二つの理性

philosophy
2007.03.10

古代ローマのストア派哲学者であり、劇作家であり、また皇帝の家庭教師でもあったセネカは、学問についての二つの大きな区分に注意を促している。《文献学》と、《哲学》とである。ギリシア語でいえば、前者はフィロ‐ロゴスであり、後者はフィロ‐ソフィアである。言葉への愛と、知への愛、である。

これらは、今日的な用語法でいえば、広い意味での《歴史学》と、広い意味での《政治学》とに区分するのがもっともふさわしい。筆者が読者に注意を促したいのは、セネカによるこの区分の今日的な重要性である。だが、いくらか蛇足になるのを承知で、ひとまず、こうした学問的な区分そのものがもっている意味について、簡単に触れておこう。

本来、世界は、学問によって分割されているわけではない。すべては多様であると同時にひとつなのであって、またひとつであると同時に多様である。たとえば、近代人は小学生時代から、おおむね文系/理系の科目に分けることに慣れさせられている。といっても、世界がそのままそのような形であるわけではけっしてない。原則的に、これらの区分(=ディシプリン)は、世界を学問的に認識しようとする際にわたしたちの側で設けた方便である。本来、世界は文学的であると同時に数学的であり、また社会学的であると同時に生物学的である。

世界/自然を、学問によって区分けしているのは、《理性》である。人間の《感性》は、原則的には、世界/自然からのあらゆる刺激を、学的な区分けなしに受け取っているのであって、《理性》なしには、そもそもこうした領野の存在はありえない。このような《理性》のはたらきについて、もっとも透徹な考察を行なったのはカントである。そして一九世紀末から二〇世紀初頭の新カント主義者によって、世界はいわゆる「文系」と「理系」とに区分けされることになった。この区分を、今日のわたしたちはほとんど絶対的なものとして受け容れている。

カントが危惧していたとおり、わたしたち人間は、こうした学問上の区別を、再度世界/自然に適用する。そして、気づかないうちに、わたしたちは、世界がそのような区分によって本当に分かたれていると思いこむ。かくして、人間は、たとえばわたしは「文系」だ、とか、きみは「理系」だ、とか言ったりして自分自身を構成しなおし、またそうした区分にあわせて世界を構成しなおす。これを、理性の《構成的使用》と言う。こうした事例としては、ほかには、国境があげられる。国境は、自然界には存在せず、したがって《感性》の対象ではない。主として地理的/歴史的な条件から、人間の《理性》が便宜上(《統整的》に)引いたものだが、こうした境界が、構成的に使用されてしまうことで、人間は、本当にバリケードのようなものを築いたり、あるいは《人種》や《民族》という概念をもとに差別や戦争を行なったりしてしまうわけである。

こうした学的な区分は、もちろん世界/自然を人間が理解するために生み出した方便である。こうした方便が構成的に使用される危機は、つねにある。このいわゆる《構成的使用》は、ほとんど避けることのできないものであり、また人類に、とりわけ戦争という危機をもたらした。とはいえ、こうした区分を捨て去ることはできない。区分なしに、人間は世界/自然を把握することはできないからである。さらに、こうした区分によって得られた理解(認識)については、つねに区分を維持しつつ使用し続けなければならない。途中でこうした区分を放棄してしまうことも、理念の統整的使用に反する。たとえば、《人種》はより生物学的な、つまり「理系」的な概念であり、《民族》はより社会学的な、つまり「文系」の概念である。この場合、《民族》的な内容の知見を、《人種》的な知見に適用することは、あきらかに異なるレベルの事象を混同することになり、理解に誤りをもたらす。かつてナチスは、《民族》としてのユダヤ人に《人種》的な知見を適用することで、致命的な誤りを犯した。彼らは《アーリア物理学》なるものを構想したが、アインシュタインのような知見は、ユダヤ人の知能がもたらした特殊なものだ、という見解を示しさえしたのである。もちろん、《民族》であろうが《人種》であろうが、現実に生きている人間に対して再適用するべきではない場合がほとんどであるが、ある区分によっていったん得られた知見は、あくまでこの区分にしたがって使用しなければならない。

