夢を現実に。虚構を歴史に。

history
2022.06.22

夢を現実に、といえば、それは許される可能性のある表現である。しかし、虚構を歴史にといえば、それは多くの場合に許されない表現になっている。たとえば天皇は神だといえば、それは虚構を事実かのように語ることであり、許されないことなのだ。

それはそうだ。同意しよう。天皇は人間だ。しかし、天皇もろともあらゆる虚構が歴史から排除されてしまうなら、それはかえって過剰な天皇支配ではないだろうか。むしろ夢を現実に変えるように、ひとが虚構だと思っているものに真理を見出す。そうした歴史学の可能性は、もう戻ってこないのだろうか。

そこで考えている、歴史の詩的転回を。詩的なものの実在論を。言葉を持ってしまった人間が、自分自身について語るとき、どこまでもそれは主観になる。歴史は誰にともなく語る、壮大な独り言なのだ。そこで詩人は神なるものを考えついた。自分の言葉を、誰かに聞いてもらいたかったのだ。淋しがりやの人間は、だから神を生み出すのである。もちろん、神は虚構だから、それで存在証明になるわけではない。人類の存在を証明してくれる別の生き物はどこにもいない。ということは、存在していないのと同じだろうか。そんなはずはないのだ。詩がある、それだけで、そこに存在の重みがあると、自分は信じているのだった。

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