ゴダールの偉大

diary
2008.04.22

毎度自分のことばかりで恐縮だが、ゴダールの映画に出会えたことは、本当によかったと思っている。十代の終わりに、レンタルビデオ屋でゴダールの『気狂いピエロ』を借りて震撼させられて以来、いつも彼のことを考えていた。ゴダールの映画は、ぼくの考える芸術というものの感覚に、完全にぴったり来ていた。まだその頃は、そうした感覚を言葉にするにはあまりにも幼稚だったが、ならば、いまはどうかと問われれば、もちろん、感覚的に答えるほかない。

ぼくは、別に映画鑑賞は趣味ではない。絵や音楽とちがい、自分でそこにアクセスするには、映画はあまりに巨大なものだったからだ。絵画や音楽には、すでに、《アート》と呼べる領域が存在していた。たとえば、音楽。アイドルの歌う歌と、ベートーヴェンのそれがちがうことくらいは、子供でもなんとなくわかる。といって、それほど明確な差があるわけではない。ならば絵画はどうか。漫画の表紙と、レオナルドの描いた絵がちがうことくらいも、やはりわかる。しかしもちろん、それほど明確な《区別》があるわけではない。量的な違いが質的な差異に変化するほど大きい差があるとしても、そこにあるのは、あくまで、《差》なのだ。そういうことは、子供でも認識する(おそらくは大人たちの弁証法に感化されて)。だから、漫画の絵を追求していく果てに、芸術としての絵画に到達する、ということは、あってもよいように思える。音楽もまたしかり。ぼくの子供時代は、親の影響からビートルズをよく聞かされたが、ビートルズは、音楽におけるベートーヴェンと歌謡曲のあいだを埋めてくれる、よいアイテムだった。

思えば、ぼくの幼年期は、知識人と大衆のあいだをつなぐものが求められていた世代によって影響されていた頃である。それは多分にマルクス主義の影響だが、べつにそれだけではなく、もっといたるところから、《民主主義》の名の下に、すべてが許されていた時代である。政治はポップでなければならず、また、アートもポップでなければならなかった。坂本龍一が結局はポップスの道を歩んでいたのも、そういう時代であるがゆえに、である。実際、ぼくも、おそらくは政治的に暗示されて、そういうものを好んで聴いていたと思う。たとえば、ジミヘンのギターもいいけど、イーグルスのギターの音もなかなかいいね、だとか、若い頃のスティーヴィー・ワンダーはよかった、だとか、そういう大人の言葉を嬉々として聞き、それを学校の級友に話して、何度も反芻していたのである。

ともあれ、音楽にせよ、絵画にせよ、すべてがポップ化していた時代に、ぼくが出会った気狂いピエロは脅威だった。それは、多分に映画というものをぼくがまったく知らなかったことに起因している。ぼくにとっての映画の観念には、アートの領域はまったく存在していなかったからだ。ぼくは、ゴダールが誰なのかも知らなかったのだ。まだ、浅田彰や蓮実重彦なんて、名前すら知らず、当時の知識人やアーティストで積極的に知っているとすれば、せいぜい坂本龍一(か、父親の本棚によく見かけた吉本隆明)くらいのものだった。ゴダールに対する前知識などまるでなかった。おしゃれなパッケージに惹かれたというくらいで、いや、そんなパッケージよりも、ただ、「ゴダール」という監督名がぼんやり輝いているようにみえたというただそれだけの理由であの映画を借りて夜中にひとりでみたとき、本当におしっこをちびりそうになったのだ。《なんだ、これは??》

そこには、大衆と知識人のあいだだとか、風俗と芸術のあいだだとか、そんな生ぬるい問題構成は一切存在していなかった。たんにアートだった。ショットとショットのあいだの飛躍、台詞と台詞のあいだの飛躍、あのすべての飛躍が、ぼくをアートの世界まで三段飛ばしで運んでくれたのだ。いまでは、あれほどポップな映画もないと思うだろうし、誰もがそれに同意してくれるだろう。みんなが、そういう風に、彼の映画をポップに楽しんでいる。ともあれ、それまで、結局は大衆のひとりに過ぎず、大衆的なものに塗れていたぼくに、《個人》というものを教えてくれたのだ。大衆と知識人、という二項対立的な問題構成そのものでさえ、大衆的なのだ。そうではなく、ぼくらは、《個人》にならねばならない。《勝手にしやがれ》、というわけだった。

