言葉の肉体(猫は死んでいた)

philosophy
2011.05.01

原子炉のなかに、「安全」という名の猫がいる。原子炉を開けることはできず、開くとすれば、原子炉が事故で爆発するときだけだ。さて、「安全」はこの原子炉のなかで生きているだろうか、それとも死んでいるだろうか。もちろん、中を開ければ答えは出るが、開くのは爆発するときであって、この爆発はかならず「安全」を死に至らしめる。それでは問いがなりたたない。問題は、中を確認することなく、猫が生きているかどうかに答えを与えることである。

日本人は四十年間、この問いをめぐって生活してきた。事故が起こるまではたしかに「安全」は生きていたと、原発推進論者は強弁するかもしれない。この事故は「未曾有の災害」と人間の堕落という例外が引き起こしたのであって、本来はこんな事故など起こらないと、自らの堕落を動かぬ証拠に強弁するかもしれない。思えば彼らは、チェルノブイリで起こった事故を社会主義国家が引き起こした例外と考えてきたのだ。この強弁がなりたつなら、あらゆる事故は人間の不注意が引き起こす例外だろう。事故は例外であって現実的ではないのだから、現実的にやれば、これまでもこれからもずっと「安全」と言い張ることのできる奇怪な論理がなりたつだろう。だが、この問いは、どうしても、猫が死んでいるほうに賭けた原発反対論者に歩がある。なぜなら、《猫がただ生きていることは真の意味で猫が生きていることを保証しないからである》。猫はどこかでかならず死ぬが、そのことを考える必要はなかった。ふつうに考えれば猫は死んでいるか生きているかだが、ここではそのあいだの状態が発生している。死んでいたとしたら死んでいるわけだが、生きていたとしても死んでいるからである。つまり猫はこの実験がはじめられた瞬間に死んでいたのである。仮に俗に好まれる99パーセントという表現をさらに超えて100パーセント事故が起こらない、つまりありとあらゆる人間の想像力を動員して事故の可能性をすべて潰しても、事故は、いつも人間の想像力の外からやってくる。別のいいかたをすれば、統計の範囲を決めるのは、人間ではなかった。

想像を絶するもの、ひとの認識が及ばぬものに対してさえ、ひとの知は向かっていく。不可知のものにこそ抱く欲望、この欲望が本当の知のはたらきである。この欲望があったればこそ、われわれは《原子力の平和利用》という、いまではまったくの語義矛盾にみえる、そして原爆に苦しめられた歴史的経緯をふまえれば諸外国に対して説明困難な蛮勇を奮った。事故は100パーセント起こる。そしてにもかかわらず戦後のひとびとはこの無謀に手を出した。しかし彼らの蛮勇は、この無謀に向けられていたのではない。もともと彼らは安全かどうかを問題にしていたのではなかった。彼らが直面していたのは次の問いだ。《前に進むか、その場にいるか》。そして彼らは前者に賭けた。未来という不可知の闇に向かって進むことに賭けたのである。

だが、この問いはその後、すぐに変質した。原発ができるやいなや、この施設は《安全か、危険か》という動きの少ない問いに変わった(そして現代という時代は多かれ少なかれこうした問いの変化に直面している)。そして不思議なことだが、原子力の平和利用に勇気とともに踏み出したひとびとは、かえってこの問いに危険と答えただろう。そしてこの古い発電所をただちに閉鎖すべきと答えただろう。なぜなら、古い発電所を維持することは、その場にいることであって、前に進むことではないからである。前に進むことを前提に、彼らは炉に火を入れたのだ。一度火をつければあとは勝手に運動をつづけるこの発電所の奇怪さは、最初に必要な勇気を支払いさえすれば、つづけることになんら勇気を必要としないことであり、つづけるより止めるほうがはるかに高い勇気が必要なことである。昔のひとには踏み出す勇気があった。あらゆる計算可能性、100パーセントの外にある出来事に思いを馳せる同じ蛮勇があれば、この事故はなかった。はじめたときにもっていた勇気を、終わらせるときには持たなかった。かつての戦争のときのように、希望的観測を重ねて幻の土台を設け、問いのはじめに引き返すことを不可能にするおぞましい利権構造を作り上げた。人間の堕落は、安易な希望とともにはじまる。そして記者会見に出てくる連中が累々と重ねる無意味な希望的観測の束は、そうした堕落の正確な表現である。

われわれが困難であると学んだのは、希望的観測に塗れた世間のなかで、ただひとり、まったく同じ観測結果から絶望を引き出すことである。絶望のなかで希望するよりも、希望のなかで絶望することのほうが、ずっと困難なのである。絶望より、希望を教えたいと誰もが思う。絶望より、希望を学びたいと誰もが思う。ひとは絶望を学ばず、絶望を教える者を忌み嫌う。希望と絶望とを天秤にかけ、それらが釣り合ったら、ひとはどうしても希望のほうに有り金をつぎ込む傾向がある。この傾向が事故を招く。

