専門家の悲哀

criticism
2021.06.16

専門家には見えている、しかし一般のひとびとには見えないものがある。誰もが救いを求める危機的な状況にあって、専門家には、手を差し伸べないと生き残れないひとと、手を差し伸べなくても十分に生きていけるひとの差が、判明にみえている。二人とも救いを求めれば、彼はもちろん前者に手を差し伸べるだろう。またそうしなければ、救わねばならないひとも救えなくなる。できることなら希望者全員に救いの手を差し伸べるべきだったのかもしれないが、キャパシティを測りながらでなければ、専門家まで共倒れになってしまう。

今日、専門家に向けられた不満は、後者からの不満である。専門家は助けてくれなかった、と。後者は、実際には生死の境よりもずいぶんこちら側にいたのだが、彼によれば、それでも専門家は全員に救いの手を差し伸べるべきだったのだ。不安を取り除く側ではなく、不安を感じる側に、医療の主体はある、というのもまた真実だから。

しかしそれは、全体を見渡す神に親しい、宗教家にすべき要求である。といっても、こうした神を要求するような事態こそ、パンデミックと呼ばれるものなのだろう。それもまた、パンデミックの姿である。

こうした状況下に信念を貫いた専門家を、自分は尊敬こそすれ、非難を浴びせようとはまったく思わない。二人つづけて頼りにならないリーダーを支えながら、国民の命を両肩に、彼は信念を貫いた。専門家の端くれとして、いまから覚悟を迫られるような、そうした鬼気迫る姿勢である。それにつけても、パンデミックは恐ろしい。

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