復古の病とその快癒

philosophy
2012.01.19

偶然と必然の織りなす歴史の荒波をわたって、よくぞ戒律なき土地へやって来た。失明した鑑真にずいぶん立派な寺院が用意されたが、海を越えることを生と決めつけた彼には、その後の時間も寺も、すべては過剰なものだったろう。だがその過剰が、こうして最果ての地に残っている。

文明なき土地に用意されていた不思議な過剰。本当に千の手をもつ観音像と平城宮の宮殿の一部が大盤振る舞いされた。そして惜しげもなく贈与されたこの宮殿だけが、今日に残る唯一の平城宮の遺構となっていることも、また不思議なことだ。海に消えようとした男が、あの世でまた別の生を送っている。

死に対して先払いされた宮殿だけが、千二百年後の今も、こうしてひとの目や手にふれられる形を残しているのは、なんという皮肉だろうか。痕跡をなんとかして残そうとする犬どもに対して、ブレヒトは言ったものである。「痕跡を消せ」と。痕跡を消そうとする者にこそ、歴史は福音をもたらす。

別に同意は求めないが、偶然に残った痕跡を、なんとか歴史のうえに保とうとするアーキヴィストに対して、歴史家であるわたしはいつも違和感を覚えている。それは、歴史への介入ではないのか。万人にもたらされるべき歴史という非情な運命をさえ、テクノロジーは書き換えてしまおうというのか。

かつて、歴史に残された痕跡など、人間にとっては砂浜に描かれた文字のごときものにすぎなかった。しかし、いつしかひとは、抜け道をみつけた。歴史に残りたいなら、立派なことをする必要はない。砂浜をセメントで固めてしまえばいい。こうして現代は、神のもとを離れてようやく歩み始めた歴史を粉砕してしまった。

《残る》こと、すなわち永遠の生は、消失こそ人間的本質と考える哲学にとっては大いなる災厄である。この哲学は、不確実な生をこそ賞賛したのであって、生を永遠にかえることを求めたのではなかった。だからこそ、歴史の非情な偶然を愛したのだ。あらゆる痕跡をセメントで塗り固めてしまえば、神と同じものになるかもしれないが、裏を返せば、それはもはや癒されることのない傷となる。大地に永久に刻まれて、未来の子供たちが苦しむことになる。そんなことを人間は求めていなかった。

アーキヴィストこそ、最後の人間の名にふさわしい。最後の人間にとって、傷は癒えるべきものではない。癒えることのないよう、傷は入念に塗り固められねばならない。富める者、貧しい者、すべてを作為なく消し去る歴史の役割は終わる。人の意志次第で、すべては残りつづける。子供たちが書き込む余白は、大地のどこにもなかった。

もちろん、人間はついに、歴史の怒濤を押し返す力をもたないだろう。だからこそ、必死で痕跡を残そうとするのだ。それこそ人間的な努力である。ただわたしは歴史家である。だから、歴史学者の一部にそうした人間たちのいることに、言いようのない違和感を覚える。消え去ることもまた美しいということを、いつも歴史は教えてくれる。その意味で彼らの行為は、じつは歴史の否定なのである。

彼ら一部の歴史学者たちが描くのは、神の永遠を利用しようとする国家の歴史である。神の永遠を求めて叶わぬ民衆の歴史ではない。歴史が意味あるものとなるのは、激流に消え去った人間たちを想い、それをすくいあげようとするかぎりにおいてである。そしてそれこそが、歴史に残るということの意味である。なにもかもすくいあげることは歴史とは関係がない。それは神の仕業である。

たとえば、恋人と写った一枚の記念写真。それが灰になれば悲しかろう。だが、彼が本当に残したかったのは、恋人との記憶であって、写真ではなかった。ひとが患っている歴史という病もまた、それに似ている。本当に大切なのは、歴史を作ることだ。だが、残されたものを歴史と早とちりする。

音声のように消えてしまう記憶と、文字のように残りつづける記録は、まったくちがった哲学をもっている。そしてそのあやまった二者択一のなかで、二者択一そのものを廃棄して、真の哲学者はいつもすべてを音声のように感じてきた。だが、いまやその努力は虚しくなった。二者択一から選ばねばならなくなった。なにか致命的な誤解があった。ひとは、ついに、歴史を作るよりも残すことを先に考えるようになった。

アウシュヴィッツの記憶、それを残すためにあらゆる知恵を集結させる。そのこと自体は正しい。それはむしろ、人間の努力というより歴史の作用だからだ。だが、その結果、歴史をつくるという、ほんとうの意味で人間のおこなうべきことが二の次になるなら、それはちがうと、自分はいうだろう。未来の子供たちのために努力して残さねばならないのは、歴史をつくるための余白なのである。

子供たちにいうべきことは決まっている。戦争責任、それを君たちが背負う必要はいっさいない。それは自分もふくめた古い人間の仕事だ。君たちは、自分の感性にしたがって、自由に他人とつきあえばいい。他人に対してまずもって理性を働かせるべきではない。われわれはあまりに歴史に囚われすぎた。つまり理性でもって接してきた。だが君たちは、もっと自由に歴史に接してほしい。君たちの気に入らなければ、捨てていいのだ。

燃え尽きた写真の前で男が嘆いている。ああ、彼女が消えてしまった、と。彼に自分はこう声をかける。燃えたのが写真でよかった。君の記憶まで燃えてしまったのではないのだから。しかし、今日、恐るべき逆転が起こった。記憶よりも記録なのだ。記録を付けるために、ひとは行動する。記録に記憶が優先し、それどころか隷属している。

かくして、すべての行為は先行するなにものかのトレースとなる。すべてはもう起こったことであり、これから起こることはなにもない。われわれは未来にではなく、過去にむかって進む。大人になりたくない、子供のままでいたい! このおそるべき逆転のなか、ひとはますます深く精神を病む。それを称して、歴史病という。王政復古とは、だからはじめは病の名だったのだ。

誰もがほんの少しずつ、歴史病を患っている。若くいたいということと、若さを写真のうちに凍結することとが、少しずつ混同される。それどころか入れ替わってしまう、本物のわたしは写真のなかにいる……。誰も前に進もうとしない、なぜなら、それは年を取ることだから! こうして前に進む人間を足留めし、後ろを向いて歩く連中で寄り集まって、社会ができあがる。

しかし、この不毛な努力は、次第にその不毛さを露呈しはじめるだろう。記録のなかの若さと、現在の老いとをひとに理解させるだろう。復古の努力が、現在の若さへの渇望にかわる。復古の病は癒え、革命の別名となる。

歴史の醜さとは、ほかならぬわれわれの醜さにほかならず、その美しさは、ほかならぬわれわれの美しさにほかならない。われわれのいる現在に過去も未来も共存している。此岸と彼岸とが折り重なり、なにもかも、つねに、そしてすでに浄化されている。過去は、ごく自然な風化を経て、ぎらついた色彩をすっかり落として、草木と同じ色に染まっている。歴史の風化を、しかしわれわれは、雪よりも白い未来と同じものとみている。

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