だが同時に、この傾向が、事故や災害から何度でも立ち上がることのできる《エネルギー》になる(物理学の用語を離れていえば、《勇気》になる)。結局、いつもひとは希望している。絶望することはできない。だから、「絶望する」、とは、ある深刻な態度、危機意識の高まりの比喩である。したがってこの比喩を反転させても《よい希望》にはならない。危機意識の反対は暢気であり、深刻の反対は浅墓である。あらゆる災厄を詰め込んだパンドラの箱に入っていた希望もまた、洪水に似た災厄のひとつであり、リウマチや痛風に似た病であることを知らねばならない。現実にできることは、希望の質を問うことである。おのれを立ち上がらせるエネルギーとしての希望なのか、それともおのれを安心させ、その場から動かずにいることを教える希望なのか。なにか別のものに変換可能な力をエネルギーと呼ぶ。かつて原子力の平和利用に人びとが手をつけたとき、宗主国アメリカからの指令や、戦前の論理を残した古い政治家や、旧財閥の執着をひきずった財界や産業界の思惑が絡まり合っていたにせよ、世の中が相対的によりよくなると信じ、ひとをして「第三の火」に踏み出させるエネルギーを、たしかに原子力はもっていたのである。だがいま、廃墟と化した発電所で、なにものにも変換できない得体の知れぬ力を放出する核燃料は、もはやエネルギーではない(あるいは悪いエネルギーである)。希望はよいエネルギーにも、悪いエネルギーにもなりうる。そのことに注意を向けねばならない。よい希望、よいエネルギー、すなわち自らをなにか別のものに変えることのできる力を、探さなければならない。わたしがずっと探していたのは、この精神のエネルギー、言葉である。

日本の政府をはじめ、原発の管理責任者である電力会社、安全を監視する役割を負った官僚。彼らの会見がはじまった当初から、誰もが真実を語ることを避けているようにみえた。まるで真実を語ることが事故を大きくするといわんばかりに、彼らは真実を小さく見積もることに全神経を使っていた。嘘を云うのではない。むしろ大きな事実を隠すために、小さな事実を語っていた。別のいいかたをすると、絶望に背をむけた希望的観測だけを語りつづけた。そうすることで事態が収拾されると考えているかのように言葉を用いていた。言葉はずっと、現実を隠蔽するために用いられていた。

媒介を通して言葉を用いることに長けた、非常に近代的な存在である彼らは、言葉をリプレゼンテーションとして用いる。現実と言葉とが直接には切断されているという近代のテーゼを悪用し、ますます言葉を現実を隠すために用いるようになる。彼らはメディアと口裏をあわせ、こっそり「わたしはそう思う」「わたしはそう思わない」を紛れさせる。「わたしにはそう見えた」「わたしにはそうは見えない」を紛れ込ませる。見ないことと見えないこと、聞かないことと聞こえないこととをわざと混同する。そうすることで《客観性》を仮構する。勇気をもって、《わたしはそう思う》のひと言を口に出して云えない。むしろこの言葉を逃げるために用いる。そうして言葉から力を失わせる。現実と乖離した言葉こそ風評というなら、一連の記者会見こそ、彼らが理由を隠して恐れている風評の最大の源ではないのか。

原発の推進を即座にやめる。この言葉を記者会見に出てくる連中は恐れている。ある者は生活がかかっているからだが、ある者はアメリカを恐れているからだ。アメリカに相談もせず、やめるかどうかを自分たちだけで判断することなどできない。だから注意深く、原発の即時停止に向けた動きが世間のあいだで盛り上がるのを監視している。話がそちらに向かないように、慎重に言葉をコントロールしようとしている。沖縄の基地問題でアメリカに従うことを選んだ日本の国民は、また今度も、アメリカの要求に従うのだろうか。

原子の崩壊が発見され、光が波でも粒子でもあることが発見されたこと、要するに量子力学の誕生は、すべてを計算可能性のなかに組み込むことができるという近代統計学の想定が打ち破られたことを意味していた。近代科学者によって発見された原子力は、まさに近代的前提に対する致命的な一撃だったのである。量子力学とは、いわば事故の統計学であり、けっして起こらぬことの起こりうる確率論だった。だがそのことを知らぬ《経済》と《政治》とが、この力を近代的枠組みのなかで用いる。近代を象徴する蒸気機関とダイナマイトの延長上、すなわち原子力発電所と原子力爆弾である。身の丈にあわぬ小さな衣服はむしろ彼を寝かしつけるための拘束具であり、結局、近代には彼をまともに働かせることができた試しはほとんどない。

