ベルナルド・ベルトルッチ『ラスト・エンペラー』

cinema
2003.07.07

この作品をもって、鬼才ベルトルッチは巨匠となり、坂本龍一は名実ともに“世界のサカモト”となった。

個人的述懐だが、わたしがこの作品に触れた最初は小学生のときに聞いた音楽においてだった。母がテープでこの映画のサウンドトラックをかけていて、以来、坂本龍一のファンになった。子供心に、音楽をこんな風に作ることのできる日本人はいない――なにが根拠になっているのかは定かではない――、などとはしゃいでいた。久々にこの作品を見返して、いまわたしがやっていることがなにも変わっていないことに気づいた。二度目の修士論文で大杉栄を扱ったのだが(最初の修士論文はリヴィウスとキケロである)、大杉を殺したのが、憲兵を率いた甘粕正彦大尉、すなわち、坂本が演じた甘粕満州映画理事長である(ちなみに、どう考えても坂本龍一は甘粕というよりは大杉に似ている)。もちろんこの符号は偶然だろう、だが無意識が選択を導いた可能性まで否定しないでおこう。けっきょく、同じところをぐるぐる廻っている。それでこんなことを言ってみたくもなる。“Open the door!”

さて、映画作品それ自体について、いまさら言うことはない。前期のベルトルッチによる『暗殺のオペラ』や『暗殺の森』あるいは『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を好む向きがあるのはもっともであり、そうした評価を否定しない。だが本作も、趣は異なるにせよ、傑作であることにかわりはない。三拍子の雄大なメインテーマとともにたゆたうパンニングは、たしかにベルトルッチならではの舞踏である。安易な抗いを許さない三拍子のうねりは、彼の研ぎ澄まされた舞踏感覚であり、また時代に翻弄された溥儀の人生そのものでもある。幼稚なオリエンタリズムなどとは無縁に、そしてもちろん扉の向こうを夢見た溥儀のささやかな意思などともまったく無関係に、抗いがたいとうとうたる大河のうねりを巨大な舞踏として描いたのであれば、それはたしかに、鬼才ベルトルッチの作品に違いない。

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監督:ベルナルド・ベルトルッチ
制作:ジェレミー・トーマス
脚本:マーク・ペプロー、ベルナルド・ベルトルッチ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
美術:フェルディナンド・スカルフィオッティ
衣装:ジェイムズ・アシュソン
編集:ガブリエラ・クリスティアーニ
音楽:坂本龍一、デイヴィッド・バーン、コン・ス
出演:ジョン・ローン(溥儀)、ジョアン・チェン(婉容)、ペーター・オトゥール(レジナルド・ジョンストン)、坂本龍一(甘粕正彦)、リチャード・ヴゥ(溥儀(3歳))、タイジャ・ツゥウ(溥儀(8歳))、ワン・タオ(溥儀(15歳))
1987年/イタリア・英・中国/163分/カラー/シネマスコープ

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