小林多喜二讃

criticism
2009.06.20

小林多喜二を読んでいると、いかに《文学》が神聖なものだったかを、強く感じさせられる。共産党の活動の奥深くに食い込んで非合法生活をつづけるなかで、それでも彼は最後まで筆を手放さず、自分の目と耳と指とを信じ続けた。だから、自分の仕事を神聖なものにしたいと思うときにめくる本のページのひとつが、彼のいくつかの小説である。
 久しぶりに読んだ「党生活者」が心を打つ。わたしの両親が、自分の仕事の価値を理解していないことはあきらかだが(べつにわかってもらおうとも思わないが)、そういうことも相俟って、彼と母親とのやりとりが、胸に響いてくる。虐殺されたとき、たった29歳だった。もう彼よりも年嵩になった。いまのわたしよりも4年も先に逝った彼には、約束された広大な未来が広がっていたのに。彼のことを思うと、たまらなくなる。戦後、非転向組はほとんど神格化されていたし、そういうひとたちにうんざりしていた気分もわからなくはない。が、いまとなっては、転向か、非転向か、というような戦後の政治主義的な問題構成はもう気にする必要はないだろう。そうした政治主義的問題構成の影で忘れられてしまった、彼の文学の中心に思いを馳せる方が、ずっと重要なことである。マルクス主義でさえ、この際、どうだってよかった。たしかに、彼は思想に殉じた男だ。といっても、その思想は、マルクス主義ではなかった。むろん、戸坂潤がいうような、「思想文学」でさえない。彼はただ、《文学》そのものであるような思想に殉じたのである。

言葉があってはじめて、嘘が生まれる。言葉のないところには、嘘は発生しない。イヴが食べた林檎に、なにか特別な魔法があったわけではない。禁を犯したことを隠して嘘をつく、当のそのことが、ひとに、知恵と同時に悪を授けた――要するに、ひとはこのときはじめて、言葉を喋ったのである。ひとが喋った最初の言葉は、「嘘」だった。ひとが背負った原罪の引き金になった林檎とは、とどのつまり、言葉のことだった。だが、不思議なことだが、嘘が嘘であるためには、ひとは、言葉が実在することを、一度は本気で信じなければならない。そうでなければ、ひとに嘘を吐くことはできない。そして自分で自分を信じるこの強い欲望がなければ、ついに言葉は、最後まで嘘のままなのである。これは、不思議なことではないだろうか。嘘とは、いったいなんなのだろうか。そして、もっと不思議なことだが、「本当のことを言う」とは、いったいなんなのだろうか。……それでよくよく考えていくと、おそらく、ひとは、本当のことが言えるし、じつは、本当のことしか言わないのではないだろうか……。
 初期のヴィトゲンシュタインは、不可知なものに対する絶対的な沈黙を説いた。だが、ひとは、にもかかわらず、沈黙を破ろうとするだろう。それが不可知である以上、それに対する言葉はいつも嘘となるに決まっている。それでも、ひとは、その嘘が真理であることを願うのだ。はるかな未来に、人類が認識を拡張することを願うのだ。言葉に対する疑惑の目を、つまり懐疑を、言葉はきっと乗り越える。ひとはひとを超えてゆく。ひとはそれを、革命と呼ぶ……。

まだ26かそこらの若者が書いた「蟹工船」は、たしかに、若い、という感じを抱かせる部分が多くある。ナラティヴのなかに北海道弁が唐突に出てくるところも愛嬌とはいえ不用意であろう。リアリスティックな視線の透徹に感心した矢先に、(よく指摘されていることだが)きわめて図式的なマルクス主義的ドクマがやや辟易するような単純さで現れたりもする。本来小説が排すべき勧善懲悪が目に付くのもよくない。「蟹工船」だけではない、遺作である「党生活者」に至るまで、彼の《文学》を濁しているのは、まさに、このマルクス主義といってもいいすぎではない(むろん、前途有望な若者に直接手を下したのは国家だが、共産党は無自覚の共犯者のようなものである――といっても、こういう言い方を多喜二は喜ばないだろう)。だが、そのことは、べつに彼の小説の価値を下げはしない。というか、上記の非難はそうとうに野暮なものである。むしろこの若さは、非常に好感を抱かせるものだ。それが弱点になっていないところが、この小説の最大の魅力であろう。この若さは、狂熱的だけれども、どこか清々しい。深刻なことを書いていても、彼の作家的無意識(=破砕された自意識の欠片のようなもの)が軽快さを失わない。やや浅薄な図式を本当に受け容れる彼の果断さは、むしろ《文学》的だといってもいい。だから、彼は、表現がやや稚拙になろうが、仲間が葬られた冷たい海の向こうの「カムサツカ」半島に、労働者たちを渡らせるのを躊躇わなかった。けっして、ロシアや中国は、《こちら側》から想像するだけの世界だったのではない。自身が積み上げてきたリアリズムが犠牲になるのもおかまいなしに、彼は勇気をもって、しっかりと《向こう側》も書いた。だからこそ、わたしは「蟹工船」を讃えるのを惜しまない。彼は、「カムサツカ」という彼岸に渡ったのだ。

