星座の貌をした歴史学

history
2011.08.25

夜桜

歴史が《星座》の貌をしていることを発見したのはヴァルター・ベンヤミンである。イマニュエル・カント以来、言葉と言葉とをつなげることのうちに、多くの近代の歴史学者は因果律を見いだしていた。だが、それを因果律と呼ぶのはすこし行き過ぎだったのではないか。むしろ、星と星とをつなぐことで星座が生まれるようにして、歴史は生まれているのではないか。学芸の神アポロンのもとに集う九人の女神ムーサたちのうちに、歴史を司るクレイオと天文学を司るウラニアとがいたが、それは、現代人が忘れた、人文学のもっていた不思議な血縁関係である。

《星座》は、広大という言葉が陳腐に聞こえる大宇宙のなかの極微の一点、すなわち地球という星からみた天空に描かれた絵画であり、刹那の真理である。天空の星々には明るいものもあり暗いものもある。遠いものもあり近いものもある。大きなものも小さなものもある。同じ星が別の星座を構成するかと思えば、別の星が同じ星座のなかに組み入れられることもある。天空を平面に見立て、星々が表現している輝きと奥行きを、まるで山や谷を地図に書き起こすように、ひとは《星座》を描いている。暗いものが暗いとはかぎらず、明るいものが明るいとはかぎらない。ただわれわれは、永久の宇宙の時間からすれば刹那にすぎぬ天空が表現している星の見かけの明るさにしたがって、おのおのの立ち位置から星座を描いている。星の見かけの明るさは、いわば人間の抱く《価値》と同義である。《価値》はただの主観ではない。星々の見かけの明るさもまた、ひとつの真理である。科学的にいってアルデバランがデネブに比べれば暗いと知ったところで、ゼウスの化けた雄牛の右目として、この星がわれわれに果たしてきた歴史が変わるわけではない。しかし、月明かりに消え入るあの小さく暗い星は、本当は明るいのかもしれず、夜空に煌煌と輝くあの星は明日には死を迎えるかもしれない。そういう可能性は、星座が隠し持っている厚みであり奥行きであり高さである。星座の、ひとから隠されている不思議な垂直性は、ひとをして、天空の外側にひろがる「崇高」(ロンギノス)な世界をさえ思考させる。そんな途方もない力を、この概念はもっている。

ひとの《言葉》もまた同じように、木を削り石に刻まれ紙に書かれて、星座を形作っている。同じ星が別の国では別の星座に組み込まれるように、同じ言葉は別の時に置かれて別の価値を表現する。ヘーゲルのいう民族中心主義的な世界史は、20世紀、戦車の号砲と無差別爆撃の爆音と民衆の悲鳴のなかに置かれて、光を吸収する悪魔のような不吉な闇になった。詩人を排斥した哲学者の王プラトンは20世紀の終わりには、西欧中心主義者の列に加えられて別の忌まわしい星座を形成するようになった。彗星のごときニーチェはいまだに星座をなすに至らず孤独なままであり、いまではカントはひとの思考を天空のこちら側に厳格に縛める北極星のようである。テクスト中心主義者は、星がテクストの外部で別の星座を形作ることを認めず、ただ解釈のうちにテクストを補強し肥大化させる以外のことを自らに許さない。だが、同じテクストがまったく異なる価値を体現しうることがある。同じ言葉が真逆の価値をもつことさえある。それは、本当は明るい星が、まったく真逆の暗い星とみなされ、ひとつの星座のうちに描かれることによく似ている。

しかしにもかかわらず、星は星座を自らの運命として、それ以外の姿をわれわれに見せることはない。北斗七星は運命のようにわれわれの天空に輝き、それ以外の姿を見せることはなかった。オリオンは人類にずっとオリオンの姿を見せていたし、昴はずっと仲のよい姉妹だった。これからもずっとそうでありつづけるだろう。もちろん、万に一つの可能性に賭けて、この運命に抗うことができるのを、われわれは知っている。声が宙空に消え去るように、星もまたいつかは死ぬ。しかし、偶然を掛け合わせて生まれたこの刹那の星座たちが、運命として地球と人類の前にあらわれていることも、われわれは知っている。われわれの《言葉》もまた、そのようなものであるだろう。同じ《言葉》が別の星座を体現することがあるとしても、にもかかわらずそれは運命として、われわれの前に、ひとつの星座なのである。

