ポストモダニストたち(1)――ミシェル・フーコー

criticism
2010.01.18

わたしの愛するポストモダニストたちがいる(この言葉を、あえてよい意味で使おう)。年齢順にいえば、ニーチェ、ベンヤミン、ドゥルーズ、そしてフーコーである。ホメロスやプラトン、デカルトやゲーテも愛しているが、彼らには途方もない歴史が背負わせた重みがあって、近寄り難い感じを抱かせる。それに引き換え、先にあげた四人は、こういってはなんだが、同志だと感じる。先へ進めと、わたしに語る。もちろん、彼らはホメロスたちと同じく、歴史を超越した存在である。時代の重力とともにあるような、そんな重みなど、もちあわせていない。わたしの重荷を捨て去ることを、彼らは教える。優れた人物は、みな《ポストモダニスト》であるが、四人は、わけてもその名に値する。そのうち三人が、歴史家であったこと、これは偶然だろうか。彼らがいなければ、わたしは歴史などやっていない。とっくの昔に、歴史からおさらばしていたかもしれない。だが、わたしは歴史家である。だから遠いヨーロッパにいたこの四人について、短い言葉を捧げたい。

四人のなかで一番年少のフーコーの驚異は、《言表(エノンセ)》にある。それは、簡単にいえば、《言葉という行為》である。なおかつ、極度に《文学》的な概念でもある。古典主義時代の考察から、この概念は磨き上げられた。言葉と物が《透明》な関係をもつ。少なくとも、《透明》になるまで磨き上げられることが、推奨される。この概念は、すでに彫琢されていた《狂気》と結び合わされ、独自な展開をみせた。言葉と事物とが組み合わされるということが、なにを意味するのか。この問題が複雑化するのは、歴史そのもののあり方と重なりあっている、と考えられるときである。フーコーの書物は、このような読解が認められるかぎりで、批判的な重層性をもっている。だが、多くの社会学者は、フーコーのこの議論を「権力」との関連でのみ読み解いたようにみえる。歴史家フーコーの重層性を取り逃がすと、その豊かな生産性を半分しか受けとることができない。

言葉と事物、両者の関係の透明性。むろん、古典主義時代のこの試みは、失敗することが確実である。言葉は、事物に対するヴェールになりはしても、けっして事物そのものにはならなかった。すくなくとも、近代に生きるわれわれは、そのことを彼らよりもよく承知している。堆く積み上げられた歴史家の営為は、そのことを逆説的に証明している。そればかりか、われわれは、この失敗をむしろ虚構として受け容れさせられてさえいる。しかし、フーコーは、注意深く、その当たり前の前提を、自身の思考から取り除く。

これは容易なことではない。歴史家としては当然の態度であるが、にもかかわらず、多くの歴史家はそのことに失敗している。言葉と事物とのあいだで呼び交わされたお互いの愛が、ついに成就しないのであれば、歴史家は、自身の営みのはじまりから、その権利を失うにちがいない。多くの歴史家は、自身が行なう過去の復原が、実際には不可能であることを、暗黙にか、無意識のうちにおいてか、いずれにせよ自覚している。この諦念をさらに進めたところに、ある種の哲学的勢力がある。この諦念を確実なものにすることが、歴史主義の批判であると考えているひとたちである。この哲学は、この確実な諦念、すなわち絶望から出発して、未来へと踏み出すことを考えている。

