ポリスについて

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2002.10.28

かつて、地中海には、系統不明の民族、“海の民”と呼ばれる人々がいた。エーゲ海に浮かぶ島々を利用することで補給を自在にし、アッシリアやエジプト、あるいはヒッタイトなどの国家的な支配に対抗していたのである。彼らの活動は、そのまま、商業(貿易)活動に直結する。なかでもダマスクスやシドン、ティルスなどの都市国家を形成したグループは、アラム人やフェニキア人と呼ばれるようになった。また、彼らが、その貿易活動の中で生み出したのが、線文字化されたアルファベット(表音文字)である。この革命的な発明が最大の成果を生むのが、ギリシアである。いわゆる線文字Aや線文字Bにみられるギリシアのアルファベットこそが、かの地に特有の“都市国家(ポリス)”なるものを可能にした。象形文字を読解するために必要な特別な知識が不要になるからである。象形文字の理解に特定の知識が必要であるということが、貴族や神官と呼ばれる特定の階級を生じさせるのに対し、アルファベットは、とにかく、かぎられたそれを覚えさえすれば、同じ言語を使用しているかぎりにおいて、とりあえず読解可能なのである。このことが、フェニキア人や、その末裔であるカルタゴ人らによる広範な商業活動を可能にすると同時に、いわゆるポリスと呼ばれるアソシエーションを可能にした。

ひとたび国家として成立したエジプトやアッシリアなどの諸地域は、必然的に帝国化する。国家内部に生じた不均衡を是正するためには、その外部に別の不均衡を作らざるをえないからである。これらの地域は、例外なく、帝国化の道を歩んだ。その端緒を切り、それに成功したとされる(前7世紀)アッシリアを始め、ヒッタイトやエジプトなど、そのいずれもが帝国となった。そのプロセスで土地を失った人々は、地中海に逃れて“海の民”となり、あるいは陸に逃れた者は、遊牧民となった(その一部が、エジプト新王国から脱出したモーゼ率いるヘブライ人である)。彼らの商業活動は、最終的には、アケメネス朝ペルシア(前6世紀)によって、保護され、活発化する。国家が、“海の民”の商業活動を取り込んだのである。国家とは無関係であり、むしろ対抗運動であったような“海の民”の商業活動が、このとき、結託する。この結託を示す重要な手がかりとして、ロゼッタストーンを見てもわかるように、エジプトにおいては、ヒエログリフと並行して使用された、民用文字であるデモティックの存在を挙げればよいだろう。

これらの結託に対する差異としてあったのが、ギリシアの“都市国家”、ポリスである。プラトンは、その著作『パイドロス』で言っていたように、言語に対して両義的な態度をとる。プラトンが、ソクラテスの口を借りて訴えるのは、かいつまんでいえば、エクリチュールが、ポリスを可能にすると同時に、ポリスを破壊するという二義性である。だからこそ、プラトンは、エジプトの文字発明神話まで持ち出して複雑な論理的階梯を昇りながら、パロールを、それも真のパロールのみを取り出すのである。

ここには、哲学的な考察を加えながらの歴史(系譜学)的考察が必要だが、ともかく、本稿ではアウトラインを提示するにとどめたい。

国家は、“海の民”が行なった商業=言語活動のような群集レヴェルでの試みと結託し、かつそれを取り込み内部化することが可能であるということである(たとえば、今日活発化している地域通貨LETSの試みは、それが爆発的な効果を生む場合、国家はたんに取り除こうとするばかりとは限らないということである)。したがって、ギリシアのポリスは、フェニキア系の都市国家と違い、帝国化する国家による内部化を免れるような差異をもっていたということである。ギリシアのポリスは、ニーチェの表現を借りるなら、ディオニュソスの海に浮かぶアポロンの小島なのである。ソクラテスは、アテネ人が海なしには生きていけないこと、言い換えればエクリチュールを利用した商業活動なしには生きていけないことを自覚的に語っていたが、同時に、その視線をパロールに向けることを忘れなかった。ポリスは、ディオニュソスの海にアポロン(=弛緩したディオニュソス)の小島をもたらすものでなければならない。そしてプラトンの視線は、間違いなく、この差異のうえにある。民衆のパロールと、国家のエクリチュール、あるいは、民衆化したエクリチュールと、国家化したパロール。ポリスとは、この両者のあいだにある、ディオニュソス的なものとアポロン的なもの(=弛緩したディオニュソス)の差異の称揚なのである。

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