城之崎にて

diary
2008.08.25

この夏、一番の思い出といえば、城之崎に行ったことである。家賃を納める際、毎月2000円余分に預ける、ということを続けていたら、それなりにお金が貯まっていたから、それで行った。城之崎行きを、印象深いものに変えたのは、やはり、当地で読んだ、「城の崎にて」である。

三木屋という旅館で、当然のように志賀直哉の同作を読みふけった。そして、志賀の天才に打たれた。若い頃には気づかなかった彼の天才が、わたしの心を打った。数々の優れた小品のなかでは、わたしが最も評価する部類には入っていなかったそれが、たちまち、姿を変えてわたしの前に現れた。

この作品について、ここで論じる気はない。が、もし文学史に興味があるなら、漱石に薦められた新聞小説の執筆を断ったあと、四年の沈黙を経て書かれたのがこの作品であるということ、それは、すこし念頭に置いておいてよいかもしれない。新聞に連載する小説である以上、「豆腐のぶつ切りでは困る」と漱石に言われ(要するに、連載のたびに、いちいち盛り上がりを付けろ、という意味だ)、それならと、志賀はただちに執筆を断っている。わたしは、志賀のこの態度に、きわめて清々しいものを感じていたのだが、「城の崎にて」にあったのは、むしろ、意外なほどの《痛み》だった。小説とはなにか、そうした問いについての、きわめて深い、そして痛切な哲学的考察を含んだこの作品は、同時に、漱石への静かな批判に溢れている。

以後、志賀は、この《痛み》を抱えたまま、小説を書くだろう。以前にもまして、志賀は、ありふれたテーマばかりを選んでものを書くようになる。しかし、そのことは、彼が、つねに危機に一歩足を踏み入れながら小説を書いたということを意味する。彼の静かで孤独な戦いは、少なくとも小林秀雄を感動させた。あの気障でおしゃべりな彼が、志賀の前では、凡庸な言葉しか吐けなかった。小林は言った。「おれにはこの感動の内容を説明することができない」……。

さて、わたしは、なんと言ったものか?

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