政治が……

diary
2009.04.02

政治が滅茶苦茶なことになっていると感じる。

法学的な観点やジャーナリスティックなセンスを持ち合わせていない素人であることを承知で、無責任にいえば、また概念の定義を広く見積もっていえば、小沢一郎の件は100パーセント国策捜査だろう。佐藤優は国策捜査ではないといっていたようだが、定義の仕方に注意しつつも、国策捜査であるといってよいと思う。佐藤によれば、あれは青年将校の蛮勇ということになるらしい。だが、それを国策捜査と言わずになにを国策捜査と言うのか。自ら進んで国策捜査を行なうことのほうが、国家の命令に従って国策捜査を行なうよりもなお悪いのだ。要するに、小沢が《認識せずに》受けた違法献金と、国家が《認識せずに》行なった国策捜査があるのであって、小沢が違法献金なら、国家の今回の行動も国策捜査にならないとおかしいという論理は成立しうるのだ。国策捜査ではない、という意見のうち、相当の割合を占める論拠となっているのが、「まさか国家(自民党)はそこまではしないだろう」という根拠のない臆断だという点を、もうすこし意識していい。わたしの考えでは、むしろ、そういうことを平気で行なうのが、国家という生き物である。

そのあいだに、某A首相はやりたい放題。北朝鮮の件もまったく不穏なことこのうえなく、某A首相と某北朝鮮のわけのわからない人たち同士で大騒ぎを繰り広げる始末。民主党しかブレーキになる存在がないいまの日本の状況を考えれば、また首相の驚異的な危なっかしさを考慮すれば、知識人は、もうすこしなにか発言すべきなのではないかと感じる。わたしは、今回の件では、完全に民主党を支持する。すくなくとも共産党は、違法献金の糾弾はひとまずペンディングにして、まずは某A…というか麻生を止めるという点で、野党同士で共闘すべきなのだ。麻生は馬鹿正直に挑発に乗るだろう、しかもあえて乗ろうとさえするかもしれない。要するに、戦争が起こりかねないということなのだ。

下野寸前まで追い込まれた与党があり、追い詰めていた野党の党首が突然検察によって半ば失脚状態に追い込まれる。追い詰められていた与党は金をばら撒きつつ、ただちに大衆の目を国外の勢力に向け、軍隊の派遣をちらつかせる。こういう状況は、歴史を学んだ者としては、黙っていろといわれても、黙るほうが難しい。

別に小沢一郎の肩を持つ気はさらさらない。が、少々義憤を覚えてしまう。二大政党制を選択した小沢には、民主党をまともな政党に育てる義務がある。そのことを彼は承知しているだろうし、また、今回の件で辞任することが正しいかどうかも、たしかに微妙なところだろう。その点では、政治のプロである小沢に口出しする気はない。わたしが二大政党制に完全に反対であることをひとまず措くとするなら、彼の仕事は、政治という枠内で勝負の基盤を整備することだ。つまり、二大政党制の政治的慣習を作りあげることだ。だから、民主党の勝ちすぎが自民党を破壊してしまったとしたら、それは彼の本望ではないのだろう。かたや麻生は、首相の座にしがみつくためなら政治的慣習などおかまいなしに、なりふりかまわず、といったところだが、もとよりこの勝負はレベルはおろか目的もかみ合っていない(要するに、麻生には、深い意味での歴史感覚が驚くほど欠落している)、というのが結果的には小沢のハンデか。二大政党制を行なうには、国家官僚(今回の場合は警察官僚)があまりにも未成熟だったともいえるのかもしれない。

ともあれ、今回の一件がわたしに異様な閉塞感を与えたのは、国策捜査と違法献金という犯罪があったとして、またそれを天秤にかけるとして、前者は大衆には徹底して不可視であることだ。つまり、われわれ一般市民には、それを糾弾する権利はおろか、天秤にかける権利さえないように思えることだ……。

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