だが、フーコーはそうした哲学とはすこし異なるように思われる。というのも、彼は、古典主義時代の歴史を紐解く際に、時代の学問的布置(エピステーメー)が作りあげた試みを、その結果から批判しようとはしなかったからである。失敗に終わったと思われる結果は考慮の外であり、むしろその布置の変化を問題にしていることは、よく知られているはずである。彼をして、この問題構成の移動を可能にしたのは、次のような確信からである。すなわち、《運命と必然性は異なる》(クリュシッポス)。たしかに、《透明性》の試みが失敗することは《運命付けられている》。だが、そのことでもって、《必然的に》試みが不可能であると考える理由にはならない(ここには、のちに彼のなかで醸成されるストア派的な思考の萌芽がある)。クリュシッポスの命題は、ここでは次のように変奏できる。《失敗と不可能性は異なる》。厳密に考えれば、われわれは、あの挑戦の《不可能》を断定できる材料をもっていない。そしてもうひとつ重要なことは、《人類の歴史はまだ終わっていない》ということである。試みが途絶したことはたしかだとしても、今後のエピステーメーの変換が、そうした試みに近づく場合も予測できるし、挑戦はまた行なわれる可能性がある。したがって、不可能性を前提とした議論は慎まなければならないし、問うても仕方がない。問題は、むしろ、この移動や変換である。《透明性》を虚構として非難しているのではなく、この透明性を虚構として受け容れるような布置の変換のほうがずっと問題なのだ(フーコーは透明性をことさらに強調したが、一切批判していない)。結局、《透明性》を非難している者は、その試みを終わりにおいて/として受けとっているのであり、そこには、歴史主義批判の仮面をかぶった暗黙の歴史主義が横行している。歴史主義批判という言葉が言葉であるかぎり、それは事物の表面にかぶせられたヴェールである。かくして言葉は、多くの場合、現実の出来事を覆い隠してしまうだろう。

《エノンセ》は、こうしてますます彫琢され、いよいよ希少なものとなった。ほとんどの言葉は、現実と関係ないばかりか、現実を覆い隠すヴェールのはたらきを行なう。それはたしかである。しかし、歴史家の手のなかで踊るいくつかの過去の言葉の群れは、まだその踊りをやめていない。多くの歴史家は、過去を定まったものとして受け取っているし、答えを手にしていないとしても、どこかで定まっていると考えているからこそ、学問たりうるのだが、本当の歴史家は、過去がまだ終わっていないということを、心のどこかで感じている。《この過去はむしろ未来に実現されるのではないか》、そんな妄想に駆られることがたびたびある。飛んでいる最中の矢が標的に当たっていないのは当然なのであって、当たっていないという非難はまったくのお門違いである。言葉に絶望するのはまだ早い。つまり、フーコーは、われらがニーチェのように考えた――依然として飛翔をやめていない矢としての言葉がある。そのかぎりにおいて、《エノンセ》は存在しうる。矢としての言葉――《エノンセ》は、権利上、あらゆる物と同じように、暴力ともなりうるような物理的な力をもつはずである。それは、ほんものの《矢》だからである。だが、その力が隠されているのだとしたら? フーコーは、それを「権力」と呼んだと思う。

おそらく、『言葉と物』以降、彼の進むべき道は、二つあったはずである。ひとつは、権力への道。そしてもうひとつは、自由への道である。フーコーにとっては、そのいずれもが《エノンセ》なしには考えられなかったのだが、ひとまず、彼は「権力」に手を付けた。サルトルのように、はやいうちに自由の道に取り掛かることもできたが、年齢的にいって、四十代で行なう仕事としては、理解できる選択だったと思う。やや突っ込んだ想像をすれば、サルトルは急ぎすぎに思えたのかもしれない。『監獄の誕生』や『知への意志』が、その成果である。これらの書物は、彼の考察を先に進めると同時に、より確実で念入りなものにした。自由へただちに飛躍するよりも、こうした準備をしておいたほうが、跳躍をより美しいものにするだろうし、またより遠くまで到達できるだろう。だが、この周到さは、逆にますます誤解を生むことにもなった。