《星座》とは、星と地上のあいだの距離と時の深さとが奏でる歌である。《言葉》もまた、現代という地上のあいだに、距離と時の深さとをもって、歌を奏でている。天空の奥深さのなかにある夜空の星々が、目に心地よいリズムをもっているように、時の深さのなかにある《言葉》もまた、耳に心地よいリズムをもっている。それは歴史と呼ばれる。夜空にさまざまな絵画を描いたギリシア人のように、現代の歴史学者もまた、時のうちにさまざまな絵画を描き、歴史家たらんとしている。しかし、この絵画がギリシア人たちの描いた星座ほどに、運命であるか。運命にまで高められているか。すなわち、《言葉》がもっとも美しく輝くだろう配置を、歴史のうちに描くことができているだろうか。

わたしが歴史家として、そして歴史の教育者としてつねに心がけているのは、そのことである。歴史のうちに星座を描くことであり、またそれを教えることである。星々のあいだに可能なもっとも美しい配置をつくり出すように、言葉を時のなかでもっとも美しい貌に配置することである。ドゥルーズとガタリは《アレンジメント》という概念を主張していたが、誤解されぬよう、それに付け加えねばならないのは、この概念がもたらす配置は《運命》にまで高められねばならないということである。天文学がひとの運命を星座のうちに描くように、歴史はひとの言葉を紡がねばならない。

歴史家を育てるとは、自分の言葉の見方、自分だけのものの見方を、運命にまで高める仕方を教えることである。右や左の政治的なものの見方を子どもたちに強制するのではなく、星々の配置においてもっとも美しく、内包する星の数(網羅性)と明るさからいってもっとも崇高な星座を描くことである。もっとも高いところ、もっとも深いところにある星々をも見通す知性と、そこまで昇ろうとする勇気と、そしてそれらを最高の調和のうちに描こうとする優しさを鍛えることである。

史料に対する偏った見方を禁じるのではない。そうした見方は、なにものからも中立であろうとする不可能な立場を強制することであり、したがってもっとも隠微な政治的見方を強制することである。そうした空虚な立場は、客観性と当事者性との不毛な対立を招き、偽の問題構成に子どもを追いやることになる。おのれの所属と立ち位置あるがゆえにはじめて可能となる《星座》を描くことは、それではできない。価値中立でも、形骸化した右や左の政治的立場を選ばせることでもなく(やはりそれも不毛な二項対立である)、おのれの判断にしたがって、おのれが美しいと思う言葉の配置を追究することである。

しかしもちろん、どれほど美しい星座であろうと、というかむしろ美しければ美しいだけ、星座は一部の星の輝きを奪ってしまうことがある。美はたえず背景をもつものだからである。星と星とをつなげるとき、同時につなげられなかった別の星が影のように生まれている。現代の歴史学者が組み込めなかった星の輝きを取り上げるのは、子どもたちである。だからいかに星座が運命にまで高められていようと、それによって歴史の営みに終止符が打たれることはない。捨てられる星があることも、星座の運命であり、そして捨てられる星があるからこそ、拾うべき星を見つけられるのである。

いずれにしても、歴史家の仕事は、人間が一番美しく輝くように、数多の出来事をつなぐ星座を考え出すことである。暗い星も明るい星も、清も濁も併せ呑みながら、それでも人間の美しく輝く星座を見つけ出すことができたなら、それはほとんど運命と同じ貌をしているだろう。人間の醜さを歴史に示すのは、相対的に簡単なことである。しかし、その場合、人間が醜いのか、それともその歴史学者の拵えた星座が醜いだけなのかには、注意を払わねばならない。おそらく、ほとんどの場合は後者で、人間をただ批判するだけの仕事は、人間の醜さと星座の醜さの区別のぼやけた場所で行なわれるものと断言してもいい。