潰瘍としての進歩主義がある。この主義は、ひとに前に進むことを促すのではなく、できあいの流れに乗ることを促す。この潰瘍は、いまでは核燃料として結晶した。近代が生み出したこの概念は、人類の未来に無限の期待を抱くと同時に、未来の人間に無限の債務を負わせる困った思想である。この潰瘍は、いまや二万四千年の未来に転移している。原子力の平和利用が実行に移されるかどうかは、科学技術の問題ではなかった。科学技術的には、同時期の人類にコントロール可能なものではなかったからである。それは、「人類は今後も進歩しつづける」というイデオロギーを受け容れるかどうかという、ひとの精神の問題だった。

悪いポストモダニズムは進歩に対する諦念を教える。高みに登るよりフラットでいることを教える。しかし、もとより「進歩主義」など存在しなかった。人類の進歩など、今際の際にあるなにもできなかった人間が苦し紛れに吐く遺言の類いであって、たえず前に進む現実をおのれが是とするのか、それともおのれの抱く観念のなかで後戻りするのか、結局はおのれの態度ひとつである。つまり本当の意味で前に進むためにこそ、この概念は批判されねばならなかった。

しかし言論の自由は、人類の進歩を前提としてはじまったではないか。たしかに何でも語れるならば、それは素晴らしいことだ。だが卑しい民は、口を開かせれば卑しい言葉を使う。何でも語ると称して口汚い罵り言葉ばかり覚える。「自由に語る」ことを、美しい言葉を自由に操ることとは考えない。云うべきでないことをあえて云うのが自由と考える。嘘をつき、現実と乖離した言葉を用いても気に留めない。《ふさわしい》という概念を理解しない。いちいち現実を気にしていたら不自由ではないかとまちがって考えている。だがそれでも、言論の自由に賭け、下手な言葉を連ねるお前は人類の進歩に期待したのではないのか。

そういう傾向はたしかにある。そしてその傾向がますます強まっているようにみえることもたしかだ。だが、わたしはともかく、文学者は人類の進歩に賭けたのではない。貧しくても美しいほうを選ぶのか、それとも豊かだが醜いほうを選ぶのか、こういう二者択一はばかばかしいと考えたのだ。豊かさと美しさが一致する世界で言葉を紡ぎたい。つまり膠着した二者択一の一方を捨てつづけるような世界を別のものに変えたい。子どもがなんの気なしに口にする囃子詞のなんと自由であることか。森に遊ぶ子どもたちの喧嘩が大人の頬を緩ませる、たしかに罵詈雑言、しかしなんとリズミカルなことか。前に進むとは、理想のために現実を犠牲にすることではない。現実の錯雑にさらなる錯雑を加えることであり、言葉は数多の可能性をひとつの理想に収束させるのではなく、可能性にさらなる可能性を加えていく不思議な理想を実現していく。あるものが別のものとなり、もとのものも新しいものもそれぞれが生きているような、つまりどこにでも接続可能なある種のリーマン空間。道筋はあってもけっしてひとつに決まっているのではなく、なにかがなにかを代表しているのでも、表象しているのでもない。むしろそれはひとつの変容であって、それこそ生きた言葉、すなわちエネルギーの真のあり方ではないのか、と。

われわれはまだ、記号論からの回復に成功していない。言葉を「意味」と記号の組み合わせにおいて把握し、言葉と現実の紐帯を「意味」によって切り離す記号論の傾向は刻一刻と顕著なものになっていて、一度でも言葉に対する懐疑が起動してしまえば、並大抵のことではこの流れを押しとどめることはできなくなる。言葉は観念と同義になり、観念論の批判が誤って言葉そのものに向けられてしまう。言葉の彼岸に現実を置き、言葉で介入するよりも、間遠い現実を崇めるだけの貧しい言葉を選ぶようになる。現実が言葉を裏切ることを正しい実験結果と考え、その言葉が実験にふさわしいものだったか吟味しない。間違うほうが簡単なこの世界では、ふさわしい言葉こそひとを欺くリプレゼンテーションといわれ、まっさきに文学者が非難の対象となる。言葉と現実のあいだに深い断絶を認めることこそ現実へのこのうえない敬意とみなされ、ひとにはもはや沈黙しか選択肢がない。かくしてニヒリズムのうねりが津波のように押し寄せている、それが現代である。

言葉はかつて肉体であった、意味ではなく肉体であり、むしろ赤子がこの世に生を受けてはじめて吸いこんだ息こそ、言葉であった。言葉もまた力であって、それもなにかを変容させる力であった。変えることを許さぬ力を権力といった。日常こそ危機と感じている文学者は、この危機の時代にますます平静を得て、いつものように、波の巨大な堆積に抗して言葉を訥々と紡ぎつづけた。世界を変えるために、彼はおのれを変えた。自らの手で、おのれの活動エネルギーを生み出した。それが進歩の、つまり自分の足で歩くことの、必要な条件であった。

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