日本史の教育

criticism
2014.01.09

日本史を必修にするという話が出ているそうだ。それに関連するかはわからないが、かつてこんな議論があった。日米開戦直前、いわゆる京都学派による、悪名高い「世界史的立場と日本」である。『中央公論』に掲載された座談会の一部をこれから抜粋してみよう。みなさんはどう思うだろうか。

西谷:近頃日本歴史といふことをやかましくいふ、それは非常に結構だが、どうもまだそこに問題がありはしないか…。 高坂:…歴史を暗記するのではなく歴史的現実は問題とその解決の錯綜だといふことをしつかりわかつて貰ひたい。さうでなければ歴史教育なぞと言つても無力だ。一体、専門の歴史家は別として、普通の者が歴史を勉強しなければならんといふのは一つには歴史的な現実に対する洞察力を得るためだらう。もしそれだつたら、日本歴史にばかり力瘤を入れる教育方針はどうかと思ふね。悪くすると井戸の中の蛙ばかり作ることになる。また愛国心を涵養するためとしてもそれが果して適切な方法かどうかは疑問だと思ふ。さういう風にして出来た愛国心は、ひどく脆弱な地盤しかもつていない気がするのだが。現に僕自身高等学校の時期はそれ迄受けた国家意識の教育に対するひどい反発の時期だつた。
高坂:今までの日本歴史をもつと世界史的・政治史的に書き改めなければいけない。さうでなければ国史教育と言つても実際の力が養へない。
鈴木:国史教育といへば一寸気のついたことがある。国史の点が八十五点、これは入学試験としては素晴らしい点だ。ところがそれに対して外国語、数学、物理などを総計した点が僅かに七十点ばかり、お話しにならない点なんだ。…国史尊重も結構だが、仮に中学あたりでやつている国史一本槍といふことが高等学校でも行はれるとなると、こんなのが優秀な秀才として入つてくることになる。歴史的な思考力を練るといふこととはまるで反対のゆき方をいまの歴史教育がやつているのではないかと思ふですね。
西谷:本当はヨーロッパの歴史みたいに色々な国が対立していてその間に複雑な交渉関係がある、さういふ歴史を勉強しなければ本当の力にはならないんぢやないか。
高坂:さうなんだ。そのためには新しい歴史の教科書がほしいと思ふんだ。…練習問題がついているやうな教科書なんだがね。数学の本だけに練習問題があるのは変だよ。一番大事なのは、歴史的現実に於てどこに問題があり、それがどう解決されてきたかを把む力を養ふことだ。昔の人は却つてさういふ意味で歴史の本を読んでいる。ところが近頃では、学としての歴史といふのかどうか知らないが、そんな意図を持たないし、少くとも持たすやうにさせていない。これではいけない。美術史なぞでも新しい様式が生まれるといふことは、新しい解決がされたといふことなのだ。然し本当の歴史的現実を把むといふ上からは、本当の意味での民族と国家の歴史、世界史的見地からの政治史が必要ではないかね。異論があるかも知れないが。
高山:いや異論はない。むしろさういふ観点からもう一度日本の歴史といふものをよく見直してみる必要があると思ふね。例えば……

戦後、とにかくこの議論はとても評判が悪かった。しかしいま、右や左など関係ない、若い子たちに、この議論をもう一度よく見直してもらいたいと思う。そしてもし、大学に入り、歴史家を目指すつもりなら、暗記だけの歴史が得意な自分から、脱皮して欲しいとも思う。

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