岸にきたが、それは、皇帝がこの小さな、忘れられた幸福の世界を最後に訪れたときだった。――この午前と午後の二つの散歩の道で、『ツァラトゥストラ』第一部の全体がわたしの心にうかんだ。とりわけツァラトゥストラその人が、典型としてうかんだ。いや、もっと正確にいえば、彼がわたしを襲ったのだ……

 『この人を見よ』手塚富雄訳

《ツァラトゥストラ》とは、ニーチェの作り出したもっとも優れた概念のひとつである、というのは正確ではない。この概念が、彼を襲ったのである。ここには、ボルヘスがボッカチオにみた《中世》があるようにみえる。だが、ニーチェはこうも言っている。

決意。わたしが語ることにする。もはやツァラトゥストラが語るのではない。

 「備忘録」手塚富雄訳

「なぜわたしは一個の運命であるのか」という最終章を持ち、「ひとはいかにして本来のおのれになるか」という副題をもつ『この人を見よ』という作品は、彼がひとつの巨大な運命として《主体化》を遂げたことの徴である。彼は、ひとが数世紀かけて行なう結晶化を、その短い人生において、猛烈な速度で反復したのである。というより、ここには、《時の結晶》というべきものがある。それは彼によって《永劫回帰》と呼ばれた。そして、私見によるなら、自己ならざる者による不断の自己の乗り越えであると同時に自己を実現する、この特異な結晶化作用こそが、《文学》である。だとするなら、アレゴリーか、小説か、という二者択一は、《文学》にとって、それほど有益なものではないこともわかるだろう。問題はそれらのあいだの移行であり逆行、つまり回帰である。ミシェル・フーコーにならい、用語に注意して言えば、主体よりも、主体化のほうが重要である。われわれは、ここで、《文学》が、特定の日付をもつ歴史の軛から逃れる瞬間を認めざるをえない。特定の日付を超えた飛翔を、《文学》は実現するはずなのだ。

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