教師の苦悩

criticism
2022.06.20

現代の教師が苦悩しているのはまちがいない。責任の重い仕事であり、その重さのわりに社会的な敬意もなければ権利もない。前の世代の大人から、次の世代の子供から、もう四方八方から、社会の板挟みにあっている。

もとからわかりきっていたことだ。近代社会は教育の比重が極端に重くなっている。というか、いまだかつてやったことのないこと(プラトンがかつて『国家』のなかで提案していたこと)をやっている。すべての親から国家が子供をとりあげ、将来職に就く際にはとくに役に立ちそうもない、教養教育だけをもっぱらにする。だからひとは——政治家まで口を揃えていまさらのようにいう。こんなことをやってなんの意味があるのかと。つまり、近代教育が作り上げているのは、「素人」なのである。

しかし、説明は省くが、意味はあるのだ。ぼくは近代教育を信じて、歴史を、哲学を、文学を読ませ続ける。つまり人間のこれまでの歩みを、人間の苦悩を、そして人間の未来の姿を教える。それ以上に大切なことはないと、自分は信じきっている。この信念に社会的な同意がなければ教育はできない(勝手にあると思ってやっている)。子供のうちから「実業」を教えたいなら、将来的に親は子供を取り返したらいいと思う。「家」社会に戻ればいい。

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