ヴェンダース『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』

cinema
2000.10.15

涙が止まらなかった。出演者がこちらを向くたびに思わず微笑みかえし、演奏が始まると同時に足が勝手にリズムを刻み、演奏が終われば、拍手をしないでいるのが難しかった。残念ながら、日本には小津安二郎の精神を受け継ぐ者は現われていない。だが、ドイツにちゃんといた。その男の名は、そう、みんなもよく知っている、ドイツで一番ロマンティックな男、ヴィム・ヴェンダースである。

現実よりも現実に近いと感じさせる、物語性を極力廃する姿勢に、ピントのなかなか合わない揺れ動くステディ・キャメラによる撮影に、小津を敬愛するヴェンダースならではの手腕が遺憾なく発揮されている。それにしても、このキューバ音楽の感動的な美しさ、そして、つよさ。キューバ音楽の持っているつよさは、その独特のリズム感にある。キューバに限らず、植民地支配を経験したマイノリティ諸国の音楽は、多かれ少なかれ西洋音楽の影響を受けているし、むしろ西洋音楽を下地に発展したものがほとんどである。ただ、かれらにとっての音楽は、自国を支配する列強に対する抵抗の音楽であったため、けっしてかれら自身が持つその民族固有の時間感覚まで捨て去ることはなかった。いかに自分たちが奴隷身分に甘んじていようと、その精神まで服従することは耐えがたい屈辱である。こうして、その民族の抵抗の強さが、そのまま音楽にも現れるのである。だから、ゲリラ戦術によって最後まで抵抗を貫き通したキューバの音楽に、われわれの心をここまで揺さぶる強度があるのは、当然のことなのである。たとえば、あの独特のシンコペーション。西洋音楽がもつ均等に分断された時間にはけっして吸収されることがない。あのようなシンコペーションはとうてい五線譜には書き表せるものではないし、多人数による演奏があそこまで一体感を持つ理由は、もはやキューバ人固有の血であるとしかいいようがないものである(現在の黒人音楽の頂点にあるヒップホップの、あの特異にシンコペートしたラップは、あるいは黒人たちに流れる潜在的な社会への抵抗の血がそうさせるのかもしれない)。シンコペーションが西洋音楽の均質な時間に組み込まれてしまったとき、もはやそのシンコペーションは存在意義を失うのだということ。そしてさらには、音楽の意義は純粋に音を楽しむことにあるのだということ。かれらの音楽がそれをあらためて気付かせてくれる。

かれらはとうとう、ニューヨークはカーネギーホールで公演を果たす。かれらにはもはや欧米への抵抗などどうでもいいことだった。確かに抵抗は出発点だったかもしれない。だが音楽のすばらしさをまえに、そのような人間同士の争いなどちっぽけなことであった。ああ、ヴェンダースとライ・クーダー、そして偉大なキューバンミュージシャンたちに感謝の念を禁じえない。そして、ぼくに、この映画との出会いを演出してくれた神様にも。あの抵抗の時代、あの栄光の歴史は、もはや遠い過去のものになりつつある。そして同様に、その国の音楽家たちも、忘れられた存在になろうとしている。だが、心配する必要はない。ヴェンダースが小津の精神を発掘し受け継いだように、かれらの生み出した音楽はけっして死に絶えることはないだろう。美しくつよいものは、きっと生き残るし、あるいは美しくつよいものだけが、永遠に生き残るのである。

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監督:ヴィム・ヴェンダース
製作:ライ・クーダー
出演:コンパイ・セグンド、エリアデス・オチョア、ライ・クーダー、ヨアキム・クーダー、イブライム・フェレール、オマーラ・ポルトゥオンド、ルベーン・ゴンザレス、オルランド“カチャイート”ロペス、アマディート・バルデス、マヌエル“エル・グアヒーロ”ミラバール、バルバリート・トーレス、ピオ・レイバ、マヌエル“プンティータ”リセア、ファン・デ・マルコス・ゴンザレス
1999年/ドイツ・アメリカ・フランス・キューバ/105分/カラー

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