ひとつひとつの星をみることも、もちろん大切なことである。だが、やはり歴史家の本当の仕事は、それらの星を美しい貌につなげることであり、そうするために、ひとつひとつの星をみるのでなければならない。星をみているうちに星座を見失っていないか。歴史は混雑したものという常識をおのれの星座の醜さと無意識のうちに混同していないか。言葉尻をとらえてそこから全体の批判に結びつけていくよりも、まずはその言葉が、あるひとつの星座のなかで、どのような位置を占めているのかを考えること。どのような運命によって、星座はその批判に値するような醜い星をとらえたのか。その星の醜さのおかげで、よけいに美しく輝く別の星はありはしないか。

必要なすべてのテクストが燃え尽きたとき、それでもひとびとの記憶を集めてふたたび星座を描くことができる。歴史という星座は、いつもそのようにして描かれてきた。だが、星をみるだけで満足していた歴史学者には、星座を描くことはできない。民衆が持ち寄った小さなそれよりずっと肥大化してはいても、星座に必要かどうかはわからぬ星をひとつ持ち寄るだけである。

近代日本で一番巨大で一番醜い星、ブラックホールのように光を吸い込んであたりに闇をもたらす星、すなわち《大東亜戦争》という侵略戦争を組み込みながら、なお日本人の美しさを示す星座は可能だろうか。それができたなら、日本の歴史は本当の意味で前に進むことができる。むろん、それは相当に困難な事業で、成功した歴史家は存在しない。挑戦しても、ふつうは戦争賛美か侵略戦争であったことの否定に墜ちるしかない。だから、美しい星座のためにこの醜い侵略戦争を黙殺するか、さもなければこれを受け容れつつ、当時の日本の歴史=星座ごと批判する道がもっとも無難であり、それが今日まで行なわれてきたことである。だが、このやり方はいつまでも禍根を残す。この星は不吉な遊星のように漂いつづけ、おさまる場所(座=運命)をもつことができない。

《世界大戦》という、史上もっとも醜悪な戦いによって反照的に生まれた《世界平和》の概念は、たしかに、前者の星を批判によって陰らせれば陰らせるほど、明るく輝く。しかし、それによって《世界平和》の星はいつも暗い星に付きまとわれることになるのだとしたら。《世界大戦》という星を葬り去るために、この星をとらえた《近代》という星座ごと葬り去るのか。それともこの星を《近代の未熟さ》という星座のうちに描き、より正しい近代を追い求めるのか。しかし重要なことは、どれほど醜い貌に星座を描こうと、人間の力で星を消すことはできないということである。不吉な星は天空で輝きつづける。《近代》という星座をいかに描くにせよ、それが《世界大戦》という星を葬り去るために作られた批判的な座であるかぎり、なんどそれを描いても、消えるのは醜く描かれた星座だけである。星はいつまでも残ってしまう。むしろ運命に等しい美しい星座のうちに、この不気味な星をとらえさせることができるなら。

星座を因果律と取り違えている。だから悲惨な歴史を生み出したネガティヴな原因をたどっていくことで、星そのものを葬ることができると考えてしまうのだろう。だが、ひとは歴史を星座として描く。どれほど醜い星座を描こうと、それによって星が葬られてしまうことはない。同じ種族同士で殺し合い、あまつさえおのれのたったひとつの住処である星をさえ破壊しようとするあまりにも醜い人間の姿を、歴史家はいかにして美しく描こうというのか。それは答えることの不可能な難問だろうか。星座を諦めて視界からあの暗い星を取り除け、ただ明るい星を愛でることしかできないのだろうか。

若い歴史学者たちよ、それでも君たちは歴史家たらんとするかぎり、星座を描くのだ。君たちはこの困難な問いに対する答えをずっと求めつづけるのだ、運命と、そして自由とを求めて。君たちが星を磨くとき、どのような星座を描くためにそうしているのか。永劫に等しい時間のなか、たえず変転する星々の配置のなかに、君たちはどのような刹那の星座を描こうとしているのか。君たちの歴史は、星座の貌をしているか。君たちの星座は人間の貌をしているか。

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