さて、文系/理系の区分――《サイエンス》は、「近代」と呼ばれる時代をもたらし、とりわけ「科学技術」と呼ばれる一種の魔法をもたらした。《サイエンス》は、宗教を文化的/内面的な領域に限定させることで、外部(=自然)に対するリミッターを取り払い、自由なはたらきかけを人類に許したからである。

だが、世界を自然科学と社会科学とに分割する《サイエンス》は、政治と歴史の区分が苦手である。というより、これらを混同し、また同一化を促しさえする場合がある。近代に特有の「民族nation」という概念は、その典型的な事例となっている。民族を可能にする主要な論拠は地理および歴史的条件だが、それが、そのまま政治の単位となるのが、今日の民主主義国家(国民国家)だからである。歴史と政治の区別、いいかえれば歴史と哲学の区別が存在しないということ、この混同が国民国家を可能にするのだ。

とはいえ、《政治》と《歴史》の区別は、本来はもっと根源的なものである。それらは、言葉と現実とが違っているほどに違っているからである。もっぱら言葉のレベル(テクスト)に存在する《歴史》と異なり、《政治》においてはむしろ言葉が機能する現実の空間に力点が置かれている。政治の学がひとびとの存在を一義性において観察し、また存在の可否についての問いを要求するのとは異なり、歴史の学はむしろ存在の多様性を問うものである。別の言い方をすれば、政治がひとを「裁き」、「決断」を促しているときに、歴史はひとを「解釈」しているのである。また、象徴的にいえば、政治は音声(弁論)に対応し、歴史は書字に対応している(その意味で、近代に特有な運動として、「言文一致運動」があげられる)。

このような区別を本来の意味で行なっていたのは、ギリシア・ローマ時代である。セネカが、学を《哲学Philosophy》と《文献学Philology》に分けたのは、こうした観点にもとづいている。実際、この古い《理性logos》にもとづく区分(ディシプリン)は、新しい《理性reason》にもとづく文/理の区分よりも、もっと根源的である。本来であれば、あらゆる学問が考慮せねばならない《理論(言葉)》と《実践(現実)》の断絶を、《サイエンス》はそれほど問題点だとは思っていないからである。事実、自然科学は言論の領域を完全に文系の学問に預けているにもかかわらず――もちろん、数学のように両者を横断する特殊な事例はあるが、これは近代以前から存在していたものであり、近代に特有のものではない――、自然科学によって得られた論理的な知見をそのまま社会に適用することにまったく躊躇がない。自然科学的な到達――たとえば原子爆弾のように弊害の多いものもあるにもかかわらず――は、自動的に社会に適用される場合がほとんどである。また逆も然り。人文科学上の到達もまた、概して人間身体に適用される。《民族》を示す符牒が肉体的に表示されるかのように、わたしたちには映るからであり、またたいていそれを受け容れているからである。

たとえば、カントは理論と実践は一致すべきであると言った。しないとすれば、それは理論がおかしいか、さもなければ理論を実践に移す際に理論どおりに実践していないことに起因する、と考えたわけである。このことは間違いではない。だが、それでもセネカなら言うだろう、理論と実践が一致する、というのは誤りである、と。なぜなら、理論はどう考えても言葉の域を出ないからだ。たとえ完璧な理論を構築したとしても、それでも実践とは乖離するし、またそうでなければならない。セネカにしてみれば、理論と実践は、同一視されることがあってはならない。つまり、《理論と実践とは、ある種の差異として表現されなければならない》。ここには、彼一流の唯物論をみてとることができる。

ある意味でいえば、《サイエンス》をもたらした新しい《理性reason》を正当に使用したとしても、そうすることが宿命的に古い《理性logos》を誤使用に導くのかもしれない。この危機を回避するためにも、今一度、わたしたちは、《哲学/政治Philosophy》と《歴史Philology》の区別について、注意しておく必要がある。

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