彼は、幸か不幸か、マルクス主義に生涯を捧げることに《文学》を見てしまったひとである。先輩プロレタリア作家である葉山嘉樹(多喜二をすでに読んだひとには、葉山の「海に生くる人々」もお薦めする)と同時に、志賀直哉からの影響も隠さない彼は、おそらく、マルクス主義運動のなかに、もはやマルクスの名を借りる必要などなかった微細な一部分に、志賀直哉を発見してしまったのだろう。かくして、政治と文学は、多喜二のなかで、ひとつになった。よしきた、あとは書くだけだ! 彼は、マルクス主義よりもなによりも、言葉の力を信じた男だ。ひとを社会人にみせかけるくだらない弁証法は、もはや必要がない。弁証法を弄する奴は、結局なにもしない!

「党生活者」において、多喜二のナラティヴは、もはや主観描写とも客観描写ともいいがたい、きわめて異様な人称に到達している(ドゥルーズのいう超越論的経験論がこれに当たる)。これを書いているのはいったい誰なのだろうか。きわめて不思議な感覚が読者を訪れる。たしかに彼は、マルクス主義を信じている。運動が成功することも信じている。だが、同時に、この運動がかならず失敗することも知っている。マルクス主義の理論を疑わない彼は、そうすることで、この運動の欠陥を指摘して回る。といって、もはやこの欠陥を自覚なき(?)彼に指摘するのは野暮なことだという気も起こさせる。また彼は、もはや監獄と拷問、死と恐怖が目前に迫っていることさえ、知っている。しきりに「私はつかまってはならない」と書く多喜二は、しかしそう書くことによって、本当に近い将来、自分がつかまることを知っている。ここに《文学》がある。つまり、ほんものの生がある。これこそが、《文学》者にかならず訪れる狂気である。《文学》、それは言葉であり、それゆえに嘘であるにもかかわらず、一種の予言として、現実の世界にはみ出し、現実そのものに触れる。こうした《狂気》こそが、《文学》の中心であり、《文学》者は、こうした狂気を伴侶として、歴史を超えてゆく。

ここからは想像で書く。といっても、言ったことに責任はもとう。自分は、これがまったく根拠のない想像だとは思っていない。願わくば、これが多喜二の名を傷つけることがなければよいが、こうした蛮勇を、むしろ多喜二は喜んでくれるだろう……。
 さて、監獄で激烈な拷問を受けた多喜二は、にもかかわらず、すこしも動揺しなかったにちがいない。いや、動揺していただろう、何度も母親に助けを求めたはずだ。しかし、目はずっと輝きを失わず、拷問をつづける特高たちをじっと見据えている。《文学》者にとって、事実が小説より奇であるなどということはない。なぜなら、小説もまた、現実だからだ。だから、彼は、こんな結末は、もうとっくの昔に知っていた。これからなにが起こるかなどと、思い悩む必要はなかった。指を折られたときだけ、これから書こうと思っていた小説のことを考えてすこし不安になったが、すぐに別のやり方を思いついた。彼なら、指を折られても、目を潰されても、声を奪われても、《文学》を書く方法を見つけ出しただろう。文字を知らなかった母親が彼に勇気をくれていた。ひとから言葉を奪うことはできないのだ。彼は仲間の居場所を割らせようとする拷問吏に反して、沈黙の言葉を吐き続けた。彼なら、若いヴィトゲンシュタインの沈黙を一笑に附したことだろう。あなたは、沈黙でさえも、言葉であることを知らないのか。おびえていたのは、むしろ、拷問吏どもである。彼は、一言も口を割らなかったかわりに、身体中のいたるところから、声なき声をあげた。それが《文学》である。拷問吏は、もはや魅入られたように拷問をつづけた。口を割らせるためにではない。言葉を発するのを止めさせるためにである。もはや、そのためには命を奪うほかない、と考えた。そうだ、はじめから殺すつもりで拷問していたのだと、自分を納得させるように、そう考えた。そしてついに彼から命を奪った後も、彼らはまだなおおびえていただろう。その死が、なにかを語ってやまなかったからである。国家は、名もなき人びとを、もっとも単純な論理にしたがって、無慈悲な死に至らしめる。だがそのはじまりから国家的なものに反対することで生まれた《文学》は、そうした死を救い、その死にふたたび生を与える。彼の《文学》は、わたしたち以上に、彼自身を救う。

わたしたちは、彼ほどに、自分たち自身を救えるだろうか?

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