志賀直哉の墓

diary
2010.03.08

最近は本当に忙しい。定職があるわけでもなく、ただただ時間を労働に浪費する。これでは本当の仕事はなかなかできない。われわれのような貧しい立場の人間は、この社会で生きていくのは難しいに違いない。「違いない」と人ごとのようにいうのは、わたしの希望が、ただただ哲学ができることだからだろう。それさえあれば、わたしは生きていくことができる。だが、その一方で、読者を信用して率直にいえば、不安もある。愚痴のひとつも言いたくなる。この道は、真理か、それとも美かに、ちゃんとつながっているのだろうか。この国――国民国家は、文学を、歴史学を、哲学を、いったいどこに追い込むつもりなのか……。否、こうやって文芸ができるということ、それを善しとしなければならない。

ようやくできた暇をみつけて、志賀直哉の墓を訪れた。別にそういう趣味があるわけではない。が、作家の墓を巡ることが多くなった。ひとが、石に銘を刻むことを覚えたのは、一体、いつのことだろう? はるか昔、おそらくは歴史以前から、ひとは、そして多くの生命が、そうやって、自身の痕跡を――望むと望まざるとにかかわらず――遺してきた。動物としてのひとは、《音節明瞭なる者》であるにすぎない。痕跡は、あくまで、自然の偶然がときおり見せる消し忘れにすぎなかった。だが、文字が生まれ、そして必然的にそれが永遠を夢想させる石と結びついたとき、歴史は誕生した。石盤に描かれているのは、無限に続く現在である。瞼を閉じる。瞼をまた開いたとき、そこに変わらず痕跡が残っていれば、それだけで、歴史はもう生まれかかっている。歴史は、その名とは裏腹に、現在に、あるいは眼球に焼きついて消えなかった過去であって、〈歴史の見せる過去とは、本質的に現在なのだ〉。歴史家がそのことを知った時、彼は愕然とする。過去を求めていたはずのわたしはいったい、なにをやっていたのだろうか、と。

わたしは痕跡の概念を好まない。この人間的な概念は、生を蝕むほどに、強力である。痕跡がもたらす過去とは、あくまで現在の影である。これを過去とみなしてしまえば、現在は、その領域を半分失ってしまう。本当の過去は彼岸にあるのに、無数の痕跡が、現在を蝕んでしまう。現在に焼きついた痕跡は、こうしてひとの生を蝕んでいく。われわれは、消え去る権利を失ってしまう。だが、わたしは過去に汚染されていない現在というものがどこかにあることを希求しているし、またそのことを確信してもいる。

しかし、その一方で、生はあまりに儚い。死を前にして、ひとが痕跡を残そうとすることも、もっともな話だ。こうしてひとは、流転し流れ去る記憶の片隅に小さな、しかし不動の石柱(コラム)を立てる。どんどん立てる。かくして、墓が、死が生という狭き領土を埋め尽くし、生はますます痩せ細っていく。

作家はいつも、死と隣り合わせである。死が、作家の仕事の主要な動機であることは、おそらく実証できるテーマだろう。しかし、彼らは、流転する生の孤独の中で、不動の石柱を立てようとするのだろうか?

そうではない。真の作家は、不動の概念など、うちたてようなどと思っていない。真の作家とは、むしろ消え去ることを知っているひとのことをいう。〈ゆっくりと〉消え去ることを知っているのだ。死は、生よりももっと儚い。死は、生よりも猛スピードである。生きるとは、遅さを実現することなのである。

厳密に考えれば、すぐにわかることがある。文字は消え去らないのではない。ゆっくりと消え去るのだ。《声》との違いはそこにある。そのことを知っているひとたちだけが、真の作家なのであり、死と隣り合わせである彼らは、生きているときよりももっと遅い言葉を必要としている。だから、彼らは書く。死に対する遅延、これが生であるなら、死の言葉である文字もまた、死の遅延を実現する。つまり、文学は遅延に、したがって生に奉仕する。

豪壮な墓が多く並ぶ霊園の片隅で、祖父母や父たちと並んで、彼らの墓よりは頭一つ低い位置に立つ志賀直哉の墓は、消え去ることを知っているひとの墓であった。わたしはそんな風に思った。わたしは思わず聞いた、「芸術とは、一体なんなのでしょうか?」

彼はなにも答えなかった。答えてくれるはずもなかった。わたしはむずかしく考えすぎている。世界はいたってシンプルだ。彼はひとこと、「今日は寒いねえ」と言っただけだった。

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