人文学者の問い

criticism
2022.01.06

「存在とは何か」というような哲学的問いにみえるもののほとんどは、ごく表層的な、生活を離れた不安の現れみたいなものだ。もちろん、出発点としての意味はある。その後の必死の生活のなかで、問いは深まっていくかもしれない。

幼年期の純粋な、素朴な問いを保ちつづけること自体は、けっして悪くない。しかし人文学者は、純粋な問いを錯雑とした生活のなかで紡ぎつづけねばならない。今日明日の食事のこと、錯綜した人間関係、老いてゆく肉体、そして死。そのすべてを、純粋な問いのうちに、丹念に編み込んでいく。

戦前の日本人——とりわけ文士と呼ばれたひとたちのする文学は、そういうものだった。海面から出るか出ないかのあわいにあって、純粋な問いが海に溶けかかるわずかな隙間を縫って、彼は「存在とは何か」と嘯(うそぶ)いてみせる。彼の足には、疲労が、病が、老いが、錯綜した人間関係が、絡みついている。

さて、自分の歴史学もまた、人文学であるからには、日頃の生活上の懊悩が歴史学上の問いのそこかしこに編み込まれている。それでいい。そこに、歴史上の人々の苦しみや悲しみの一局面くらいは現れていると思うから。それをヒントにすることなしに、歴史は解けないと思うから。

昨今、歴史学者は教養を失ってしまったのだが、教養といっても、ただ古典の知識があればいいというのではない。生活上の《細み》に満ちた懊悩を学問のベースにできること、それが教養だ。ただ、それらの懊悩は、古典と呼ばれる書物のうちにたくさんあらわれている。だから古典は教養になる。逆に、古典を読む、とは、われわれの懊悩と同じものを、できるだけ深いところで読み取ることなのだ。

悩んでいい。悩むことは苦しいが、その悩みが、未来に咲き誇る花のための花壇になる。自分の悩みは特別じゃない。そうか、ひとはこんなふうに悩むのかと思えばいい。そうして、悩みを、新芽のための土に、あるいは花のためのベースにする。

そうしたことが、自身の学問に生きてくる。また、生かさねばならない、とも思う。そうでないと、年甲斐のない学問しかできない。もちろん、それでもいいとは思う。学問を生活臭から隔離しておくのも、ひとつの努力である。それをひとは客観的といい、あるいは科学というのだ。ただ自分はそうしない。老いることや病むことを、学問に編み込むほうが、学問しやすい。

といっても、年を取れば取るほどいい、ということではない。若さは、作品に表れていなければならない。ピアノの鍵盤をガツンと叩くような、猛スピードで踊るような瑞々しさ・猛々しさを、ぼくはむしろ好んでいる。老いが肯定されるように、若さもまた肯定される。

どれくらい、自分とゼロ距離に近いところで学問できるか。対象に体をあずけてしまうような、投げ出すような仕方で、いいかえれば「極限」で、学問できるかどうか。そんなふうに、自分の肉体を学問に奉仕させる。なにしろ、自分は人文学を愛しているから。

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