公共道徳の外・歴史家の《実証》

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2020.08.16

ぼくらは、徹底して、公共的なものの外で思考する必要がある。

さかしらに公共性を論じることは、当の議論そのものが公共道徳の海に溶解してしまう可能性と秘密裏に取引することだ。波紋はすぐに消えてしまう。公共性を論じる人間は、それだから発言する。消え去るのがわかっているから、なんの勇気もなく、お喋りに興じていられる。ほんとうの意味で発言しようとする人間は、公共性の外に出る気概がなければ、ほんとうは波紋さえ立たないし、言葉すら発することはできない。

事前に想像される公共的合意を前提にしてしか思考できないような、そうしたところに、われわれの学問が、あるいは行為が、追い詰められているのが、今日の日本だろうか。予定調和的な共感なしになされる行動を、つまり最初の一歩を支持するために、われわれの人文学は奉仕すべきだと、ぼくは考える。

「世界」なる語が、公共道徳の外部を意味できないならば、それでは国家と同じである。逆にいえば、公共道徳の外であるかぎりで、世界は言葉の真の意味で世界たりうる。だから、公共道徳とは無縁の、ひとりの、孤独な人間を救うために、「世界」は、その語の意味するところにしたがって、機能しなければならないと思う。

民衆道徳への迎合、公共的合意なしになされた、孤独な、最初の一歩を讃えることが、歴史家の役目だと、ずっと考えてきた。ひとつの社会が終わりを迎え、またはじまる、その栄枯盛衰の全体が、肯定される。ふたつの社会をつなぐ、孤独な、消えそうな一歩に、彫刻刀を入れること、それを実証という。

歴史家の仕事は、人間の活動が地中に埋伏し、やがて失われ、そこにできた空洞で生じる鉱物の結晶化のごときもの。人為というより、奇妙な空隙についついひっかかってしまった人文学者の、やむにやまれぬ執着にすぎない。歴史は不思議なものだ。いまを生きるわれわれには、何の意味もないのに。

カンタン・メイヤスーらのいう思弁的実在論の用語を借りれば、実証主義はとくにカントに端を発する相関主義の一種だが、ぼくのいう「実証」は、人間の孤独な一歩、波間に消える波紋に対する美的な執着にすぎない。なぜ、この美しい世界は消えるのか。記憶の片隅に沈着した色彩のために、いまいちど、この世界に場所を与えること。

昔もいまも、そしてこの先も、世界は美しい。いま、窓の向こうでコオロギが集くのが聞こえる。なぜ、彼らの声は美しいのか。そのことは、彼らにも自分にも意味はない。人間にとっても、それは美しい声音なのである。視界の外の、遠い宇宙の星空が美しいのと同様に、不思議なことだ。

しかしそのことは、人間なしにもこの世界が美しいことの証左である。われわれの存在なしにも、この世界は美しく、したがって、歴史の実証が、学者による人為的な再認のごときものであってはならないのである。歴史家の営為とは、孤独な美に魅せられた人間が、思わずその背中を追い、跡を辿ることだ。

過去になされた新しい一歩、そのためになされる現代の新しい一歩、それが歴史家の一歩である。過去の新しさに身体の芯の震えるような感動を覚えること、その感動をそれにふさわしい言葉に変えることが、実証という営為である。おそらく今日の学者は、そんな、じつは当たり前のことを、忘れている。

世界は美しい。が、人文学の衰弱は著しく進んでいる。世界が人間の手によるコントロールを失って、いまにも破綻しそうだ。人文学とは、この世界の美しさに驚くためのレッスンである。科学が驚きを日常に変えることだとするなら、たしかに人文学は科学ではない。だが、科学する精神にも必要なものだ。

人間の死から、あらためてこの世界を眺めてみよう。人間がいなくても、この世界は美しいだろう。この世界に刻まれた、最初の人間の一歩もまた、われわれとは無関係に、きっと美しいだろう。この新鮮な一歩を取り戻すために、ぼくらは歴史を、その唯一の効能にしたがって、使用するのだ。

社会に、関係に、他者に、そうした網の目のなかでしか生きられないと思うなら、人間はついに、この世界がたえず新しいことに気づかないままだ。そうした人間には、この世界はつねに古く、そして自分の前を、他人が歩いている。そしてその人間に主体を委ね、あるいは依存し、そして憎悪している。

歴史家はあらためて、《実証》とは、古い世界を捨て去ることだということを、思い出さなければならない。《実証》とは、閉じようとする世界に空けられた風穴のことなのである。閉じること、全体、虚構、公共的なもの、法的な言語使用、他者、それらのつくる網の目を引き裂いてなされる、《実証》。

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