音楽であろうが、絵画であろうが、量や質の問題を超えて、ただ強度としてあるような、芸術の領域。漫画や歌謡曲が、けっしてたどりつけない、芸術の領域があるのだ――といって、じつは、芸術など、けっしてそんな大そうなものでも立派なものでもない。求められてひとに憩いを与える漫画や歌謡曲の方が、よっぽど立派である。むしろ、芸術の方が、漫画や歌謡曲のような、憩いを求めてしまうのだ――つまり、芸術とは、個人そのものであり、人生そのものなのである。労働者は、べつに、芸術など求めはしない。労働者が求めるのは、ひとときの憩いであり、いつも目の前に広がっている《人生》を遠ざけてくれるものの方が、よっぽど重要なのだ。芸術は、労働者の憩いになど、なろうと思っていない。たんに、労働者に、あるいはたんに《人生》になりたいと思っているのだ。本当の本当のリアリズムを求めているのだ。

いまのぼくがゴダールの映画をはじめて観たならば、即座に《文学》と叫んだことだろう。彼の映画は、ぼくにとっての文学的体験そのものだったのである。戯作と呼ばれ、たかだかエンターテイメントにすぎなかった小説を、芸術にまで高め、純文学の領域を作り出した戦前の文学者と同じ努力を、ゴダールはしていたのである。戦後の文学者たちが負った仕事は、それをまた大衆の足下に引き摺り下ろすことであり、あろうことか、そうした近代文学がポップな《国民国家》を作ったとまで言われるようになるのだが、そういうことと、戦前の真の文学者が無縁であるように、ゴダールもまた、無縁である。ゴダールの映画は、大衆とも、労働者階級とも無縁の芸術である。だからといって、芸術が、王や領主を選ぶと考えるとすれば、それはあまりに二項対立的な考えである。芸術は、王か、民か、ならば、もちろん、民を選ぶ。ただし、大衆は別である。そんな抽象的な《マス》よりも、具体的な《個人》と、あるいは、定冠詞の付かない、ただひとりの《労働者》と、関係を結びたいと思っているのだ。

まとまっていないが、彼への賛辞を書きたくなったので、書いたまでである。ゴダールは、批評家としても、きわめて明晰である。だが、彼のような批評を、日本の戦後の文学批評家からは、一度も聞いたことがない。べつに、非難していうのではなく、戦後の批評家は、相当に特殊な領域を築いていたということである。ゴダールに、映画など虚構にすぎない、などと、唖然とするようなことをいうひとはどこにもいないだろう。だが、戦後の批評家は、そういうことを、文学者に言い続けてきたのである。これはこれで、戦後の日本を研究対象とする場合には、とても重要な事実となるだろう。ぼくは、戦前にばかり目が向く古くさい人間だが、《芸術など虚構にすぎない》という言説が、戦後の日本を作りあげたと考えて、おそらく差し支えない。思えば、ゴダールは、《ドキュメンタリー》と《フィクション》という二つの極について、次のように言っていた。

〔インタビュアー〕――それで、あなたはどの極から出発されたのですか?
ゴダール どちらかと言えば、ドキュメンタリーから出発し、ドキュメンタリーにフィクションによる真実をもちこもうとしているということになると思う。…
 ぼくはまた、演劇的側面にも興味をひかれている。『小さな兵隊』では具体性に到達しようとしたわけだが、ぼくはあの映画ですでに、具体性に近づけば近づくほど演劇に近づくことになるということに気づいた。そして『女と男のいる舗道』は、きわめて具体的であると同時にきわめて演劇的な映画だ。…リアリズムにうちこむことによって演劇を発見し、演劇にうちこむことによって……。演劇の背後には人生があり、人生の背後には演劇があるというわけだ。ぼくは想像的なものから出発し、現実的なものを発見した。でも現実的なものの背後には、もう一度想像的なものがあるわけだ。

(『ゴダール全評論・全発言I』、奥村昭夫訳、筑摩書房、一九九八年、508ページ)

そういえば、志賀直哉のおかげで論文が書けたと前に言った。それと同じくらい大きかったのは、ゴダールの『映画史』である、ということを、あのとき、付け加えておいてもよかっただろう。ゴダールの態度は、『映画史』においても、変わっていない。彼は、歴史のドキュメントのなかに、ゴダール自身という、きわめつけの演劇的なものを登場させたのだから。それと同じことを、論文を書いていて、ぼくにも感じられた。真理に近づこうとすればするほど、それはより虚構的になるという事実に。それは、真理か、それとも虚構か、などというふやけた二項対立とは無関係なのだ。……

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