リニューアル?

diary
2009.08.13

このウェブをリニューアルしようと思っているが、なかなか思うようにいかない。ささやかなこの場所で、ささやかに知的活動をつづけているが、やはり、ささやかなものではあっても、自分なりによい場所にしたいとは思う。人生を振り返ってみても、生活は別にして、知的にも、芸術(?)的にも、ぼくはあまりパートナーに恵まれた経験がない。結局、頼りになるのは自分である。

いったい、こうした活動が世間にどれほどの価値があるのか、意味があるのか、そしてついには事件でありうるのか、まったくわからないし、たぶん、なにごとも起こっていない。それだけは確かだが、とまれ、自分はもっと成長したい、まだまだ知的に先に進めるはずだと、そう思って、日々の精進を惜しまないでいるつもりである。

貧しくとも、精神的には、貴族でありたいし、もっと正確を期していえば、ギリシア時代の自由人でありたい。日々の労働に肉体は費やしたとしても、精神だけは、高貴であり、そして自由でありたい。社会に対して卑屈になるのは肉体だけにとどめ、その一方の精神は、《社交》のために用いたい。そして来たるべき革命の《手前》を実現したい。

自分にとって、理論とは、たとえばジダンのスルーパスのようなものでなければならない。それを受けた人間が、どうしてもゴールを達成せざるをえないような、そんなパス、それが理論だ。だから、たとえばカント的な問題構成、理論と実践は一致するのか、しないのか、そんなことは本当にどうでもいいことである。

ニーチェは、どこかでひそかに、精神とは肉体である、と言っていた。まったくそのとおりだと思う。だが、この同じ言葉は、吐き気を催すようなロマン主義にも化けるときがあるし、悪しき弁証法の臭気すら漂わせることがある。

なにが言いたかったのか? そう、ウェブのリニューアルをぼちぼちやっているという話。

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