ダニエル・リベスキンド展

review
2002.09.28

ダニエル・リベスキンド展。広島。

ポーランドはウーチに生まれた建築家、ダニエル・リベスキンドは、ベルリンのユダヤ博物館においてその名を世界に知らしめた。もはや忘却の穴へと落下しつつあるホロコーストの記憶を、彼は鋭角の折り返しをいくつももったひとつの境界線において表現した。《境界線=物語》の不可能性のトポスに、彼は本当にモニュメント――もとい、博物館を建ててしまったのだ。生と死のあいだ、このあいだをわかち、かつ交錯し、混じりあうジグザグの《境界線》、ここに、われわれが望む世界がある。歴史がある。彼は、建築が、終わりに入った、という。しかし、それは、建築が完成してしまったことを意味するわけではない。彼によれば、建築は「終わりの状況(end condition)」に突入したのだ。終末あるいは絶対的な死、すなわち、忘却の穴――ホロコーストがいかなるものであったかのみならず、それがあったという記憶すら失われてしまうという絶対的な絶望のなかで、彼は、生と死をわかつ境界線において希望を語ったのだ。この衝撃は瞬く間に世界を席巻した。いまや、彼が、もっとも優れた建築家のひとりとしてポストモダンの現代に屹立していることは、言うをまたない。その後、各地で彼の手になる建築が着工され、その完成を待ちつつあるのは周知の事実である。ユダヤ博物館以来、フェリックス・ヌスバウム美術館(ドイツ)、北帝国戦争美術館(イギリス)が開館にこぎつけ、また、デンバー美術館増築計画も着々と進行しているという。彼の建築をひとめ見た者は、その異様さに圧倒されるはずだ。あの鋭角に研ぎ澄まされた壁面が描く光と影の惚れ惚れするようなコントラストは、歴史などの背景抜きに、文句なく素晴らしい。そんな活動が評価され、ヒロシマ賞を受賞したのが昨年。今年は、その延長上で、広島現代美術館において、リベスキンド展が開催されたのである。

一歩そこに足を踏み入れるや、巨大な模型が目に飛び込んでくる。フェリックス・ヌスバウム美術館のそれである。展示場の広大なスペースを、フェリックス・ヌスバウム美術館の白い巨大な模型と、そして白く塗り込められた壁一面に、シェーンベルクの未完成オペラ「モーゼとアロン」の歌詞つきの楽譜が影のように黒く刻まれている。「おお言葉、汝、言葉よ、それが私には欠けている」。実際、模型はよくある建築模型を巨大にしただけで、よくみるとダンボールの少々チープな肌触りが視覚から伝わってくる。また、壁面のタイポグラフィーも、印刷したものを黒く塗りなおしたものであることが明白である。だが、そのことを括弧に入れ、具象を排して抽象的にこの空間を感覚すると、われわれは、リベスキンドが設計コンペで示した見事なプランそのもののなかにいることに気づかざるをえない。プランという誕生の瞬間と、そして実際の建築物というモニュメント――それは、モニュメントである以上、たんなるひとつの物質ではなく、周囲の空間、時間との共存の形態でありうる――のあいだに、すなわち《境界線》のうえにわれわれは立っているのだ。時折照明がフェードしながら点灯し、純白の模型の鋭角が作り出す陰が輪郭をホワイトアウトさせながら、かつ、そのコントラストを増大させる。壁面や床に刻まれた「モーゼとアロン」の楽譜が目に迫ってくる。生と死、光と影、そのあいだをわかつ《境界線》のうえに立つこと、それが存在であり、そして歴史であることを、まざまざと感じさせてくれる。

次の部屋は、ユダヤ美術館である。白の壁面を、今度はあの『追悼の書(Gedenkbuch)』のタイポグラフィが覆う。収容所で亡くなったユダヤ人の生誕地、名前、そして推定死亡地だけが記されたあの『追悼書』の一ページが、巨大なタイポグラフィーとなって、ユダヤ美術館を取り巻いている。ユダヤ美術館の周囲を歩き回りながら、その鋭角が作り出す不可視の向こう側にある死、というよりは死者の名という歴史そのものに思いをはせるとき、われわれはめまいを感じざるをえない。そういう仕掛けがものの見事に作り上げられていて、この部屋は、先につづく北帝国戦争美術館およびデンバー美術館のふたつと比較しても、わけても秀逸な出来であると言える。

こうして、四つの空間を堪能しきったとき、リベスキンドの作品においては、プランと建築物とが等価であることを納得させられるだろう。ある意味では、現実のリベスキンドの建築の、彼本人によるもっとも優れた解説書だとさえ言える。むろん、建築展などというものはおよそそういうものなのだが、それにしてもよくできた解説書だと言わざるをえない。具象と抽象、それは、現実とそこから抽出された歴史とイコールであり、同時に、建築と展示された模型の差異そのものでもある。リベスキンドの建築は、つねにその「あいだ」、すなわち《境界線》にある。この「解説書」は、そのことを明晰に示している。したがって、実際の建築を見、そして味わうべきなのは言うまでもないことだが、ひとまず、それよりも注目すべきなのは、解説書に引き写された段階においてさえ、彼の建築そのものの作品性がまったく失われていないどころか、ある別の強度をさえ獲得していることなのである。それは、もちろん、リベスキンドの建築がいかに優れたものであるのかを証明しているのだが、一方で、「建築展」という形式そのものを逆手に取った心憎い試みでもあるということだ。つまり、この展覧会は、この手の催しとしては例外的に成功を納めているのである。

これらの四つの模型、タイポグラフィーは、すべて、会場の広島現代美術館の展示室にあわせて作られたものであり、現実の建築に付きまとうサイト――周囲の環境が建築物にどのように作用し、また反作用するか――の問題に直面している。その意味でも、この空間は、実際に体験するべきものとしてある。広島近郊の方、あるいは広島方面に向かう予定のある方は、ぜひ、この展覧会に訪れてみてほしい。会期は10月20日まで。

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