近代的なエピステーメー、すなわち言葉を対象との(対象なき)意味作用において捉えようとする議論は、もちろん、古典主義時代にその萌芽があったはずである。つまり、古典主義時代のエノンセのなかに、近代の権力を生み出す力があった。したがって、一九世紀の言説のなかから、注意深く、なにがエノンセであり、そしてまたなにがエノンセを隠しているのかを見きわめなければならない。エノンセを隠すエノンセは権力である。つまり、結局は権力もまたエノンセである。だからこそ、それは身体にも深く作用する。言い換えれば、《精神においても物理的に作用する》。言葉を絶望で覆う限り、それはどこまでも深く《生政治》的に作用する。「深く」というのは、それが隠されているからである。エノンセは、基本的に、表面で仕事を行なう。しかし、その一方で、エノンセはいつも隠されている(とりわけ近代にはそうだ)。エノンセを隠すことが、作用を隠微に沈潜させる。結局、近代が背負った「歴史病」とは、われわれの歴史を隠すことなのである。彼らは、暴きながら、同時に隠すのだ。あるいは、見ることで、見えなくする。すでに十分に見えているものでさえ、隠れている、という。これが「監獄」であり、「性」である。

多くの誤解があった。ドゥルーズのすばらしい友愛の助けがあったにもかかわらず、それはまだ誤解のままだ。フーコーが、あらゆる知が権力として作用するといったとき、便利な批判的ツールを得られたと考え、ひとはそれに賛成しながら、絶望した。社会を監獄のようなものだと考えたのだろうし、さもなければ、あの哲学的勢力に影響されて、きっと絶望の身ぶりが必要とされていると考えたからかもしれない。しかし、知が生に対する政治を行なうというのなら、それは同時に可能性なのではないか? ひとの言葉は、本当に肉体において、物理的に作用するというのなら、そこにこそ《自由》はありはしないだろうか? フーコーは、本当は、最初からずっと、そのことを、しかもそのことだけを言おうとしていたのだ。ひとは、《いいたいことがいえる》のだ。

『知への意志』に対する評判と同じ数だけの根本的な誤解に直面し、さらに死期を悟ったフーコーは、急いでいままでの仕事をひっくり返す作業(同じことを、別の側面から語ること)に取り掛からなくてはならなくなった。まだずっと先だと考えていた仕事に、だ。多くの誤解があったことを、よく知っている。だが、それもまたこの時代の――反時代的な――エノンセなのだ。わたしほど、そのことをよく承知している人間はいない、とフーコーなら考えたろうか。誤解のうえに誤解を塗り重ねる結果も、予想できただろう。しかし同時に、彼ならエノンセがちゃんと未来に届くことも知っていただろう。エノンセの力は、わたしの意見はおろか、個々の主体さえもおかまいなしである。だからひとは、エノンセの力に身を委ねるしかないのだ。エノンセに自身を重ね合わせる。それを主体化という。……

ディオゲネス・ラエルティオスによれば、《犬の》ディオゲネスは、死に臨んで一番重要なことはと尋ねられ、「いいたいことがいえることだ」と答えたという。たしかに、それは重要なことだが、じつは、とりわけむずかしいことでもある。自由な社会では、なおさらそうだ。そのことは、フーコーの書物を読めば、よく理解できるだろう。近代とは、なんと不自由な社会であることか! 一見して自由であればあるほどに、われわれの自由は奪われていくようにさえみえる。考えてみるがいい、この資本主義社会において、自分が作りたいものを生産している人間がどれほどいるのかを。近代の言語使用のなかで、いくら言葉を費やしても、ほとんど《意味作用》のなかに吸い込まれて消えてしまう。不自由な社会のほうがひとは自由である、というありふれた逆説を想起しておいてもいいだろう。もちろん、それもまた不自由であるのだが。いずれにしても、「いいたいことをいう」のは至極シンプルな欲望ではあっても、簡単なことではない。

しかし、フーコーには、エノンセの概念がある。エノンセは、かならず、この世界に実現される。思ったとおりにではないとしても、けっして意味作用のなかに吸い込まれたりはしないで、未来にかならずたどり着く。二〇世紀の住人であるフーコーが、一八世紀や一九世紀のことを、あれほどまでに鮮やかに描き出すことができた、という事実が、それをよく物語っている。彼はたしかに過去の声を聞いた。今度は、われわれが、彼の声を聞く番である。彼ほど、自分の「いいたいことをいう」ために努力したひとはいない。彼は《自由》だった。だが、われわれは、いつだって、《自由》なのだ。

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